すずらん館の七夕


笹がなかったので、このように壁に貼り付けてみました。


様々な願いを込めています!!


私も書きましたよ。


七夕アートご覧ください。


グループホーム「花縁」物語



自分のことだから。

自分のケアプランだから、自分で決めよう。


自立支援、自己決定等々、個人を尊重し、本人本意の生活を送れるように支援していこう!!


だから自分が何をしたくて、どう行きたいか一緒に考えようではないか。


考えてみれば、当たり前のことだ。

自分のケアプランを自分で考えるんだ。


そこで、先日あるじじ様にカンファレンスに参加していただき、自分の毎日について一緒に話し合ってみた。


私たちはこんな風に考えてみました、とひとつずつ説明した。

じじ様は「そうですね。」「そうだね。」と感心して聞いてくれた。


説明するだけではなく、これについて「どう思いますか?」と聞いてみた。

そしたらじじ様は積極的に自分の毎日について要望を言ってくれた。


たとえば、歌が好きなのでみんなで一緒に歌を歌ったりしましょう。

というような項目のときなんか、

『そうですね・・・10日にいっぺんくらいがいいですかね。』

と想像してくれた。


そのあとも、時々天気のいい日は外で日向ぼっこしましょう。

なんて言っても、

『そうですね・・・10日にいっぺんくらいは行きたいですね・・・・・』


そのほかのことについてもこれが続いた。

そしてもっと具体的に

『10日にいっぺんくらい・・・・・「五」のつく日、5、15、25・・・・・ということにしましょうかね』


考え始めたら結構一生懸命考えて想像してくれた。


自分のことだから。


ケアプランのニーズには

「120歳まで元気でいたい」と書かれてある。

自分の思い通りに暮らして、120歳まで生きていただこう!!!


病院(医者のいる施設)でないところで、人が死ぬということ。


それが、いまは、こんなにも難しい世の中になった。


死ぬこともまた、生きることであるからこそ、同じように見つめていきたい。


しかし、やはり、死ぬことは一大事なわけで、「ピンピンコロリ」は夢のまた夢のようだ。




わたしたちは、これから、どこに向かって生きていったらいいのか。


わたしたちは、これから、どんなふうに死んでいったらいいのか。



何もかも、縦割りのものの見方ではなく、そろそろ平面でとらえた「人の生き方」ができるように、手をつないで考えようではないですか?


13日、ときわ館で『看取り』をさせていただいたおばあちゃんがいる。


とても陽気で、歌が上手くて、頭がよくて、トマトが大好きなTさんだ。


「3月3日にブスが産まれたの」と自分が3月3日生まれなのにブスだから、お友達のキミちゃんがうらやましいと、いつも言っていた。


キミちゃんは聞いているのか聞いていないのか・・・・・

だってキミちゃんの本当の名前はキミちゃんじゃない。

いつからか、Tさんはそう思い込んでしまったのだった。


Tさんは花縁に来る前、ほかのグループホームに入居していた。

事情があって花縁ときわ館が開設のときに入居することになった。


入居するときご家族は非常にリロケーションダメージを気にしていた。

考えて考えて、ご本人が少しでも納得のいくように移り住みをしたいと考えていたようだ。


それには理由があったようだ。


前のグループホームでのことがその理由の背景にあるようだ。


前のグループホームでは娘様が面会に行くたびに『帰りたい。連れてって。ここにはいたくないの』といい、娘様が帰る時必ず『もう帰るの・・・・・今度いつ来るの・・・・・』とすがっていたのだという。


