NHK文化センターで3回の講座をさせていただくことになりました!
『絶望文学館へようこそ
──眠れない夜に「読む薬」』
7/22「辞世の句」
8/26「身体から読む文学」
9/23「生きるかなしみ」
オンラインなので、全国からお申し込みいただけます!
また、それぞれ1週間のアーカイブ配信もあるので、
リアルタイム視聴でなくても大丈夫です!
ご都合のいい日のご都合のいい時間にご覧ください。
ぜひよろしくお願いいたします!
お申し込みはこちらから。
第1回目7/22「辞世の句」まで、
もう1カ月くらいになったので、ちょっと内容のご説明を。
死ぬときに残す言葉というと、「今までありがとう」とか「おかげで幸せだった」とか、今はそんな感じでしょう。
なにしろ死にそうなわけで、こったことは言えません。
でも、かつては、「辞世の句」というものを多くの人が残しています。
死ぬ間際のこともあれば、事前に用意してある場合もありますが、死という人生の最後の重大事に、句や歌を残すという習慣がありました。
たとえば、高杉晋作の「おもしろき こともなき世を おもしろく」は有名でしょう。
石川五右衛門の「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」も聞いたことのある人が多いかもしれません。
死ぬ前だからといって、悲愴なものばかりとは限りません。同じ盗人の亀五郎は、10両盗んで首を切られることになり、「万年も生きよと思う亀五郎 たった十両で首がスッポン」
海外の墓碑銘(お墓に刻まれた言葉)にも、なかなか面白いものがたくさんあります。
フランソワーズ・サガンの墓碑銘は、「フランソワーズ・サガン、安らかならず、ここに眠る」。
マルセル・デュシャンは、「死ぬのはいつも他人ばかり」。これは寺山修司が好きだったそうです。
句や歌は、余裕があるときに趣味で詠むというだけのものではありません。
人生で大変なことがあったとき、挫折したとき、悲しいとき、絶望したときに詠むものでもあると思います。
「そんなときに歌なんか詠めるか」というのは、じつはちがうのでは?
そんなことをさまざまな「辞世の句」をご紹介しながら、考えていけたらと思っています。
笑えるものから、泣けるもの、感動するもの、考えさせられるもの……「辞世の句」は、さすがに人生最後の句だけあって、奥深いです。
ぜひごいっしょに鑑賞していただければと思います。