今年の夏に放送された、某テレビ局が制作したドラマが「歴史の歪曲」と批判されているとの新聞記事を読んだ。
ドラマ中で描かれた人物の御子孫が、テレビ局を相手に訴えを起こす方針だという。
これを受け、「ドラマによる歴史の改竄は許されるか?」と銘打ったシンポジウムが開かれたとも。
歴史に材を採った物語制作が宿命的に抱え込むこの問題は、物語制作に携わる者にとって悩ましい問題であるだけに、考えるための豊富な材料を与えてくれもする。
先人たちはこれとどう向き合ってきたのだろう。
明治10年、この問題と向き合った男がいた。
当時の歌舞伎界で押しも押されもせぬ狂言作者、河竹黙阿弥だ。
時あたかも文明開化と呼ばれる欧化政策のまっさかり。
明治政府は演劇もまた貴顕君子の鑑賞に堪え得るものたるべしとて、黙阿弥を初めとする狂言作者達を呼び出し、芝居の在り方を変えよと指示する。
どう変えよというのか。
「荒唐無稽の筋立てを廃し、歴史に忠実にやれ」
というのである。
かくて黙阿弥の筆になる「黄門紀童幼講釈」が書き上げられ、新富座で初日が開く。大当たりを取ったという。
ところがだ・・・
「史実を歪曲している」
と、クレームがついた。
声を上げたのは物語中で描かれた人物の子孫、依田学海(よだ がっかい)。
後に演劇改良運動の旗手となる学者だ。
誰しも自分の祖先が好ましからざる人物として描かれれば良い気はしない。いわんやそれが自分の眼に「史実を歪曲している」と映る場合においてをや。
そういう人間の心情は今も昔も変わらない。
今般の某テレビ局によるドラマの一件と、150年前のこの一件は見事に相似形を成しており、こうしたことは戯作(物語制作)が引き受けなければならない宿痾のようなものなのかもしれない。。
ただ、150年前のこの騒動は世論を巻き込んだ大変な騒ぎになったようだ。依田には発信力があったようで、依田はその発信力で狂言作者の無知を罵って憚らなかったという。そしてその批判の矛先は興行主である新富座と、筆を振るった黙阿弥に向けられた。
窮地に追い込まれた興行主である新富座の座元・守田勘彌は起死回生の企画として、3ヶ月前に終わったばかりの西南戦争を歌舞伎化することを思い付き、黙阿弥に西南戦争の事実を忠実に再現する台本を書かせようとする・・・
そうして黙阿弥は「西南雲晴朝東風(おきげぐもはらうあさごち)」を脱稿するのだが、この老狂言作者はどのような想いで筆を執ったろうか。
そこに想いを巡らせて書いたのが、来たる11月8日の独演会でネタ下ろしする「西南雲覚書(おきげぐもおぼえがき)」だ。
物語の内容自体は独演会で申し上げるとして、ここでは戯作と歴史叙述の乖離について少し考えてみたい。
西南戦争終結後わずか3ヶ月にしてこれを芝居にした黙阿弥を嚆矢として現在に至るまで、西南戦争や西郷隆盛を描き、あるいは論じた文筆家は枚挙にいとまがない。
日本最後の内戦といわれたこの騒擾と、その首魁とされた西郷の敗死という題材が、多くの文人学者に筆を執らせてきた背景には、それが日本の近代化の光と闇を考える上で避けて通れない必須の作業であったからではないかと思われる。
理の当然として、十人十色の見解が著わされる。
これに対し評論家の小林秀雄は、林房雄が書いた「西郷隆盛」を念頭に、昭和16年の新聞紙上でこういう。
「今日、歴史小説の問題が方々で論じられている様だが、僕には、やはり森鴎外が歴史小説を書く際に抱いた単純な原理、つまり歴史のうちに窺われる『自然』を尊重する念、それがぐらついている様では、ろくな歴史小説が出来上がる筈はあるまいと思う」(「小林秀雄全作品14 無常という事」P.56)
つまり生なかな解釈など棄て、歴史の方からその秘密を明かしてくれるようになるのを虚心な忍耐のうちに待てというのだ。
これは歴史を「勝手に解釈するな」という極論めいたことを言っているのではない。あくまで歴史に対する謙遜な態度を書き手に促している謂であるように思う。
そしてこの小林秀雄の云いを脳内のクリップボードに留めたまま、歴史学における言説に目を向けてみる。
例えばだが、歴史学者・池上俊一氏はその著「歴史学の作法」(東京大学出版会)の中で、歴史家・遅塚忠躬が主観性に彩られた歴史叙述に対する危機感からいう
「歯止めはどこにあるか。その一つは、主観的解釈から独立した客観的事実の実在を認めること」
だという言説を紹介した上で、自身の
「歴史とはまずはじめに、私の目から見た、私の心情が捉えた歴史になる、という面が避けられないのである。」
という考えを開陳している。
さて黙阿弥に戻る。
黙阿弥が西南戦争という題材とどのように向き合ったかということを考える時、まず踏まえなければならないのは、「この狂言の大家が身を置いていた戯作の世界は、歴史叙述における主観と客観、事実と解釈といった事々の埒外にあった」という大前提であろうと思う。
つまり浄瑠璃や歌舞伎狂言といった日本の近世戯作は、物語の背景設定として特定の時代・事件に「世界を借りる」ことはあっても、「史実はどうであったか」なんてえ事には主眼を置いてないのだ。
作る側、観る側も分かっている。世間の真実と板(舞台)の上の真実が似て非なるものであることを。
その双方の了解の上に成り立つのが日本の近世戯作の受容の場であり、そこに半世紀近くも身を置いた老狂言作者であったれば、
「史実に忠実にやれ」
とフロックコートのお役人が言おうとて、「さいでやんすか」と素直に従ったか、どうか・・・
事の顛末は11月8日の独演会で申し上げます。






