太宰治「桜桃」 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。


「桜桃」


太宰治が入水自殺をする直前に書かれた短篇である。


元々、僕は太宰が好きではない。
しばしば並び称される文豪芥川龍之介の、あのナイフのような鋭い言葉で飾られた美しい小説に対して、太宰の小説はさっぱりわからないのだ。
いや「走れメロス」のよさはわかる。しかし「人間失格」ともなると、もうお手上げである。


ところが、年を取ってからたまたま太宰作品を手にしてみると、だんだんと太宰に惹かれるもの、というものが出てくる。
それは、文章からにじみ出てくる彼の弱さである。
弱さと言い切ってしまうとニュアンスが異なるのかもしれない。
繊細さ、社会との不適合、自己嫌悪、それでも精一杯虚勢を張って生きているんだという声にならない嘆き。


これでもまだまだ粗い。
太宰に共鳴するのは、その奥にある、言葉になる以前の感情とでも言うべきものか。


「生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す」


こういう文章を読むと、太宰の心情が察せられて胸を衝かれる。
太宰を知る、ということは、生きることの哀しみを知った、大人になるということなのかもしれない。


「子供より親が大事、と思いたい」「何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ」と自分に言い聞かせながら、夫婦の気まずさを嫌って、子育てに奮闘する妻を置いて、飲みに出てきてしまった、本物の太宰なのか、小説に仮託した自己の分身なのかわからない主人公が、桜桃をまずそうに食べる最後のシーンの余韻を、ついつい自分と重ね合わせてしまう。



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