イプセン「人形の家」2終 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

P101-173

夫が「愛するもののためにだって、自分の名誉を犠牲にする者なんかいやしないんだ」という主張に対し、妻は「何万、何十万という女はそうしてきたわ」(P169)という台詞は、当時の女性の境遇が端的に表れているのだろうし、まさにこの劇はそこに集約されていく物語なのだろう。

では、なぜ現代の僕にも突き刺さるのかと言えば、この叫びの根底には「あたしは、何よりもまず人間よ」(P163)という感情のほとばしりがあるからだと思う。
僕らはみな、社会の構成員として、時には仮面をかぶり、ロールプレイを演じながら生きている。
それを疑問に思うこともなく、当たり前に。

しかし、何かを演ずる前に、私はまず人間なのだ、という主張は、何かを思い出させてくれるし、はっとするのではないだろうか。

と、こういう風に書くと、この劇自体は、主張ありきの物語のようにも聞こえるだろう。
再読前に僕が考えていたことは、そういう主張のある本を読む、ということだった。

しかし「人形の家」は、劇として面白く、また、話がどんどん凝縮して、観客を魅了し、導き、最後にストレートな主張がバンと入るから、その言葉が効果的に胸にささるので、作家の「俺の主張を理解させてやる」というような嫌味がなくて、すーっと胸に入ってくる。
私はまず人間なのだという主張自体は、別段特別なことではないのだと思う。当たり前だ。
でも、そういう言葉を素直に受けいれられるということが、演劇の表現のたまものなのだと思った。

完成度の高い演劇を見た後のような充実と満足のある読書だった。
今度は、実際の劇場に行くみたいに、全編通しで読んでみたいと思っている。
四半世紀を経た再読は、素晴らしい体験となった。うれしい読書だった。