結構同じことを書いてきているなぁと思いつつ、書きます。
このブログの目的は、パワハラ被害者を励ますことでもあるからです。
自由心証主義という制度がある以上、日本のパワハラに対する認識が甘い現状ではパワハラ認定はされにくいのでしょう。
そもそも、裁判官になるような方々がくされた虐めを受けたような過去があるとも考えにくいです。
裁判官にとっては無数にある事件のうちの一つ、でも、訴えた人にとっては人生の大事件です。
自由な心証も結構ですが、きちんとルールに基づき、事実から判断をお願いしたいものです。
私は、パワハラ加害者が全力で会社、あるいは行政や司法に守られる現状が納得できません。
憲法、法律、方針等で人権侵害はダメと言ったその口で、パワハラを無かったことにするというのは、社会による弱者へのいじめです。
モラハラにも二次被害というものがありますが、まさにそれに近いものと言えるでしょう。
労働裁判では、ひどい目にあっているのに、なかなか事実認定がされないことが多いと思います。
当事者にとってはまるで自分のすべてを否定されたかのような絶望です。
加害者の行為が国に認められたかのような結果に、怒りを通り越して抜け殻になってしまうことでしょう。
単純な私は怒りに燃えましたが、被害者はそんなに心のエネルギーが残っていない。
泣き寝入りです。
やっぱり裁判官も人間、大きな企業の味方であるように私には思えます。
1000人以上の人間が所属する会社が経営不振になったら困るし、アナタ我慢しなさいよ、ってことなのではないかと。
やっぱり嫌ですよね、自分の判断のせいで大きな会社が潰れるなんて。
*もちろんまともな判断をする裁判官がいないとは思いません。
良く言いますよね、「いじめられたあなたにも原因があるのでは?」と。
でも、被害者に落ち度があることは、いじめられることと関係はありません。
まったく予想していなかった理由でパワハラ被害者になることは誰にでもあります。
テレビでみたり、職場で噂を聞いたりして、被害者にも落ち度があったんじゃないの~?と思っていても、実際に被害にあったら他人事ではなくなります。
その理不尽さに最初は怒り、だんだん気力を失って、自分が正しいかもわからなくなって、廃人状態になります。
言われた仕事をちゃんとやればいじめはなくなる。
態度やふるまいに気を付ければ相手も攻撃をやめるはず。
指摘された落ち度を改善するよう努力すれば認めてもらえるはず。
それは甘いです。
パワハラは、加害者が楽しいからやっているのです。
むしろ、むなしい努力をする被害者を見て悦んでいるのです。
認めてもらえるときなんて来ません。
他人が自分の思い通りになるのは快感だから。
気に入らない人間が抵抗して抵抗して、最後に折れたところをみるのが加害者の喜びだから。
被害者がどんなに努力しても、加害者の目的は被害者を教育・指導することではなく、加害者の心を満たすためのいじめを行うことなので、報われることはありません。
もし、教育・指導での能力向上が目的なら、指導する側の態度や言葉に棘があっても、もっといい関係が構築できるはずです。
パワハラはその性質上、被害者はもう加害者に関わりたくなかったり、思い出すだけでPTSDに悩まされたりするので、被害者が活動すること自体が難しいです。
加害者サイドはそれを知っているから、やりたい放題です。
私はその時代に生きていませんでしたが、昔、女性は参政権を持っていませんでした。
ほんの100年ほど前のことです。
もしかしたら、その当時は、同じ女性も「参政権を求めて活動する女性」を理解できなかった、あるいは受け入れられなかったかもしれません。
今でも、女性は家庭に入るべき・男の決めることに口を出すなという考えの若者がいるのだから、きっと当時はもっと反発があったことでしょう。
*家庭に入った女性を貶める発言ではありません。
家庭を維持することはとても難しいことで、私も家事育児を完璧にできません。
全てをきっちりやろうとしたら、専業でも重労働だと思います。
でも今は性別に関係なく参政権があるのが普通です。
そんな感じで、パワハラ被害者が堂々と人権を主張できる社会になればいいと思います。
むしろパワハラ加害者に冷たい視線が向けられるのが普通の社会に。
パワハラって軽い言葉に聞こえるけれど、人権侵害です。
被害者の人生は大きく狂います。
加害者は何のペナルティもありません。
そんな職場での指導や教育を騙った人権侵害はなぜか裁判では問題とされないことが多い。
酷い目にあったよ!というネット上の声は多く見ることができるけれど、
保育園の件のように、もっと多くの人が注目するような出来事がないと、やっぱりパワハラって認定されるようにならない。
というわけで、裁判で司法からも被害を受けた方には、もっと怒ってほしいです。
おかしいじゃないか!と。
誰も言ってくれないなら、この私が言います。
あなたは間違っていないのです。