「生き物の本質見つめる」はJT生命誌研究館館長の中村 桂子(なかむら・けいこ)さんの座右の銘です。 
中村桂子さんは1936年、東京都生まれ。生命の不思議さや素晴らしさを、一般の人たちと研究者が共に語り合うJT生命誌研究館(大阪府高槻市)は、93年の設立から昨年で20周年。記念シンポジウムなどの企画を重ねている。三菱化成生命科学研究所部長、早稲田大教授などを歴任。「科学者が人間であること」「生命誌の世界」など著書多数。

                                                     (中村桂子さん)
イメージ 1『愛(め)づる』ということ。物事の本質を考えるのが科学でしょ
 
その姫は、毛虫が好きだった。男の子たちに集めさせ、籠に入れて名前を付けたり、どんな風に成長するか観察したりして楽しんだ。
 侍女たちは気味悪がったが、姫は「世の中の人は、花やチョウを美しいと持てはやすけれど、本質にこそ趣はある。この毛虫がチョウになるのです」と言うのだった。
 平安時代の短編集「堤中納言物語」の「虫愛(め)づる姫君」を十数年前、友人の勧めで読み、「この子、立派な科学者じゃない!」と気付いた。
 見た目が美しいからではなく、じっくり見つめ、その生きる様子に触れて、さらに心ひかれていく。
「これが『愛づる』ということ。物事の本質を考えるのが科学でしょ」。以来、この言葉が、自身が提唱する「生命誌」のカギだと思うようになった。
 生命誌は、約38億年前に誕生した生命が、今の多様な生き物になるまでの歴史を、科学的に読み解く試み。人間も自然の中の生き物だととらえ直し、生きることの意味を探ろうとしてきた。
 ところが世の中は、幸せに生きることよりも、経済成長のためだけに、科学技術の振興を図ろうとしているように見える。「それを全て否定はしないけれど、人間が命を、まるで機械のように扱えると考えるのは間違っている」。東日本大震災を経て、その思いはますます強い。
 昨年9月、福島県喜多方市で、小学生が作った野菜を一緒に収穫した。とれたてのトウモロコシはとても甘く、みずみずしかった。
 人間が思うようにできない自然というものを日常の中で感じるにはどうすればいいかと考え、8年前、新聞に「小学校で農業を必修に」と書いたら、市から「ぜひ、やりたい」と連絡が来た。今、17ある市内の小学校全てが毎年、授業として米作りや野菜作りに取り組んでいる。
 子供たちの作文が手元にある。みんな「最初は嫌だった」「面倒くさかった」と思っていたのに、作物が少しずつ育っていく様子を見るうちに、命について考えるようになる。「葉で土が見えないほど、たくさんの大根が育っていた。大根は生きていると感じた」「お米の命の終わりは、それをいただく私たちの次の命のスタートにつながるのです」
 ここに「愛づる」がある、と思う。「この子たちにとって、お米や野菜は食べ物ではなく、生き物なの。『いただきます』と言うのは、私たちが生き物の命をいただいて生きているからなんです」
 
(読売新聞「言葉のアルバム」2014314日)
 
mont-livre