白石典之「元朝秘史」 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

元朝秘史
――チンギス・カンの一級史料

「元朝秘史」は、モンゴル語で「モンゴルの秘められた書」と呼ばれる、モンゴル帝国の初代君主チンギス・カンを主人公とした書物である。

著者が「はじめに」で断っているように、本書は「元朝秘史」の翻訳ではない。
「筆者自身の意訳をベースにしつつ、歴史的、地理的情報を多分に交えた『元朝秘史』の解説書である」(「はじめに」Pⅴ)

「元朝秘史」は「チンギスの喜びや怒りが随所に記されているのが」(P211ー212)持ち味と言えるそうだが、「おそらくモンゴル軍は史官といった公式記録を掌る役人を帯同していなかった」(P211)ゆえに「出来事の内容が断片的なうえに、前後の入れ替わりが頻繁にみられる」(P211)という、問題も多い書であるそうだ。
「それでも、問題箇所を時代や当時の文化の反映と前向きにとらえれば、『元朝秘史』は、チンギス・カンとモンゴル帝国史の研究における第一級の史料になり得る」(「はじめに」Pⅲ)
ここに「元朝秘史」を読む意義も見出せるようだ。

さて、前置きが長くなってしまったが、僕はこの本を、とても楽しく読むことができた。
胸躍るような単なる英雄譚ではない。
厳しい自然環境の中、地政学的に複雑に民族が入り組んでいる。

そこでモンゴルは強さの源泉となる軍制を敷き、チンギスがモンゴル帝国期を貫く君主直参のエリート集団の育成にかけた並々ならぬ思いがあった。
また、彼らを支えた勲臣たちがいた。
様々な歴史的興味にひかれながら見えてきたものは、利害が絡む現実の政治の世界を生き抜いた人間チンギスの姿であった。

歴史を学ぶことは、時系列で膨大な情報、因果関係を読むことであるので、その中で感想を書くときに独自の切り口で語りなおすことはかえって難しいと感じる。

ここでは、僕が興味深いと感じた、モンゴルのお酒についてのエピソードを書き抜いて終わりにしたい。


「馬乳酒は文字通り馬の乳から醸す。人間は馬の乳をそのままでは消化できない。そこで発酵させることで飲料とした。発酵の際にアルコールが生じるが、二パーセントほどなので、モンゴル人は年齢に関係なく愛飲している」(P47)
「モンゴル宮廷では、宴会政治と形容できるほど、酒宴で国家の重要政策が決まった。まつりごとに酒は欠かせなかった。ここでいう酒とは馬乳酒である。その消費量は、とても周囲の牧民からの調達ではまかない切れず、しかも牧民に過度な負担を強いていた。そこでオゴデイ(チンギスの後継者)は、各千戸に命じて牝馬とともに牧司を出させて、馬の放牧と搾乳を任せることにした。
 こうした宴会政治の場では、君主から臣下への大盤振る舞いが不可欠であった。これを賜与という。賜与は君主への求心力を高める効果があった。とくに、何かと不平と不満を口にする親族への賜与は欠かせなかった」(P233)