頭の中の整理術をご提供しています濱田香佳里です。
多言語国際交流を始めて18年になるのですが
今日は、今から10年以上前に、多言語国際交流の(一社)ヒッポファミリクラブの創始者
榊原陽さんが、
高校生で一年間交換留学にでかける子どもたちに向けて書かれた文章をご紹介したいと思います。
十代後半、最も多感な年齢である。
ともすると、そろそろ日常性に埋没し、
ことばが存在を離れて独り歩きし、
迷走し始める頃である。
そんな時期に、思い切って一年に近い留学の冒険に出発しようというのである。
すばらしいチャンスである。
人も、もちろんことばも、自分を取り巻く自然のすべてが違う
日常の世界に放り出される。
日常性とは、すべてのことが当たり前のことに見えてくることで、
鏡に映る自分の顔すら透明で何も見えなくなってしまうことであろう。
それに対して非日常性とは、
すべてが未知で新しく、
自分自身ですら、他人とのかかわりの中で、
その違いを鏡として自分を見つけていく世界のことであろう。
違いの発見こそが自分を知る唯一の方法なのである。
日常の中にこそ非日常があり、
非日常の中にこそ日常がある。
個別の体験だから、参加した人の数だけ、様々な出来事があるだろう。その個別な体験の背後に、
同じ人間だから、みんなで語り合えば、普遍的なことが見えてくるに違いない。
ヒッポファミリークラブに、
何かほかの世界よりすごいなといることがあるとすれば、その体験を聞いてくれる無数の人がいることだろう。
語ること(言語化すること)で、初めて人々にも、自分にとっても、どんな冒険だったか、
体験だったか、無限に広がって見えてくる。書くこともそうだ。
「楽しかった!」「つまらなかった、、、」だけではそれまでだ。ことばにすることで、初めて体験になるのである。
日本語でもどのことばでも、
語り続けるんだよ。聞いてあげ続けるんだよ。
ことばを歌え、こどもたち!