「ことば」というのは本心が出る。


だから、自分の「ことば」には責任を持たなければいけない。


相手がどう捉えるかの前に、自分の心と向き合わなければ誤解を招く。



「そんなつもりはない」と思っても、発した言葉で評価されることを忘れてはならない。


その都度どういう意味で発した言葉か伺うわけにはいかない。


だから自分の「ことば」には責任を持って。



誰かが言っていた、誰かに聞いたことを言うだけでも、それを言った責任があることを忘れてはいけない。


誰かの意見を言ったとしても、それを自分で言った責任と同時に、自分の意見もちゃんと伝えたほうがいい。



ときどき現す何気ない言葉にこそ本心が隠れている。


そのことばを聞き逃さない性分みたいだ。


なぜそう言ったの?



ぽろっと出てしまう何気ないつぶやきに本心があるんじゃないの?


どうしても気になるときがある。


どう思っているの?



ときわ館のばば様が主治医から『看取りの時期』と診断された。


ご家族も積極的な治療は一切望まず、苦痛を取り除くことだけを願っている。


癌の末期である。

あちこちに転移していて、先月あたりから痛みが出てきた。


痛みを取り除く薬を使用し、吐き気や食欲低下を改善する薬も処方してもらった。



このばば様はときわ館に入居が決まって、誰よりも早くときわ館の自分の部屋を見に来た人だ。

独居に限界が来て、ご家族が相談の結果グループホーム入居を決めた。

ご本人には住んでいる「住宅が取り壊しになる」ために新しい住宅を見つけたのだと説明した。

ご本人は共同生活ではあるが花縁が新しい住処であることを納得して移り住んできた。


見学に来たときのことを覚えている。

納得はしているけれど、不安とさみしさと悲しさがあって、泣きながら花縁の玄関を通ってきたんだ。

私と挨拶する時はにこにこと笑って挨拶してくれたけどそれが終わるとまたシクシクと泣き出して・・・・・


そんなばば様は入居してもしばらく泣いていた。

「鍵がなくなった」

「財布がなくなった」

と布団に泣き崩れては訴えていた。


でもいつしか泣くこともなくなり、笑顔が多くなって、「わたしはここで暮らすんだよ」「もう家はなくなったんだから」「ここはいいところだからよかったよ」って言っては大きな声で笑うようになっていた。


それが先月からまた泣き虫のばば様になってしまった。

痛くて、苦しくて、さみしくて、悲しくて、辛くて・・・・・


ばば様の口癖は「横になったら起きれなくなる」だ。

これはどういうことかというと、日中でも辛い時に布団で横になる事はしてはいけない。ほんとうの寝たきりになってしまうから。または回復が遅れてしまうから。どんなに辛くても日中は横になってはいけないというものだ。


これが返って辛さを増強させているように見える。

少し横になったら?

そう思うことが良くあるのに絶対に横にならない。

イスに座って点滴をする。


夜だって夕食後居室でようやく着替えることができて、もうへとへとになっているのに「まだ寝る時間ではない」と言ってリビングにようやく出てくる。

彼女の寝る時間はたぶん九時頃。

座っているだけでも辛そうだし、苦しそうなのに「まだ寝られない」という気持ちから辛抱して起きているように見える。


部屋で休んでもいいよと声をかけると、ちょっとムッとして「それがどうしたの」という。

苦しいからと寝ているよりも、起きることができるのに寝ていることのほうが辛くて苦しいことなんだろう。


しかしいくらご本人の意志とは言え、はたしてそれでよいのか?

横になれる環境を作りそこで本当につらいときに横になったら、やっぱり楽そうに見えるもの。


どうしてそんなに我慢するのか。

我慢する事がご本人のその人らしさ。

でも今できることは、ご家族が一番望んでいるように、「苦痛の除去」なのだから、苦しい顔をしているよりも安堵の表情をしている時間が長くなるように工夫をしていこう。



花縁では入居者様の基本情報とケアプランの立案に「センター方式」を使用している。


このシートは書き込み量が多く「面倒だ」という意見もあるが、花縁にとっては欠かせないものになっている。


A~Eまでのシートで形成されている。


Aシートは4枚からなり基本情報シートでご本人の今までの歴史を書き入れるもの。

Bシートも4枚からなり暮らしの情報シートでご本人の生活環境を整理しているもの。Cシートは2枚で心身の情報シートになっており、ご本人の心と身体の全体的な関連シートとご本人の姿と気持ちシートに分かれている。

