『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』連載中の月刊『望星』3月号が発売に! | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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『絶望名人カフカの人生論』『絶望読書』『絶望図書館』、NHK『絶望名言』などの頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)です。
文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』を連載させていただいている

月刊『望星』(発行・東海教育研究所 発売・東海大学出版部)の3月号が発売になっています!

 

 

 

 

http://www.tokaiedu.co.jp/bosei/

 

よろしかったら、ぜひお読みください。

 

地味なおじさんがひとりで出てきて、もうよく知っている噺を、あらためてくり返して語る。こういう言い方をすると、落語って、ものすごく面白くなさそうです。でも、じつは「地味」「ひとり」「同じ噺」というところにこそ、派手な新しい噺を大勢でやるのではありえない、独自の面白さがあります。

 

その魅力のひとつは「細やかさ」ということではないかと思うのです。細やかさへの誘いが、日本の古典には共通してあるように思います。そこが、今の人にはすぐにはピントこないところかとも思います。今回はその「細やかさ」について書いてみました。

 

「失明宣告を受けた人間が、最後に見る眼で、街を描写すること」

小説家の安部公房が創作ノートに記していた言葉です。なんでもない風景でも、そういう眼なら、とても細やかに見ることができます。

「細やかさ」には、気づいているようでじつに気づいていない、新しい現実の発見があります。

 

この落語の連載も、あと1回、来月号で最終回です。

落語について、好き放題に書かせていただいた、じつに幸せな連載でした。

落語の起源は、じつは世界中の口承文学にあり、口承文学の語り口は、カフカのような前衛文学につながっていて、さらにまだ汲めども尽きぬ可能性を秘めています。

 

テーマが壮大すぎて、なかなかうまく書けませんでしたが、落語というのもが、「日本のもの」「古典芸能」「笑い」といった狭い範囲だけにおさまるものではないことを、少しでも感じていただけたら、嬉しいなあと思います。