笹原宏之「謎の漢字」 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

謎の漢字
――由来と変遷を調べてみれば


漢字を専門にしている学者が、ちょっと漢字のことで気になったことを調べてまとめてみました、というような本。
一番最初のクエスチョンからして「嫐」っていう字が、なぜJIS漢字として、すなわちこうやってパソコンで打てる字になったかわかりますか?というもの。
その理由を聞けばほうと納得するものであるが、地味だよね。
でも、この本の素晴らしいところは、答えを聞いて納得することよりも、学者のちょっと調べてみたという、このちょっとの中に、どれだけの時間と労力と熱量が込められているのか、というのを間近で感じられることにある。
調べるための考え方、具体的な方法、その得られたものと考察、結論、自分の出した結論に対する懐疑的な検証までが丁寧に記述されているから、著者と共に知的探求を行っているような錯覚を起こし、とても読み応えのある作品となっている。
極論を言えば、漢字になんかなんにも興味がないよという人にだって、この本は面白く感じられるのではないだろうか。


と、ここまで書いて「はじめに」にちょっと目を通してみたら、「この本は、有限の時間と体力の中で、脚光を浴びにくいテーマを含めて、漢字の『謎』に関してどこまで考え、調べると、どこまで分かるのかを追いかけるものである」(Pⅳ)と最初にこの本の目的が書いてあり、さも自分でこの本からつかみ取ったかのように書いてしまって恥ずかしく思っている。
が、本書の印象はまったくこの通りであるから、僕の感想もあながち的外れではないのだと、自分を慰めてみる。


現在、漢字は、パソコンやスマホなどを通じて、決まった形があるものという認識があるが、古来から、漢字は亀の甲羅に刻んだり、石に彫ったり、筆や鉛筆で手書きすることを通じて、デザインとしての漢字の形は揺れてきたことがわかる。
とめ、はね、払いは、こうでなくてはならないというのをこうまで厳格に言われるようになったのは、ごく最近の日本特有のことであるようだ。
漢字のもつ、歴史と文化の深さが感じ取れるよい本であった。


「終わりに」に、著者の学者としての矜持というか、心にとどめておきたい言葉があったので、書き留める。
「自身の価値観と合わない漢字観を何かに感じとっては攻撃的な言説を綴る人も少なくない。そうした情熱のわずかな部分でも、文字について新しいことを発見することに振り向けてもらえればと願っている」(P218)
「一人の人間にできることは有限である。与えられた時間は案外短い。しかし、集中して事に当たるならば、思わぬ力が発揮できるものである。かくいう筆者は今、周りのすべてを師と考えるようになっている」(P221)


これは、漢字に限ったことではなく、人生万般に通じる言葉として受け止めたい。
人生は短い。新しいことを発見することに、全力のエネルギーを注ぐ探求の人でありたい。

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