Dシートは5枚からなり焦点情報シートで、それぞれは、できることできないこと、わかることわからないこと、生活リズムパターン、24時間生活変化シートとなっている。

Eシートは1枚、まとめシートでケアプラン導入シートとなっている。


このうち全てを使用する必要はなくケースによって考慮される。

A,Bはご家族に協力していただきながら仕上げ、あとから分かった情報は随時付け足していく。

CDEはケアプラン立案時に新しく書き入れ今の状況の把握に利用する。


CとDについては細かく情報を書き入れたほうがよりご本人が見えてくる。

Cシートではご本人の全身の絵を描くことになっているが、これを描くことで更にご本人の内面を探りやすくなるし、逆に書いた人がご本人をどう見ているかもわかっちゃう優れもの。


これらの情報をもとに最後にEシートで仕上げるわけだが、これが上手に出来ればご本人にとって最良のケアプランができる。

Eシートの特徴はご本人の「言葉」を「そのまま」書き入れること。

言葉がはっきりしないかたは行動も。

その言葉から原因・背景を探り、より良く暮らせるためのケアのアイディアや工夫を考えていく。


そのとき、

そのことばの意味するところ。

なぜそんなことを言ったのか?

どんな気持ちなんだろう。

なにをしてもらいたいのか。

してもらいたくないのか。


など、言葉のもつ意味を考える場所になっている。

その人がなぜそう言ったのかを探るためにA~Dまでのシートの情報がバックグラウンドとして不可欠になるんだ。


そんなことをしていると、最近は日々ご本人たちが発する言葉が気になる様になってきた。


「なんでいまあんなことを言ったのだろう?」

「ほんとうにそう思っているのかな?」


プランを立てているときでなくても、日々の暮らしの中でいろんなひとの「言葉」や「行動」を気にかけているって面白いよ。

利用者だけじゃなくご家族、スタッフの言葉もね!



もうひとつの優れものはD4の「24時間生活変化シート」である。

これは別名『機嫌シート』と呼んでいる。

24時間にわたり、ご本人の「気分」を7段階のどれかに評価し、具体的な様子、影響を与えていること、願いや支援して欲しいことを記録していく。


このシートは全員に使用しているわけではなく特に「気分の変化が激しい人」いわゆる怒りやすい人に使用する事が多い。

なぜ怒りっぽいの?

なにかあったのか?


24時間軸は細かくすると30分ごとに評価できるため、その都度いまの「気分」を探ることになる。

さっきの気分がどうだったかわからなかったら困るので、必死で観察して記録しようと意識を向ける。


そうすると、わかったことがある。

機嫌が悪くなる事が少なく、またはなくなるのだ。

だから機嫌が悪くなる要素を探ろうとしているのに、機嫌が悪くならないから要素が分からないのである。


どういうことかというと、機嫌シートを付けることで、みんながご本人を気にするようになる。

目を向ける、あるいは声をかける、傍によるなどの行為が自然と増えるのである。

それで機嫌が悪くならないということは、いままでいかに気にかけず、関心を向けていなかったということがわかる。


そうして誰でも気にかけてほしい、困っている時そっと声をかけてほしい、困った状態が長く続くとイライラしてどうしてよいかわからなくなる。

ということがわかったのである。


センター方式はアセスメントの材料だということだけではなく、治療の役割も果たすことを、実践により学んでいるのである。


是非皆さんも使ってみて。

付けるだけで機嫌が悪くならないのよ。


一度やってみる価値はある。
お試しあれ。


今年の7月6日に結婚した次女に子どもができました。


なんと出産予定日は来年の7月6日!!


元気な子どもが生まれますように。



つわりがあって、食べれなくて、やせているようですが、それは子どもが元気な証拠なんじゃないのかな?


出血もあって仕事を1ヶ月ほど休んでいました。


でもようやく先生に「順調です」と言われ、出血もおさまり職場復帰しました。


なんと筋肉痛だそうです。



これからはすこし身体を動かして体力をつけていかないと。


元気な赤ちゃんを産んでくださいね。



わたしはおばあちゃんになります。


いまからなんて呼ばそうか考えています。


いまの第一候補は「かおるしゃん」です。


社長は「しゃちょう」と呼ばせるそうです。



この手に抱く日を心待ちにしていて、ひとりにやついています。


おめでとう!!