本来であれば、一緒に家で暮らし、母親の面倒を看たいところだが、それは不可能なので、しかたなくグループホームに入居してもらっている。

そんな負い目を感じているからなおのこと、娘様はTさんに対して申し訳ない、かわいそうなことをさせていると思っていた。


だから別のグループホームに移ることになっても、家に帰りたいと願うTさんには言えず、考えて考えて準備をして、ご本人の負担のないように移り住みを決行したのである。


花縁に移ってきても面会に行くたびに『帰りたいの、ここにはいたくないの・・・』といわれたらどうしよう。

そういわれてももう前のところには戻れないし、他の施設もないだろう。


しかし、花縁に入ってみてご家族の不安な想いはなくなった。

面会に行ってもご本人の苦痛そうな様子はなく、『ここの人たちはいい人たちばかりだよ、ここはいいところだよ』と言うようになったのだという。


花縁に来てからは一度も『帰りたい・・・』と泣き顔になることはなかったという。


これには娘様も驚いた。

どうして前のグループホームではいつも嫌だったのでしょうね・・・・・


そう振り返っている。



花縁ではみんなの人気者だった。


時々ご機嫌斜めになっちゃうこともあったけど、褒め上手で、物事をはっきり言うので、誰からも好かれる人だった。


Tさんがいるとすぐに歌が飛び出して、場面が明るくなっていく。


ご飯の最中までも歌いだしてしまっていたね。


花縁のみんなはばばちゃんのことが大好きだよ。



本日、告別式に行ってきた。


少女のようなきれいな顔で、ぜんぜんブスじゃなかったよ。

お花にいっぱい囲まれて、少し微笑んでいるようだ。

大好きだったトマト、トマトゼリー、メロン、スイカが並んでいたね。


食べたかなぁ・・・・・


『よかちん!』って言っているかなぁ・・・・・。



またひとつお別れをした。


でもみんなの心の中に生きている。


ばばちゃん、ありがとう。



幻聴があって、困惑してしまうおじいちゃんがいる。


おじいちゃんは、夜眠って90分後に誰かとしゃべりながら出てくる。

何かが聞こえている。


そして怒っている。


理由はわからないが怒っている。


もしかしたらレビー小体型認知症がまじっているのではないかと考えた。

確定診断を受けたわけではない。


でも幻聴と話していることは事実である。

それも夜間だけである。


いつもは笑顔の素敵な、元気で陽気なおじいちゃんである。

しかし、困惑があると不機嫌になり、スタッフに絡んだり、怒ったりして興奮してしまう。

暴力にまでは発展しないが、おじいちゃんの顔は怒っているし困った顔になっている。



うちのスタッフは『幻聴』に焦点を当てた。


●『幻聴』とは?

頭の中で聴こえる(声)・・・・・「内語」・過去の記憶にある他者の声や物音がフラッシュバックする現象。

★「内語」とは、本人の思考が音や声、言葉として認識されたものである。(頭の中で)

★幻聴として聴こえる(声)(言葉)等は、過去に誰かに言われた言葉や、本人の中にある潜在的な不安、心配事、嫌なこと等が主であることが多い。また、それらが心身(脳)の疾患により、自らの記憶や内語と認識できなくなり、生じる症状である。

★考想化声とは、自分が頭の中で考えていることが自分以外のものが発する声として認識されてしまう現象を言う。




そして、レビー小体型認知症も調べた。

●レビー小体型認知症の特徴

★レム睡眠障害がある。急に覚醒したり、話し出したり、怒ったり等の行動。

★海馬機能が比較的保たれており、短期記憶障害が少なかったり出来事を覚えていられることが多い。

★日中の活動において、嫌なこと、不安なことがあると嫌な夢を見やすく、レム睡眠障害を起こしやすい。



そして、肝心の幻聴の会話の内容。

誰かの声に反応し(幻聴)答えているが、その内容はいつも一緒。

おじいちゃんの言葉は『何なのよ!誰よ!?』『これでいいのか!?』『頭変になった!!』『どこ行ったのよ?!』

このように疑問形が多く、何度もたずねることが多く、納得ができない様子。



これまでのことを分析し、おじいちゃんの立場に立って、おじいちゃんが何を想い、どんな感情でいるのかを想像してみた。


おじいちゃんの毎日の生活はどうだろう。

おじいちゃんは、わからないこと、知らないことが多いから、トイレの場所や外を歩いて帰ってくるときの道のりは、きっとわからないと勝手に判断し、常にそのような状況下では、丁寧にお教えしていた。


