とうさんはすごいね。


「老人クラブを作りたいんだ」と言った時のこと覚えている?

それはとうさんが「花縁」という社会の一員として生きていくことを決めてくれた日だったんじゃないの?

わたしはそう思っているんだ。


家に帰って暮らすことができなくて、家族からもないがしろにされていると感じて、首を吊るまねっ子をしてみせて、そんな思いでいたとうさんが自分の生きざまを見直して、多くの人に喜んでもらいたいという気持ちから「老人クラブ」を作ると言った。


何よりもみんなに楽しんで、喜んでもらうことが目的だったよね。

みんなが喜ぶことをしたいと。

みんなが喜ぶ顔が見たいと。

それが目的だったよね。


やっぱり人はいくつになっても誰かのために頑張ることを忘れない。

人のためになることが、人の役に立つことが、人が生きていくためには必要なことなんだということを教えてくれたんだよ。


実践パーソン・センタード・ケアという本を読む前に、とうさんからわたしは教えてもらった。そう思っている。


ありがとう、とうさん。


いまでは老人クラブから婦人部、そして青年団まで広がったでしょ。

とうさんはこの組織の創設者だからね。

その功績は大きいよ。


これからも見ていてね。

とうさんを見習いながら取り組んでいくから。

わたしたちの方向性はとうさんの功績から見つけ出すから。


それがとうさんに対しての恩返しだと思うから。


ありがとう、とうさん。

ありがとう、とうさん。

ありがとう、とうさん。


安らかにお眠りください。


ありがとう、とうさん。


とうさんが花縁に戻って来れないことが確実になって。


残念でならない。


満足できない。


後悔が残る。


戻してほしい、もとのとうさんに。



なぜこんな風に悔やんでしまうのか。

もちろん治療の選択にも後悔をしているがそれは今後につなげる可能性を残しているということで解消できるかもしれない。


そこではなくてそれよりも悔やんでいることがある。

それはとうさんの今の環境だ。


いまの環境はとうさんが人間として感じられず、ただそこにいる療養者のひとりにしか過ぎないように感じることだ。


とうさんに声をかけてくれるスタッフはいないように見える。

おまけに今になって「話できるの?!」と言ったスタッフがいたと聞いた。

そうして「歩いていたの?!」と付け加えたという。

ひげがはえててもそのままだし、点滴のアラームが鳴っていても鳴りっぱなし。

鳴っているのを止めにきても、なんの説明もなし。

点滴の交換時も一言も発することはない。


ここに寝ているのはだれ?

だれではなくてなに?という印象を受ける。


とうさんのことを知らない人たちばかりいるわけだから、とうさんとの昔話もできないのはわかる。

とうさんのこと知らない人たちばかりだから触発するような会話も思い浮かばないのだろう。


しかしそういう問題なのだろうか。

そうではない。

絶対にそうではない。

そうであってはならない。


いまのとうさんに必要なことをしてくれればいい。

それは点滴だとか、注射だとか、傷の処置だとかだけではない。


こころのケアだよ。


こころのケアをするのが看護師と介護士の役割ではないのか。

ナイチンゲールの精神はどこにあるの?


あなたを大切に思います。

あなたのことが心配です。

あなたの心地よいはなんですか?

あなたの安心はどこですか?