わたしは14歳の時に母親を、16歳の時に父親を病気で亡くした。

それはそれは大きな出来事だった。

天地がひっくりかえるくらいの「おおごと」だった。

自分の「生きる」ことさえも意味がないと思ったくらいだ。

生きていても仕方ないと思ったくらいだ。


そんな体験がどれだけ価値のあるもので、

どれだけ「人の存在」を痛切に感じることとなったか、

どれだけ自分の「生きる」を考えたか、

それが今のわたしを形どっている。


人は何のために生き、何のために死ぬのか。

まるで死ぬために生きているようだ。


だれにでも必ず訪れる「死」を、あれ以来いつもいつも考えていた。

どうやって死ぬのか。

いつ死ぬのか。

こんどは誰が死ぬのか、と。


だから死ぬのは怖くない。

むしろ死ぬ時に笑っていたい。

わたしの人生は満足だったと、微笑んでいたい。


生きて、生きて、生き抜いた。

そう思えるように生きていたい。

死んでいきたい。


そんなふうに、いつのまにか思っていたのだろう。

だから「死」にこだわっているのかもしれない。


ここで暮らす、ここで生きる、じじ様ばば様にそんな風に生きてもらいたい。



14歳で知った「死」はわたしに生きることの意味を教えてくれた。


そしていま、とうさん(会長)の「死」はわたしにそれが万人に与えられたわけではないということを教えてくれた。


だから、わたしに、今がある。


「ひやり・はっと」からはいろんなことがわかってくる。


たった一枚の報告書にその人とその人を取り巻く環境、これから考えられるたくさんの危険と可能性の両方を見ることができる。

結構すぐれものなんではないか?

書くのを惜しまずがんばって提出し続けよう。

そうしたらその人の大きな可能性を見出していけると思う。



昨日の「ひやり・はっと」もそんな彼女の可能性が見えてくるものだ。

もう何枚も彼女の「ひやり・はっと」は上がっている。

でもその奥に大きな彼女の自治力を感じずにはいられない。


すずらん館ロングステイのSさんは、利用開始時まったくの寝たきりだった。

原因はわからないが歩けなくなり(ということは数週間前まで歩いていた)ほぼ寝たきりとなってしまった。

心配なので脳外科を受診してみたが、脳には特に異状は見られず90歳を超えていることを考えればこの程度の症状はしかたがない、というのが医者の説明だった。


医者にそう言われればそれ以上望めない。

しかし、ご本人にとっての苦痛があるのなら取り除くことを考えていこう。


既往歴にリウマチがあるため整形外科も受診。

リウマチの悪化が見つかった。

治療することで熱も徐々に落ち着き、痛みも訴えなくなってきた。

夜眠れないことが多かったが、いつのまにか夜はゆっくり眠るようになってきた。


そうこうしているうちに「立ち上がり動作」が見られるようになってきた。

自分はまだ立てる、歩けると思っている。

昔から「人の手を煩わせないように用心のために病院通いをしていた人」という娘さんからの情報から考えると、歩ける、一人で歩いて行くことはSさんにとってはごくごく当たり前のこと。

