たまには異文化を学ぶことも大切です。

僕は本を買う時に好んでユダヤ人の書いた本を買います。

昨日読んだ本は「ユダヤ5000年の教え」です。

日本人とは少し違う思考回路があり、有名な話ですがユダヤ人は少数しかいないけど世界を動かしているとも言われておりますよね。

天才も多く、世界の歴代ノーベル賞受賞者の約20%がユダヤ人。
また世界のトップ400人の億万長者では15%も占めています。

義務教育、民主主義、解剖学、医学、福祉、裁判制度を世界で最初につくったのは古代ユダヤ人。

アインシュタイン、フロイト、ロスチャイルド、ドラッカー博士、ジョージ・ソロス、スピルバーグ監督・・・高名なユダヤ人の名を書くと電話帳になってしまうくらい優秀な人を世の中に輩出してきました。

そういう彼らが読んだ『タルムード』。そのタルムードには成功の秘訣がギッシリ詰まっている。

タルムードに出てくる言葉を格言として書きます。
「人が生きている限り奪うことが出来ないモノがある。それは『知識』である」
ユダヤ人は長い間家を焼かれ、土地を奪われ、財産を没収され、国から国へと追われた。そこで、ごく最近まで、ユダヤ人の子供は、幼い時から母親に、「世の中で一番大切なモノは何か?あなたが生きている限り、人があなたから奪えないモノは何か?」と聞かれ「金」とか「ダイアモンド」と答えると、「いいえ、それは知識です」と教えられてきた。

私も、幼いころに母親からそういって教えられた。

ユダヤ人は、着のみ着のままで逃げる時に、もっとも大切なものは知識であることを長い歴史を通じて覚え込んだ。

「金を貸すのは断ってもよいが、本を貸すのを拒んではいけない」
これは『タルムード』にのっている律法の一つである。

ユダヤ人は昔から『本の民族』とか『学問の民族』と呼ばれてきた。人間にたとえれば、ユダヤ人にとって学問は血のようなものであった。

いったい、血液が流れていない人間がいるものだろうか?それと同じように、学問の無いユダヤ人などは考えられないのである。

おそらく学ぶことを宗教的な義務にした民族は、世界に他には無かっただろう。

人間は、誰でも生まれてから少年期に達するまでに、言葉を覚える。それなのに、世界の各民族を見ると、近代が始まるまでエリート以外は大部分が読み書きできなかった。

しかし、ユダヤ人は言葉を習うとともに『聖書』や『タルムード』を学ぶために、読み書きを教えられたのである。

そして、学問は神の言葉であるから、万人の共有物であると考えられた。

ユダヤ人には、今日でも、この伝統が脈打っているのである。
「本は知識を与え、人生は知恵を与える」
知識と知恵が違うことを現代人は忘れているようだ。

100年、500年、1000年前と比べれば、人間がもっている知識の量は膨大なものであり、途方もないまでに増えている。

しかし、『タルムード』をはじめとするユダヤの古典を読むと、人生の知恵においては、かえって人間は退歩しているようである。

ユダヤの家庭では、一週間に1日ある安息日には、家族が集まり、父が子に『聖書』や『タルムード』を教える。

安息日は家族の日なのだ。

そこで、今日でも安息日にはユダヤ人は滅多に旅行しない。ビジネスマンも、この日にかからないように出張する。

ユダヤ人は、教育といえば、学校という公共の教育施設よりも、家庭を思い浮かべる。家庭における教育を重視するのだ。
というのは、子供たちは学校では知識を学ぶが、家庭において知恵を教えられるからである。そして子供たちの生活の中心は家庭にある。

今日、多くの日本の青年が、大学で知識ばかり教えられ、知恵を教えられないために、魅力を欠いた人として社会人になっている。

教育だけでは、人は豊かな人格をもてない。

知恵が加わって、教養となる。教育があっても、教養の無い人は落伍してゆく。

ユダヤ人は知識は進んでも、知恵は昔と変わらないと確信している。だからこそ、5000年以上も前の聖書やタルムードを尊重しているのである。

知識を書いている本と、知恵を書いている本は、はっきり区別されるのだ。

知識の本とともに、知恵の本も読まなければならない。
「多くの者は考えることをしたくないので、逃れるために本を読む」
タルムードの言葉であるが、このような言葉が、数千年も前に書かれたことは驚くべきことである。
ユダヤ人は古代から『本の民族』として、異民族に知られてきた。

歴史を通じて世界でもっとも教育に熱心な民族であったのだ。

もちろん、古代には本の数が少なかった。それでもこのような警句が生まれるほど、ユダヤ人は本をよく読んだのである。

本を読むことと、本から学ぶことは、2つの違うことである。たとえば『聖書』では読むものではなく学ぶものである。

現代では、人々は数万という新聞や雑誌や本に取り囲まれて生活をしている。情報の氾濫だ。

そして人々は本を読んでも、自分で考えることをしない。


「本を読むだけで考えないのなら、いくら読んでも、ロバ(愚か者)が本を大量に乗せて歩いているのと変わらない」と『タルムード』はいっている。
「愚か者にとって老年は冬である。賢者にとって、老年は黄金期である」
人間は、みな年をとってゆく。
では、若いうちに何をしたらよいのだろうか?

「文章を書くことは、小切手を書くのに似ている。思想がないのに文章を書こうとするのは、銀行に残高がないのに小切手を書こうとするようなものだ」


「国王は国を支配するが、賢人は国王を支配する」


「年寄りは自分が二度と若返らないことを知っているが、若者は自分が年をとることを忘れている」



知識と知恵は違うことを認識することが大切です。

全てはここから始まるかもしれない。。

僕はこのブログでは未来の起きることを予想して書いてますが、これは知恵を活用しています。

自民党の総裁選で安倍氏が石破氏に勝利したときから「金融緩和」「公共事業」と言っていました。
これで円安になり、公共事業では雇用が進み、消費も増えることを予見して、10年で200兆円と金額聞いてバブルへ向かうことを予見しました。

今は株高・円安をテレビで言っていますが、当時から見えていた未来です。

じつは・・・僕は・・・内緒ですが・・・知恵は自信あります!

この知恵はユダヤの本、中国古典、歴史小説を読んで鍛えられたものです。



それにしても・・・老後に備えなくちゃ。。


中国古典に「知勇兼ね備えなければ大成しない」ようなことが書いてあった本がありましたが、知識・知恵そして行動が合わさったときに、偉大な力を発揮します。