あなたの尊厳を守ります。


こういうことがこころのケアなんじゃないの。

意識が朦朧としている今だからこそこれが必要なんじゃないのか。


これは花縁で6名の看取りを経験させていただいて学んだ最大の宝だ。

これはわたしたちの大きな自信に繋がった。

それが日々のケアにも活かされているし、花縁の隅々に彼らの足跡があるようにその経験が生きている。


いまのとうさんにこれをしたいと強く思った。

わたしたちなら出来るはず。

大きなうぬぼれなのかもしれないけれど、いまのとうさんにこれがないからそれが大きな後悔になっているのだと気づいたんだ。


これまでの経験のすべてを活かして、わたしたちにとって大切なとうさんに最大限のこころのケアを提供したいと強く思った。

それができない悔しさでいっぱいになる。


とうさんにはわたしたちの手で直接心を届けたい。

それだけとうさんには沢山のこと大きなことを学ばせてもらったんだもの。

最期のステージはわたしたちで包みたい。


ごめんね、とうさん、それができなくて。



とうとうとうさんは花縁に戻って来れないと言われてしまった。


良くない状態が続いている。

とうていグループホームで生活できるとは思えない状態だ。

詳しく書くのは避けるがこの状態がきっと続くのだと思う。


今までの経過を振り返ってみた。


なにがどうしてこうなったのか。

しかしなにがどうしてどうなったのかは考えてもそれが正しいかどうかもわからない。

今となってはわからない。


それにそのときとった行動は、そのときは一番正しい方法だと思っているから。

決して悪くなる様にしたいと思っているわけではないということはわかっているから。


でも考えたいと思った。

先生にもそれを投掛けてきた。

考えたいと応えてくれた。


一緒に考えよう。

複雑な想い。


とうさんが生きる希望を失くしてから約1ヶ月が経つ。

繰り返すが肺炎の治療のための入院だった。

それがどういうわけか生きる意欲を失わせていた。


「毒を盛られた」

「死んだほうがましだ」

「おれはもうだめだ」

そう言わせたものはなんだったのか。

探ってみたいと思うのは私だけか。



けれどそこにもうひとつホスピタリティーがあればまだ心は癒される。

しかしそこにはそれさえもない。


人を人扱いしていると感じられないし、施しのためだけの道具に見えてしまう。


どんなに意識が朦朧としていてもされる処置に説明がいるだろう。

どんなに意識が朦朧としていても励まし、支え、苦悩を読み取る感性がいるだろう。

どんなに認知症の症状があっても人として扱われ「尊厳」を一緒に考える場所がいるだろう。

どんなに認知症の症状があって、意識が朦朧としていても苦痛や不安に対するサポートが必要だろう。


いったいこのひとをどうしたいのか?

いったいとうさんにどうなってほしいのか?

いったい何が目標なのか?

探ってみたいと思うのは私だけか。


この経験を無駄にしないために。



こんなことがあった。


85歳、女性、認知症はない。

整形外科的な疾患が数多くあり、歩行を含めて人の手を借りないとおぼつかない状態の日常生活を送っている。

このたびある臓器に癌が見つかった。


応急処置を施して元気になり食事もおいしく食べられるようになった。


癌ができた場所は難しい臓器で、もし手術をするとしたら若い成人でもかなり負担の大きい手術になるという。

この年齢、身体状況であれば尚のこと、手術をすればおそらく管だらけになり、寝たきりになるし、認知症も発症するであろうと予測がつくという。

手術をしないのであれば抗がん剤の投与ということがあるが、効くか効かないかわからない抗がん剤を使用し、副作用で体調を崩すのは明らかで、得策ではない。

何度も病院に通わなくてはいけない負担も発生する。


この二つの行為を主治医は「わたしとしては勧めたくない。いま応急処置で元気になり食事をおいしく食べられているのであればこのまま様子を見ていくほうがいいと思う。」そう助言してくれた。


間違いなくこの「癌」で亡くなることは確実です。

手術をして寝たきりになってしまう(また手術に耐えられず亡くなるかもしれない)、抗がん剤で食事も食べられず苦しい思いをし続ける。。。。。

こんな状態で死を迎えるのと、今の状態を少しでも長く続けて死を迎えるのとどちらがいいですか。


その主治医はそういう問いかけをしてくれた。

わたしには非常にわかりやすかった。

非常にわかりやすい。


先生は病気だけを見ているのではない。

ご本人の状況を理解し、ご本人にとってのQOLをどう確保していくか。

このあとの人生の毎日をどう生きていってほしいのか。

ご本人の人生がどうであればいいのか。

それを考えた上のお話だった。



病気を治すことだけが医療ではない。

ということではないでしょうかね。


歩くと少しぜいぜいしていて微熱(37.2℃)がある。

それだけの症状だった。

ひどくならないうちにといつも行っている病院を受診した。

そうしたら左の肺炎だということになり入院を勧められた。


できれば入院はしたくない。

それはまぎれもなく認知症の症状が悪化すると思われたからだ。

それは先生にちゃんと伝えている。

その上でそれでもやっぱり入院が必要だと。


認知症の症状が悪化するということは、環境が落ちつているからなかった周辺症状がみるみる現れ、その人がその人からかけ離れた状態になっていくということ。

人間が人間らしくなくなっていくということだ。


肺炎を治療しないとどうなるかというと、高齢者にとって肺炎は命取りになる可能性があるほど怖い病気。

だからなんとか治療して治したいと誰でも思うだろう。


肺炎は治療すればよくなる可能性がある。

認知症は環境を整えれば周辺症状を最小限に抑えることができる。

その両方をしないと意味がないのではないのか?


その両方ができない理由に認知症は病気ではないという認識があるからなのではないだろうか。

肺炎は病気だから治す。

でも認知症は病気じゃないから治せない。

そんな固まった認識不足のためではないのか。



とうさんは入院した次の日からもうすでに生きるのを辞めていた。

「死んだほうがましだ」

肺炎の治療のための入院が本人を「死にたい」と思わせている。

これはどういうわけだろう。


認知症が悪化する入院をして肺炎の治療をしても、その人がその人らしさを失い、死んでしまったほうがましだという環境の中毎日を送ることがその人を助ける道なのだろうか。


肺炎が治ってもその人を失ったら意味がない。


とうさんはそれ以降も生きることを辞めたいというメッセージを私に送り続けている。

また「毒をもられた」とも話していたという。

病気を治す病院が人を生きることから遠ざける。

そんなことがあっていいのだろうか。


肺炎を治すためだった入院がとうさんを生きることから遠ざけているとしたら私たちは本当にこの方法が良かったのか後悔してしまう。


生きるってどういうことなの?