それが尿や便に関することであれば当然といっていいだろう。


便意を催すと立ち上がり歩けなかった人が一人で歩けるまでに回復していった。

毎朝のラジオ体操ではスタッフが「立てる人は立って下さい」と声をかけると誰より先に立とうとする。

尿意や便意の際はできるだけスタッフの手を借りずに行こうとするから、スタッフの目を盗むように立ち上がる。


二人で支えて歩けるようになり、一人の支えでも歩けるようになり、とその回復ぶりは目を見張るものがある。

その陰でスタッフは「ひやり」とすることが多くなる。


・夜間他の方のところから戻ってくるとSさんがトイレに入っていました。

・居室ドアを閉めようとしていました。

・トイレのドアに捕まって立っていました。


歩くことはいいことなのだが、それで起こる「転倒」が怖い。

せっかく歩けるようになったのに転倒して骨折してしまってはなんにもならない。


日中はスタッフと一緒に歩くことができるけど、一番みんなが恐れるのが夜の時間。

人が手薄なので他の人の所に行っていたら、一人で歩いてしまった時に傍にいることができないからだ。

そこで最悪一人でもなんとかつかまりながら歩けるものはないものか?と考え、歩行器を用意してみた。

でもSさんがひとりで歩行器が使えると思っているわけではない。

非常事態のときに何も捕まらずに歩いてしまうよりは、何かにつかまっていたらまだいいのではないか?と思ったからだ。


でも、この方にとって一人で歩行器を使用して歩くのは危険である。

それでも日中はスタッフが付き添いで歩行器使用を行っている。

スタッフが体を支えるよりも歩きやすそうに見える。


幸いにもそれ以後夜間一人で歩いて行くことはなくなった。


しかし昨日13:00という日中に一人でトイレまで歩行してしまった、という「ひやり・はっと」がでたというわけ。


・昼食後で便意があった。

・スタッフはそれぞれが自分の仕事に集中していた、または休憩中でSさんを見ていなかった。


このようなことから

①Sさんを常に見守れる場所で仕事をする。(書き物等)

②Sさんの排便の状況の把握。毎日何時頃、どのような場面で便意があるのか。

③一人で歩きたい、一人で行きたいという意識が強いことを認識。


それともうひとつに、このようなことは以前にもあったが、時間やSさんのいた場所に違いがある。

けれど、そのようなことがいつ起こるかはわからないのだから、いつどこでも常に一人にせず見守れる場所で仕事をするということは、様々な場面に応用していかなければならない。


それができないスタッフがいるということ。

それを自分で想像して次につなげることができない人がいること。

指示されたことしかできない人は想像を膨らませることをお勧めする。



そうして肝心なことがもうひとつ。

人が何人いても同じ「ひやり・はっと」が起こるということ。

人数の問題ではないんだよ。

逆に人が多ければ多いほど、「だれかが見ているだろう」「自分がいなくても見てくれるだろう」という不確かな想像を抱いてしまう。

一人しかいなければ必要以上に過敏になり神経を研ぎ澄ましているのに、人数が多くなるとその神経が分散されてしまうのだろう。

たくさん人がいることによって生ずる問題も見えてくるでしょ。


自分の責任で動くこと。

人のせいにしないこと。

周りとどう共同するか。


考える要素がいっぱいあるね。

でも何より見つめたい事柄は「ばば様が歩いた、歩きたいと思っている」ということ。

危険が隣り合わせでも歩けるうちは歩くこと、食べれるうちは食べること。


安全にそれが続けられるように守っていくことが私たちの専門性だよね。


たった一枚の「ひやり・はっと」からこんなにたくさんの学びがあった。

ばば様の「歩きたい」という意欲に感謝、感謝である。



補聴器がなくなった。


椿のSさんの補聴器が見当たらないと報告を受ける。


グループホームの中ではときどき不可解な出来事が起きる。

なくなるはずのないものがなくなったり、探しても探してもなかったのにご本人がひょっこりもっていたり、奇々怪々な出来事は日常茶飯事である。


たとえば開設して間もないころ、テレビのリモコンが急に姿を消したことがあった。

さっきまであったのに・・・・・急になくなってしまったのである。

そんなときKさんが疑われる。

いつも活動的にホーム内を歩き、目につく様々なものを片づけている。

それがKさんの仕事なのだろう。


そのリモコンがなくなる前、いつものようにKさんはテレビ前のテーブルあたりで片づけをしていたのを確認している。

だからきっとKさんがどこかへ上手に片づけてくれたのだと思ったが、その「どこか」が私たちにはわからない。


数日後そのリモコンは座布団の中から現れた。


こんなふうに無事に発見されることもあるが、ものによってはまったく姿が見えず迷宮入りすることもある。


それが「補聴器」となるとちょっとビビってしまう。

そんなに安いものではないからだ。

それにホームの備品ならどうにかなるが、個人のものであれば簡単に「なくなりました」では済まない管理責任がある。

またグループホームでは今までの環境をそのまま継続できるように、ご本人の馴染みの物や使いやすいものを持ち込むことを推奨しているのだからどんなものでも「なくしました」では済まないのではないかと思う。


