「どうしてこういうタイトルに?」と、
取材のときも何度か聞かれました。
「変わったタイトル」という印象を持たれる方が多いようです。
私としては、
そんなに工夫したり悩んだりしてつけたわけではなく、
ごく自然なものでした。
まず、「絶望の名言集」にすることは、
決めていました。
そして、絶望している人に、
ぜひ手にとってほしいと思っていたので、
タイトルに「絶望」はぜひ入れたいと思っていました。
そして、
私は落語も大好きです。
洗顔や歯磨きのときはいつもかけているので、
聴かない日はありません。
落語では「名人」ということをよく言います。
今も「昭和の名人」というシリーズが刊行されていて、
私も購読しています。
隔週刊 落語 昭和の名人 アンコール 2012年 3/6号 [分冊百科]/著者不明

¥1,190
Amazon.co.jp
落語 昭和の名人
カフカの絶望っぷりは、
まさに「名人」と呼ぶにふさわしいのではないか。
そう思ったので、
「絶望名人」と、
これはもう原稿を書く前から決めていました。
けっこう、単純につけたんです。
たしか、「宗珉(そうみん)の滝」という噺だったと思いますが、
古今亭志ん朝さんが、
枕(本編の前の導入部)で、
「みなさんはよく名人、名人ということをおっしゃるが、
名人なんてものは、そういるもんじゃない。
上手はいるけど、名人は少ない」
というようなことをおっしゃっていました。
昔から「名人は上手の坂を一登り」という言葉もあるそうです。
上手と名人では格段の差がある、ということです。
では、どういうのが名人なのか?
左甚五郎と言えば、
これは大工の名人ですが、
この人の彫った龍は、
夜な夜な不忍池に水を飲みに行った。
これが名人だ、と言うのです(^^)
しかし、まあ、
「そういうウワサが立つほどの腕前だった」
と思えば、たしかに名人ですね。
こういう「作ったものが動き出した」
という名人伝説はよくあるのですが、
これはこれでなかなかバカにはできません。
たとえば「抜け雀」という噺では、
絵に描いた雀が抜け出して空を飛び、また絵の中に戻ります。
このとき、最初、筆で描いた時点では、
見た者が、
「そんなのちょっちょっと墨で汚しただけじゃないの。
いったい、何を描いたの?
何それ? わかんないから聞いてるんだよ」
などと言います。
ところが、空を飛ぶ、つまり魂が宿っている。
もちろん、作り話にはちがいありませんが、
「当時の名画は、必ずしも写実的なものではなかった」
「見た目はそっくりでなくても、
そこに本質がとらえられていると感じていた」
ということがわかります。
作り話によって、そういう真実が、
とてもわかりやすく伝わるわけです。
ウソが真実を伝えるという、
これも素朴な一例ではないかと思います。
話がズレましたが、
カフカの場合はどこが名人かと言うと、
普通、人の愚痴を長々聞かされれば、
聞いているほうまで気分が暗くなってしまいます。
ところが、カフカの場合は、
ひきずられて暗くなるということがありません。
あまりにも絶望が突き抜けていて、
かえって爽快感があり、笑えてくるほどです。
また、愚痴ばかり言う人というのは、
普通は嫌われやすいものですが、
カフカの場合は、
困った人だし、そばにいた人は大変だったろうとは思いますが、
読むほどに、カフカを好きになっていきます。
これは「名人」と言っていいのではないでしょうか。
カフカの右に出る人は、
まあちょっといないのではないかと思います。
さて、
この『絶望名人』というタイトルを決めて、
章立ても決めて、
編集者の方に相談したところ、
思いがけないダメ出しがありました。
「『絶望先生』というマンガがあります。
似てしまうので、やめたほうがいいです」
というのです。
これはショックでした。
それじゃあ、仕方ないからやめようかと、
いったんは思いました。
でも、もう頭の中で、
『絶望名人』で構想ができてしまっていて、
別のものを考えても、
どうしてもしっくりきません。
で、似てると言われてもいいのでと、
無理にお願いして、
そのまま『絶望名人』にしてしまった次第です。
章のタイトルだけでも変えたほうがいいと言われたのですが、
それもそのままにしてしまいました。
『絶望先生』のマンガは、
先に読んで影響を受けてしまうといけないので、
原稿を書き終えてから、読みました。
面白かったです!
意外に明るいマンガですが。
なんと、風浦可符香(ふうら・かふか)という女の子も出てきます。
可符香は、これはきっとカフカでしょう。
風浦は、フラウ(Frau 英語のミズ)のもじりかな?
糸色望先生に、
「『絶望名人』なんて似たタイトルの本が出て絶望した!」
に言ってもらえたりしたら、嬉しいんですが(^^)
なお、
私が最初に決めたタイトルは、
『絶望名人カフカの言葉』
でした。
それがなぜ、『人生論』になったのか?
それについては、また近々、書きたいと思います。