なぜそこを見ようとしないの?



とうさんの病状は良くないようだ。

DICをおこしかけているらしい。


とうさんはそれを予期していたのか?

「おれはもうだめだ。。。」

そうだったのか。


とうさん、ほんとうにそれでいいの?

まだまだやりのこしていることがあるよ。

ほんとうにそれでいいの?


がんばってなんていわないよ。

もう精一杯がんばっているから。


でもわたしは諦めない。

それはいいでしょう。

わたしは諦めないよ。


帰ってきてね!!


一昨日。

とうさんのところへ行ったら、会話が出来るようになっていた。

私の顔を見てわかったという表情をした。

耳元で

『とうさん!はやく帰っておいでよ』

と言ったらなんととうさんはこう言った。

「いやー。おれはもうだめだ。かえれないべ」


なんでそう思っているのだろう。

やっぱり生きるのを辞めちまったのかなぁぁ


でも随分よくなっているように見えるから、このままいけばご飯を食べれるようになったらすぐにでも帰してもらおう。

そのくらい元気になるように見える。


そうしたら今日。

また別の症状が出てきたと連絡が来た。

意識ははっきりしていないが私だと言うことはわかった様子。

頷くばかりで言葉にはならない。


とうさんが壊れていく。


新しい症状がでるから、新しい治療が始まる。

そうするとまた別の症状が出る。


つぎからつぎと・・・・・


肺炎だったのに。


これは仕方がないものなのか。


ただの肺炎だったのに。


とうさんが壊れていく。


助けて。




10月24日

あの、和田行男さんが苫小牧に来てくれた。

ケアマネジャー連絡会の研修で認知症の話をしてくださった。


いつものようにすらすらと認知症のばあさんズを語ってくれた。

みんな真剣に聞き入ってくれていたけど、たぶん聞きやすかったし、すっきり納得できる話ばかりで、理解してくださった。

そう思うけど・・・・・


その後が非常に肝心だ。

その話をどう現場で活かしていくかなのだ。


ケアマネさんたちは結構認知症で困っているということが多い。

こんなふうに認知症で困っているのは周囲のことが多い。

でも本当は一番困っているのは本人なんだよ。

それを分かった上で支援の手を差し伸べて欲しい。


脳が壊れているのだから、何度も何度も同じ説明をしなくてはいけない。

忘れてしまうから忘れた時に何度も同じ説明が必要だ。

それをやらないと点滴を抜いてしまうのだ、と力説してくれた。


いまのとうさんの現状なのではないだろうか。

なぜこんなふうにしていなければいけないのかがわからない。

なぜだれも説明してくれないのだろうか。

サークルを外せないように固定されて折の中に入れられている自分の姿が理解できない。

それをだれも傍で説明して教えてくれない。



研修会の後、和田さんとお話しする機会をいただいた。

とうさんの話も聞いてもらった。

とうさんは折に入れられて「死んだほうがましだ」っていってた話をしたら、

和田さんは『んんん。生きるのをやめちまったんだな』


ほんとうにそうだと思った。

とうさんは生きることを非常に大きなストレスと感じてそれを辞めてしまおうと思ったに違いない。



どうか覚えていて欲しい。

今回和田さんが話した内容を忘れないで欲しいんだ。

だからみんなで考えようよ。


1人が1人で頑張ってもだめなんだと思う。

みんなで考えて、出来ることをやっていこう。

出来ることは必ずあるはず。




和田さん、ほんとうにどうもありがとうございました。

この話を活かしていくのは私達です。

活かしていけるようにきっと忘れません。


とうさんが「老人クラブを作りたい」と言っていると聞いたとき、わたしは飛び上るほどうれしかったんだ。

「やったー!」と心の中で叫んでいたんだよ。

ほんとうにうれしかった。


あれから一気に花縁は活気づいていったね。

もともと会長よりも勢いのよかったばば様たちの婦人部と、若者たちが頑張っていることを認めてくれたからとうさんの中で生まれた青年団もちゃんと組織として言葉という形になった。それもとうさんの発言から拾ったものなんだよ。


とうさんがしようとしていることは花縁で私がやろうと思っていることと一緒なんだ。

誰もがやりたいと思うことを言えて、できて、考えて、次につなげていく。


それが生きているって実感できる場面であり、こんな私たちでもそんな場所を作ることができるんだという自信に繋がったんだ。


これからはねクリスマス会の会議が開かれるよ。

もう話し合っていたんでしょ!

二人ばおりをするんだって!

とうさんは食べさせる役だってききいたよ。


たのしみだな。

だから早く元気になって帰っておいで。


入院した次の日とうさんこう言ったの覚えてる?

「こんなんだったらおれは死んだほうがましだ」

いまわたしはその言葉が忘れられない言葉になった。


とうさんそっちにいかないで。

みんな待っているから。