補聴器も今まで使いなれているし、またそれがないと会話がスムーズにいかないわけだからなくなるとそれは困る。

普段から補聴器には気を向けているのだが、そのときはいつから、どこからなくなったかさっぱり検討がつかないのだという。


普段の現状をまず把握する。

・補聴器は右の耳に入れている。

・理由ははっきりしないが自分で外してしまうことがある。

・はずした補聴器を衣服のポケットに入れることがある。

・ちり紙に包むこともある。

・ごくまれにちり紙に包みテーブルの上に置くこともある。

・補聴器がないと会話がスムーズに行かない。

・Sさんは自分でしゃんしゃんと1人で歩けない。手繋ぎ歩行が必要。

・ホーム内の移動はいつもスタッフが付き添う。

・居室に補聴器入れがあり夜間はそこに保管している。

・補聴器の装着はスタッフが介助。

・装着していないときはスタッフが持ってきて入れている。

・ご本人は補聴器を外したことを忘れてしまう。


周囲の環境としては

・なんでもきれいに片づけてしまう人がいる(Kさん)。

・Kさんはどこでもスタスタと歩き動作が素早い。

・補聴器はとても小さいのでどこかに紛れ込んだら探しにくい。

・補聴器をしていないことがあったら確認して装着するか、自分で外したのならすぐにケースにしまうようにしているが徹底されていない。


このようなご本人の現状と周囲の環境を把握していったい何が起きたのか考えながら大捜索となった。


検証しておきたいことは

・いつからないのか?

・いつ気づいたのか?

・誰が最期に携わったのか?

・Sさんはどこにいたのか?

・Kさんはどこにいたのか?

・その日の服のポケットにはなにか入っていなかったか?


これらのことを思い出せる範囲で聞き取り調査をしてもらった。

その結果

①朝起床時にスタッフが補聴器を装着するのを忘れる。

②日中のスタッフが入っていないことに気付き補聴器を装着する。午後2時ごろ。

③そのときテレビの前へお連れしてリクライニングイスに座っていただいた。

④その後の時間に別のスタッフが補聴器をしていないことに気づくがどこにあるか確認せず。

⑤同じスタッフが就寝の介助にて訪室しケースに補聴器がないことに気づく。

この時点で補聴器が見当たらないことを発見した。

⑥就寝介助時、衣服のポケットにはちり紙等は何も入っていなかったということを確認。


ということがわかった。

事実と予測をごちゃ混ぜにせず一つずつ整理した。


その日は朝からもう一度ホーム内を大捜索していた。

Sさんの居室のタンスの中の衣服のポケットを確認・・・・・

Kさんの居室のタンスの中の衣服を確認・・・・・


最期に補聴器を触ったスタッフも、その日はいなかったリーダーも、ないことに気づいたスタッフも冷や汗を流しながら大捜索をしていた。


わたしも一緒に探そうかとSさんの部屋へ行ってみた。

そのときそこで探しているスタッフと話しながら、咄嗟にSさんになってみようと思った。


「補聴器は右の耳に入れているの?じゃあ外すとしたら右手で外すね。そのときはテレビの前にいたのね?」

それを確認してSさんが座っていたというリクライニングイスへ腰掛ける。


イスの腰の折り目の部分に挟まっていないか手で探ってみるがない。

右手で外して・・・・・

上体を右に傾けイスの右横を見る。

リクライニングイスには両サイドにポケットがぶら下がっているからだ。

もしかしたらその中にあるのかもしれないと思ったから。

しかしそのポケットは両サイドとも外されていた。


そうしてさらにもっと右に傾いてイスの置かれている床周囲を確認してみる。


そうしたらリクライニングイスの足(木の板状のもの)の一番後ろ側に丁寧に置かれた補聴器を発見した!!


「これじゃないの?!!」


歓喜の声とともにみんなで大喜び。


無事にあってよかった。


補聴器は木の色に同化され上手に収まっていた。

落ちたのではなく、きちんとそこへ置いたのだということがよくわかる収まり方だった。


大事なことはSさんになってみる、ということなのかな。

Sさんだったらどういう動きをするだろう。


日々の関わりの中でもその人になってみること。

バリデーションでもあるように、寄り添うだけでなく、その人の体験を体験する。

そんなことが習慣化されればもっとその人の世界が理解できるかもしれないね。


わたしは現場にいないのでSさんの補聴器の状態が把握できていない。

だから今回は根掘り葉掘りそのとき誰がどうしたかを検証することになった。

しかしこれは誰の責任かを追及するものではなく、Sさんと補聴器の関係を知りたかったからなんだ。


でもこれで補聴器がなくなる可能性が明らかになったこと、決してなくしてはいけないこと、気づいて行動することの大切さがわかったね。

どこをどうすれば防げるかの要素が沢山わかったよね。


そうしてKさん疑ってごめんなさいね。


4日ぶりにSさんの耳に収まった補聴器は今後もう二度となくなることはないだろう。


「変わりたい」


そう言っているうちはまだまだだ。



「変化している」


そう言えるようになったかい?