場所や方向や方法、動作までも繋がらないときがあり、「何よ、これでいいのか!!」を繰り返すため、ゆっくり丁寧に敬意を払ってお教えしていた。


そんなときでも、おじいちゃんは不愉快そうになったり、『いや~あんたすごいな、頭いいなぁ!!』と妙に感心したりする。


この日常のスタッフとのやり取りの会話が、幻聴として聴こえてくる会話と似ていることに気付く。


教えられるということは、わからない人と認識しているのではないか。

だから、「頭が変になった」といい「あんた頭いいなぁ」と他人に感心するのではないか。


元々のおじいちゃんは、まじめで、厳格な性格の男性であり、頼られたり、慕われたりすることが多かった。

それが今では、頼られるどころか、教えられるばかりである、ということに自分の存在価値とのズレを認識しているのではないか。

伝えたいことや伝えられることが上手く表出できないことに対してのふがいなさを感じていてそれがフラストレーションになっているのではないか。


そして、

こんなおじいちゃんは、スタッフが困っていたり、悩んでいたりすると、親身になってくれて、一緒になって困ってくれる面を、まだたくさん持っていることに着眼した。



そこでこんな関わり方の変革に着手したのである。


まず、教えられる人、わからない人からの脱却。

おじいちゃんがトイレに行きそうになる前に、スタッフがトイレに行きたいとおじいちゃんに相談する。場所がわからないから連れて行ってほしいと相談する。そしたらおじいちゃんは、「どらどら、つれてってやる・・・」と一生懸命トイレを探してくれた。そして見事トイレを見つけ、スタッフに教えてくれた。スタッフは排尿を済ませた振りをして出てきて、おじいちゃんに「ありがとう」をいい、トイレを促してみる。そうしたら、「おれもしていくか」とすぐにトイレに入り、何の声掛けも必要なくスムーズに排尿動作ができた。


様々な場面で、このような関わりの工夫をたくさんしていった。


これをヒントに日常生活の中で、おじいちゃんが教えられる人と認識してしまわないような関わりを徹底して行った。


わたしたちが勝手に思い込んだ「わからないおじいちゃん」から、「わかるおじいちゃん、できるおじいちゃん」をみつけることができた。


日中の「教えられる人」「わからない人」からくる幻聴だとしたら、この新しい関わりで幻聴の種類を変えることができるのではないかと気付いたのである。


結果、幻聴の種類は変わったのである。

怒って起きてくることはほとんどなくなっただけでなく、時には笑っているのだという。

「頭変になった」もめっきり少なくなったという。


この取り組みのさらに1年前にも夜間のおじいちゃんの言葉に着目したことがあった。

そのときもやはり夜間急に『俺は偉いんだぞ!!』と言って不機嫌に起きてきた。


それを気にかけたスタッフは、このときも関わりを見直すことにした。

陽気で明るく、元気なおじいちゃんは「○○ちゃん!」と名前で呼ばれることが多かった。

楽しいときはフレンドリーでいいのだが、そうでないときは不快そうな顔つきになり、不機嫌に怒ってしまうこともあった。

そんなときのその夜間の言葉に、スタッフたちはちゃんづけの呼び方を改めた。

きちんと苗字にさんをつけて呼び、丁寧に敬語で関わるようにしたのである。

その結果、怒って出てくることが減っていったのである。


それから1年、時間の経過と共に、おじいちゃんの状態も変化し、幻聴の内容も変化していった結果だったのではないだろうか。



聴こえるのはその人の中にある声。

だからその人の中にある声を変えることによって、幻聴の種類を変える。


ここに気付くなんてすごいと思う。

幻聴は幻聴だからもうしかたがない。って思わないだろうか。

それを種類を変えて、結果気分を変えることができるなんて、すごいひらめき!!

幻聴をなくすことはできないけれど、種類が変えられれば心地よい毎日が送れるよね。


すごいでしょ!


おじいちゃんは今日も笑って起きてくるのかな?!



幻聴でお困りの方、チャレンジしてみてください!




陸前高田に医療チームとして派遣された娘たちが取った写真をご紹介します。


被災したその後の街
グループホーム「花縁」物語



一本残ったこの木は街のシンボルとして

こんなポスターになった。
グループホーム「花縁」物語



あちこちにこんなスローガンで
グループホーム「花縁」物語



ポスターが貼られている。
グループホーム「花縁」物語




グループホーム「花縁」物語



グループホーム「花縁」物語


こんなことばも、いろんなところで。
グループホーム「花縁」物語



そして街のはずれには、こんな看板で見送ってくれている。
グループホーム「花縁」物語


こちらこそ、力をもらっているようだ。


一緒に頑張ろう。


ありがとう!ありがとう!




