ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』に出てくるカフカのエピソード | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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『絶望名人カフカの人生論』『絶望読書』『絶望図書館』、NHK『絶望名言』などの頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)です。
文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

このブログで教えていただいて、
別にメールでも教えていただいたのですが、
最近出た、
ポール・オースターの新刊、
『ブルックリン・フォリーズ』に、
カフカのエピソードが出てきます。

ブルックリン・フォリーズ/新潮社

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どういうエピソードかと言うと、

ある日、公園に散歩に出かけたカフカは、
わあわあ泣いている小さな女の子に出会います。
少女は、人形をなくして泣いていたのです。
カフカは、
「きみのお人形は、旅に出たんだよ」
と少女をなぐさめます。
「どうしてわかるの?」と少女。
「だって、ぼくのところにお人形から手紙が来たからさ」
少女はとても信じられないという顔をして、
「その手紙、持ってる?」
「いや、家においてきちゃった。
 でも、明日、持ってきてあげるよ」
少女は好奇心をそそられ、
悲しみを忘れてしまいます。

カフカは散歩をきりあげて、
すぐに家に戻りました。
お人形からの手紙を書くために。

翌日、少女は公園で待っていました。
カフカは少女に手紙を渡し、
まだ字の読めない少女に代わって、
手紙を読んできかせてあげます。

お人形からの手紙には、
少女のことは好きなのだが、
外に出て、別のところに行ってみたくなった、
と書いてあります。
そして、
「毎日手紙を書くね」
とも書いてありました。

そして実際、
カフカはそれから毎日、手紙を書きます。
それは3週間も続きます。
お人形は手紙の中で、
さまざな冒険の報告をします。
その過程で、お人形は成長していきます。
そして、お人形は、青年と出会い、
愛し合い、森で結婚式を行います。
そして2人で暮らしていくことに。

こうしてお人形は、
少女に別れを告げ、
手紙も終わりとなります。

でも、もう少女はさびしがりませんでした。
ただ、お人形がなくなってしまったのとは大違いだからです。
お人形はさまざまな冒険をして、
幸せな結婚までしたのです。
それをすべて自分に伝えてくれたのです。

当時、カフカはもうあまり病状がよくありませんでした。
死の前年でした。

「自分の時間を、じわじわ減ってますます貴重になっていく時間を犠牲にして、
 なくなった人形からの手紙を書く」
「ある日の午後公園でばったり会っただけの
 まったく赤の他人の子供を慰めるために。
 いったいどういう人間がそんなことをするでしょう?」
と『ブルックリン・フォリーズ』には書かれています。

このエピソードは、
ポール・オースターの創作ではなく、実話で、
カフカの最後を看取ったドーラという女性が、
思い出話として語ったものです。
日本でも翻訳が出ています。
この本に載っています。

回想のなかのカフカ―三十七人の証言/平凡社

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この本では、
ドーラ以外にも、
37人の人たちがカフカの思い出を語っていて、
とても興味深いです。
品切れになっているのが残念です。

たとえば、
保養地でカフカと出会ったことのある
ヘルミーネ・ベックという女性が、
こんなエピソードを語っています。

彼女はカフカは親しくなって、
文学の話をしたりしていたのですが、
あるとき、
一匹の蠅がうるさく飛び回るので、
彼女が蠅めがけて手を振り回したのだそうです。
するとカフカは厳しく言ったそうです。
「どうしてかわいそうな蠅をそっとしておいてやらないのですか」

カフカがこれほどまでにやさしいのは、
彼の弱さゆえでしょう。
叩くほうより、叩かれるほうに気持ちが向くのです。
ですから、彼は、弱いものや小さいものに対して、
とくにやさしいです。
小動物や虫などと、同じ目線のところがあります。

ヘルミーネ・ベックはカフカのことが忘れられず、
後年、カフカが亡くなったときに、
埋葬式に行ったそうです。
参列者は多くなかったと、彼女は書いています。
ただ、ひとりの女性が身も世もあらず泣いていたそうです。
それがドーラです。