とうさんが亡くなってから10日が経つ。


何事もなかったかのようにいつも通り時間が過ぎる。

新しい利用者の69歳のSさん(男性)も入居した。

とうさんの部屋に。


何もなかったかのような毎日だけど、とうさんが亡くなった日、わたしのなかに植えられた種は少しずつ膨れている。

それは小さいかもしれないけれど、きっと芽を出し、花が咲き、実がなる。

そんな予感がする。



あれからずっと考えている。

もし、こうだったら。

もし、ああだったら。


病院という医療を行うところで、認知症の人を治療することが難しいというのはわかる。

だからそこを一緒に考えたいと思っている。


「認知症」から考えることはできないのだろうか?ということなんだ。

病気から考えると認知症が邪魔になる。

だから認知症から・・・・・



病院というのは病気を治すためにあるもの。

でもいつしか北海道なんかでは冬を越すために入る人もいる、なんていわれてた。

病院の本来の目的から外れてくるという事実があり、そうしてできたのが介護保険なのではないか。


でも病気を治すのはいまだかつて病院でなければならない。

病気を治すことは病院の役割なんだ。

しかしこれに認知症がくっつくと全くこの目的から外れてしまうことになる。


病気を治すとき認知症の症状が邪魔をするなら、その症状を理解した上でないとしたい治療は難しくなる。

認知症の症状は起こるべくして起こっているのだから、環境さえ整えば普通に戻る。

でも今の医療の体制ではそれが出来ないから環境の調整ではなく薬物を使用してしまう。


そうすると入院が必要だった病気が治ったとしても、薬物のために回復が遅れるだけでなく、人として生きる姿から遠ざかってしまうことになる。



認知症があるから治療が出来ない。

認知症への差別ではないか?


だからこういうことはできないのか。

(もちろん認知症があっても一生懸命診て(看て)くださる病院もある)

『認知症科』を作ってしまう。


呼吸器科、消化器科、循環器科、泌尿器科、婦人科・・・・・

こんなふうに、これと同じように認知症科を作る。


認知症を持っている人を中心に入院治療をするところ。

短期集中的に治してしまう。

認知症の治療はもちろんのこと、消化器も呼吸器も循環器も婦人科も泌尿器かも全部診ることができる。


その病棟(病院)の医者が全ての科の治療する。

認知症の症状のコントロールをしながらそこでできる治療を行う。


いままでであれば認知症の治療を行うところが認知症専門棟だったはず。

でもそれは病気としての認知症の治療のみである。


それを認知症科では、病気としての認知症に限らず、認知症の人の様々な病気の治療ができる。

認知症の人が入るから「認知症科」。


Drコトーのように、離島の医者は何でも診なけりゃいけない。

昔の医者はみんなそうだった。

どんな科でも診れたはずだ。


そこで出来ることをしてもらう。

認知症を落ち着かせながら出来る治療をする。



この考えどうですか?


とうさんはひとりで死んでいった。

とうさんをたったひとりで逝かせてしまった。


とうさんが死んだと聞かされて病院へ行き、とうさんの顔を見た瞬間、そんなふうに思っていた。


でもとうさんはどう思っていただろう。

死んでいく姿を誰にも見せたくないと、思ったかもしれない。

いつもいつも「大丈夫だ」「がんばる」という表情で教えてくれていたから。



ずっととうさんはたったひとりで向かっていたんだ。


とうさんを襲った悲劇ともいえるこの療養生活はとうさんがわたしたちに伝えたいことだったのかもしれない。

それを考えてもらいたいからこの療養生活に自ら身を投じてくれた。

身をもってこの現実を示してくれた。


この死を無駄にはしない。