トレドがポルタ神楽坂に再開店してから13年過ぎました。ありがとうございます。 | 2丁目食堂トレドへようこそ!

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1972年創業以来「家で待つ母の気持ち、妻の心」をモットーにやってまいりました。加工品など一切使用せず、一から全て手作りでお出ししております。

どうぞごゆっくりとおくつろぎ下さい。

 順風満帆ではありませんでした。お客様には感謝、感謝の日々です。

 管理組合との底しれぬ軋轢です。再開発構想が持ち上がった頃、今から20年ほど前から始まりました。この地区は40坪の借地が10区画。地主は桝本。費用は理科大。先代からトレドは営業認可を認められていたのです。それがトレドの存在そのものを無視されたのです。証拠の書類の完備によりトレドの権利を主張することができました。再開発事業が動き出します。

 地権者会議が開始されます。理科大出の設計氏野島氏、鹿島建設、野村不動産が関わります。権利による図面、ビルの全体図面が提示されます。変更の連続です。会議のたびに図面が変えられます。トレドは神楽坂とは反対側の熱海湯通り。他の店舗はありません。権利は10坪ぐらい。7階建てのビルです。1,2メトルの柱。ビルの外、それから半分ビルに、最後には全部ビルに組み込まれたのです。自分はそのことを指摘したときです。突然理科大の管財課、鹿島建設の社員たちに腕を掴まれ外に出されました。その時感じたのです。普通ではない。

 ビルが立つ間、早稲田に家を借り、猫と一緒に移り住みました。その間も地権者会議が継続します。ある時、トレドの図面の一部が削られ、縮小されているのに気付きました。野島氏に確認します。彼は「管理組合の要望です。全体として概ね変わりません。」でもこのままではトレドの立ち上げは根本的に無理です。何度も懇願しても相手にされません。裁判にかけました。理科大を相手に。裁判は異常な笑いの中で進行します。裁判官、被告の理科大、原告の当方の弁護士たちが、計算機片手に50分の一の図面に書かれた数字を50倍に、どうしても契約した数字になりません。弁護士は仮処分を求めます。自分は妥協点の模索します。これを自分たちは「概ね裁判」といっています。

 トレドが再開店しました。ヤフーニュースで閉店のとき取り上げられたこともあり、連日大盛況でした。ありがたいことです。でも電話では苦情の連続です。トレドがどこにあるかわからない。看板がないから、ポルタの前までいったが、わからなくて帰った。神楽坂にトレドの看板がないのです。1階の総合看板もないのです。案内板の15センチの表示のみです。管理組合理事長、彼は竹馬の友と認識していました。彼に実情を説明しました。決まっことだと相手にされません。新宿区の地域振興課にも相談。実情を視察した職員は「管理組合にたのべば大丈夫」とのこと。

 地主の桝本、理科大がこのビルの理事です。テナントに地下にサイゼリア、2階にエビスビール。吹き抜けが2箇所。地下に降りる階段、その両脇に看板が設置されています。正確に言うと一つだけ、片方に笹が少し埋まっています。もし大型店のサイゼリアが撤退したとき、店舗を2つに分けるつもりで、看板の場所を確保していたのです。

 この理事会中心の管理組合、自分たちのテナント用に4坪ぐらいの共用部分を私物化、鉄の柵で囲っています。権利の乱用です。消防署の確認に毎回頭を下げています。黄色い看板を笹を植え替えて神楽坂側に立てました。トレドを守るため苦肉の策です。理事長がトレド来きます。「看板を撤去しろ」「「嫌だ」そして裁判に被告として。そもそも身内同士の問題、裁判で却下されると思っていました。裁判官も初めてだと言っていました。信頼関係にある、同じ階に住み、町内会でも、防災会議にも机を並べた仲間。

 電源が入っていないと相手側が主張していた、植木のための小さい土地。黄色い看板を撤去た跡、すぐに目立たない1,2回の共同看板を立てることになりました。サイゼリアの跡に2つの看板の可能性はなくなりました。

 この裁判で痛感したことがあります。裁判官次第ということです。裁判に間に合うよう、質問書、返答書を提出します。この殆どに当該裁判官は目をとうしていなかったのです。そのことに触れると、かれは声をあらたげて不機嫌に。当方の弁護士たち、運が悪い、こういうことがママあるようです。