とあるグループホームの話です。


要介護3で入居したおばあちゃんは、「施設に入らなければならない人になってしまった」と心が折れそうになり、自分を律することができなくなっていた。


食欲もなく、体力も衰えていて(たぶん気力をなくしてしまった?)、栄養状態が悪かったらしく全身状態もよくなかった。


まず全身状態を立て直すところからの支援が始まった。

スタッフの関わりによって徐々に体力を取り戻していく。


そんな中、そこの施設長はセンター方式を取り入れて、彼女の今の姿から、彼女のあるべき姿を探りはじめた。


彼女の今までの人生をたどっていくうちに、彼女が『飯寿司』を作っていたことを知る。

そして彼女が作りたいと言っていることを確認した。


これが全ての始まりだった。

彼女と一緒に飯寿司を作ってみたい。

彼女に飯寿司を作ってもらいたい。


なんと彼女はおいいしい『飯寿司』を作ることができたという。

さまざまな方たちの支援を受けて、そのために水産加工工場(保健所の許可も得て)をつくり、そこで作っているのだという。


話を聞いていた施設長の仲間たちは、「わたしも食べたい」と口々に言った。

食べれた人によると『大変おいしかった』ということだった。


彼女自身も、「施設に入ったのに、こんなことをさせてもらえるなんて思わなかった。みんなにこの作り方を伝えたい。みんなに教えてこの作り方を覚えてもらって、次々に伝えてもらいたい」と活き活きとした人生に変わって行ったという。

そして要介護3から1に介護度が上がったのだという。


GHスタッフはみんなで喜んだ!!


とあるグループホームの取り組みとして、こんなすばらしいことが行われていることに、わたしは感激した。


常々、グループホームをやっているけれど、認知症の支援をしているという意識からどんどん遠ざかっていくのを感じていた。


認知症に対して何かをする、のではなく『人』が活き活きと生きれるように考えている意識が強くなっている。


「認知症ケア」なんてものではなく、『人』への支援をしている。

「介護」しているのではなく、「生活の支援」をしている。


だからこのグループホームでのこの取り組みに仲間たちは感銘している。



しかし、このGHの地域の行政が「もう作るな」という指導をしているのだというから驚いた。


理由は「人権蹂躙、虐待にあたる」ということ。


運営推進会議でも話題になったが、その議事録からそのテーマを削除するように言われたのだという。


なんということだろう・・・・・


そして「・・・らしい介護をしてください」と言ったと言う。


なんということだろう・・・・・


らしい介護。


彼女は活き活きと生きる姿を取り戻しただけでなく、その結果として要介護の状態も2ランクもアップし、保険者としては保険料が減るわけだから、感謝しても非難し指導をする対象ではないのではないか。


飯寿司が作れなくなった彼女はやる気をなくし気力を失いかけている。

そんな彼女に今後どうしていったらいいかわからないと、行政にぶつけてみたら「それはあなたたちの仕事なのだから、代わりのケアを見つけ支援したらいい」という返答だったという。


めちゃくちゃだ。


これをどのようにとらえ、次に進んだらいいか、みんなで考えたい。

介護が仕事になり、介護が保険制度になったからややこやしい。

だから生活支援士がいいと思うのだ。


この飯寿司の取り組みが介護支援ではないのだという。


なんということだろう・・・・・


みなさんはどう思いますか??


