「ひやり・はっと」からはいろんなことがわかってくる。
たった一枚の報告書にその人とその人を取り巻く環境、これから考えられるたくさんの危険と可能性の両方を見ることができる。
結構すぐれものなんではないか?
書くのを惜しまずがんばって提出し続けよう。
そうしたらその人の大きな可能性を見出していけると思う。
昨日の「ひやり・はっと」もそんな彼女の可能性が見えてくるものだ。
もう何枚も彼女の「ひやり・はっと」は上がっている。
でもその奥に大きな彼女の自治力を感じずにはいられない。
すずらん館ロングステイのSさんは、利用開始時まったくの寝たきりだった。
原因はわからないが歩けなくなり(ということは数週間前まで歩いていた)ほぼ寝たきりとなってしまった。
心配なので脳外科を受診してみたが、脳には特に異状は見られず90歳を超えていることを考えればこの程度の症状はしかたがない、というのが医者の説明だった。
医者にそう言われればそれ以上望めない。
しかし、ご本人にとっての苦痛があるのなら取り除くことを考えていこう。
既往歴にリウマチがあるため整形外科も受診。
リウマチの悪化が見つかった。
治療することで熱も徐々に落ち着き、痛みも訴えなくなってきた。
夜眠れないことが多かったが、いつのまにか夜はゆっくり眠るようになってきた。
そうこうしているうちに「立ち上がり動作」が見られるようになってきた。
自分はまだ立てる、歩けると思っている。
昔から「人の手を煩わせないように用心のために病院通いをしていた人」という娘さんからの情報から考えると、歩ける、一人で歩いて行くことはSさんにとってはごくごく当たり前のこと。
それが尿や便に関することであれば当然といっていいだろう。
便意を催すと立ち上がり歩けなかった人が一人で歩けるまでに回復していった。
毎朝のラジオ体操ではスタッフが「立てる人は立って下さい」と声をかけると誰より先に立とうとする。
尿意や便意の際はできるだけスタッフの手を借りずに行こうとするから、スタッフの目を盗むように立ち上がる。
二人で支えて歩けるようになり、一人の支えでも歩けるようになり、とその回復ぶりは目を見張るものがある。
その陰でスタッフは「ひやり」とすることが多くなる。
・夜間他の方のところから戻ってくるとSさんがトイレに入っていました。
・居室ドアを閉めようとしていました。
・トイレのドアに捕まって立っていました。
歩くことはいいことなのだが、それで起こる「転倒」が怖い。
せっかく歩けるようになったのに転倒して骨折してしまってはなんにもならない。
日中はスタッフと一緒に歩くことができるけど、一番みんなが恐れるのが夜の時間。
人が手薄なので他の人の所に行っていたら、一人で歩いてしまった時に傍にいることができないからだ。
そこで最悪一人でもなんとかつかまりながら歩けるものはないものか?と考え、歩行器を用意してみた。
でもSさんがひとりで歩行器が使えると思っているわけではない。
非常事態のときに何も捕まらずに歩いてしまうよりは、何かにつかまっていたらまだいいのではないか?と思ったからだ。
でも、この方にとって一人で歩行器を使用して歩くのは危険である。
それでも日中はスタッフが付き添いで歩行器使用を行っている。
スタッフが体を支えるよりも歩きやすそうに見える。
幸いにもそれ以後夜間一人で歩いて行くことはなくなった。
しかし昨日13:00という日中に一人でトイレまで歩行してしまった、という「ひやり・はっと」がでたというわけ。
・昼食後で便意があった。
・スタッフはそれぞれが自分の仕事に集中していた、または休憩中でSさんを見ていなかった。
このようなことから
①Sさんを常に見守れる場所で仕事をする。(書き物等)
②Sさんの排便の状況の把握。毎日何時頃、どのような場面で便意があるのか。
③一人で歩きたい、一人で行きたいという意識が強いことを認識。
それともうひとつに、このようなことは以前にもあったが、時間やSさんのいた場所に違いがある。
けれど、そのようなことがいつ起こるかはわからないのだから、いつどこでも常に一人にせず見守れる場所で仕事をするということは、様々な場面に応用していかなければならない。
それができないスタッフがいるということ。
それを自分で想像して次につなげることができない人がいること。
指示されたことしかできない人は想像を膨らませることをお勧めする。
そうして肝心なことがもうひとつ。
人が何人いても同じ「ひやり・はっと」が起こるということ。
人数の問題ではないんだよ。
逆に人が多ければ多いほど、「だれかが見ているだろう」「自分がいなくても見てくれるだろう」という不確かな想像を抱いてしまう。
一人しかいなければ必要以上に過敏になり神経を研ぎ澄ましているのに、人数が多くなるとその神経が分散されてしまうのだろう。
たくさん人がいることによって生ずる問題も見えてくるでしょ。
自分の責任で動くこと。
人のせいにしないこと。
周りとどう共同するか。
考える要素がいっぱいあるね。
でも何より見つめたい事柄は「ばば様が歩いた、歩きたいと思っている」ということ。
危険が隣り合わせでも歩けるうちは歩くこと、食べれるうちは食べること。
安全にそれが続けられるように守っていくことが私たちの専門性だよね。
たった一枚の「ひやり・はっと」からこんなにたくさんの学びがあった。
ばば様の「歩きたい」という意欲に感謝、感謝である。