こんなことで行政と戦うという意識を持たなければならないのは残念である。


行政の担当者の考えや価値観の違いで、理不尽な思いをすることは少なくない。


でもこのケースはそれだけでは済まされない多くの課題・問題を含んでいるように思う。






わたしは『介護』ということばが嫌いだ。


いつごろからかは忘れたけれど、なんで「介護福祉士」なんて資格ができちゃったんだろう・・・・・・って思っていた。


自分が看護師で、高齢者の看護をしていて、わたしたちのするべき仕事を介護婦さんに代わりにしてもらっている、と思っていたからだ。

本来、看護師の仕事の一部として「介護」が在ると思っていたわたしには、看護から介護が外れてしまったようで、残念だったからだ。


そもそも看護の中には、むしろ看護の大前提、もしくわ基本中の基本は介護なのだから。


だから、わたしは『介護』という新しい仕事ができたことには首をかしげていた。


しかし、もう今となってはこの世になくてはならない仕事として、いなくては困る人として『介護福祉士』がいることは間違いない。


だから彼らにはもちろん頑張ってもらいたい。




けれど別の意味で『介護』ということばに抵抗がある。


最近は「自立支援」や「主体的な思いを引き出す」など、じじ様ばば様自身が何かを発信し、思いが成し遂げられるように工夫した支援を心がけているではないか。


自分の意思を表出し、自分の人生を生きる姿が、何より「自分らしく生きる」ことになるのではないか。


その姿を引き出すのが、わたしたちの専門性。

だからセンター方式だったり、パーソン・センタード・ケアだったり・・・


そのとき『介護』ということばは、そんな思考を展開していく上で大きな弊害になっていると思う。


できないことを手伝う、補う、助ける・・・・・などのように弱い人への支援というイメージがある。

だから、家事や仕事ができる人に、それをしてもらうことは弱者をいじめてしまうことになるのだろう。

弱い人は守らなければならないと・・・・・


ナンセンスだ。


今認知症介護は新しい時代に突入している。

認知症があっても自分の存在を存分に発揮し活き活きと生きることができるということを、わたしたちは花縁のじじ様ばば様をみて実感してきた。


人は「施しを受けたい」「なんでも人に手伝ってもらいたい」と思いながら生きているわけではない。

どんな姿になっても自分のお尻くらい自分で拭きたいのである。

どうやったらできるかを支援するのがわたしたちの専門性である。


たまたま認知症になっただけである。


どんな障害を持ったって、社会の中で必要とされる人はいくらでもいる。

いや、必要とされている部分をわたしたちが見つけるんだ。

それが自分にとっても楽しいし、そこに誇りを持っている。


だから介護福祉士ではなくて、『生活支援士』に名称を変えようではないか!


生活を支援する人。


生きることを支援する人。


この考えをどうやったら広めていくことができるだろう。


日本の将来がかかっていると、わたしは思うが。


千羽鶴

グループホーム「花縁」物語


今、娘が医療チームの一人として被災地に行っている。


あの日以来、うちの小規模多機能事業所で千羽鶴を折っていた。


段ボールに一つになった鶴たちをどうしたらいいか思案しているときに、娘の派遣が決まったので、彼女に持って行ってもらった。


同行する方たちも快く、「優先的に入れましょう」とワゴン車の中に入れさせてもらったのだ。


そして今日、今、この写真が届いた。


想いを届けることができたね。


飾ってくれてありがとう。



昨日現地入りした娘からは、運転する車の中から、街並みを見てこんな感想を話してくれた。


『言葉にならない、なんで、なんでと思うだけ、涙をこらえるのに必死だった』


『でも、ここの人たちはすごいよ。空港を降りたところから「前よりもいい街にしよう!」や「私たちは頑張ります!」というようなメッセージがあちこちにたくさんあるんだ。だからすごいよ!みんな強いなぁ・・・・・!って思う』


帰ってきたら、またたくさんお話を聞こう。


そしたらこのブログで紹介しますね。


花縁・花縁ときわ館・花縁すずらん館では募金箱を設置し、東日本大震災への義援金募金を行っておりました。


4月6日52,817円

4月26日6,110円


合計58,927円

を『一般社団法人北海道認知症グループホーム協会』へ送金してきました。


花縁の募金箱にご協力くださった皆様!本当にありがとうございました!!


こんなにたくさん集まりましたよ!!


一般社団法人北海道認知症グループホーム協会へ集まった金額は、


4月28日現在、義援金額:3,865,956円となりました。


ご協力いただき、本当にありがとうございました。


皆様の思いに深く深く感謝いたします。


是非効率的かつ有効的にみなさんに使っていただきたいと、切に願います。


どうかよろしくお願いします。