今年に入って急に体調が悪くなったばば様がいる。

桃ユニットのSさん。

高齢者特有の経過なのかもしれない。

ある病気から一般的な病状を示さぬまま致命的な重篤な状態に陥り、あっという間に看取りの診断とともに、もって1週間というところまでになっていた。

そして昨日みんなに見守られながら天に召された。


わたしたちはこのばば様にも大切なことを教えてもらった。

とても明るくて、ムードメーカーで、かわいらしくて人懐こい、人として魅力的な素晴らしい女性だった。



彼女の娘様からご相談を受けたのは、ときわ館が開設した時だった。

実は彼女はもうすでにグループホームに入居していた。

あることをきっかけに繰り返し言動や唸り声、食事を食べない、ひとりで立つこともできないのに動こうとする(ベッドから降りる)などの状態になったらしい。

その結果精神科受診し安定剤、抗精神病薬、食欲を出す薬等々使用していたという。


夜間は人手がなく彼女をひとりでトイレに移動することができない(危険なため)のでベッドから降りれないようにサークルで固定し、オムツを当ててそれにするように言われていたという。

彼女はそのサークルを見つめ「牢屋みたいだ」とつぶやいたという。


また夜間はご家族のほうが安心するからと言い泊まって介助をすることとなり、娘様が交代で泊るようになり娘様はやむなく勤めていた仕事を辞めることにしたのだという。

自分の母親なのだからしかたがない。母が安心できると言われたらかわいそうだから付き添わないといけないと思った、と。


娘様は

「これが正しいのでしょうか。これでいいのでしょうか。母がかわいそうなのです、「こうするしかないのでしょうか」

と泣きながら私に話してくれた。


娘様の心配事はもうひとつ。

食事にむらがあって、また好き嫌いもあって、状態が悪くなってから食事の量が減ってきたがそんなときは病院に相談して点滴をしたりしていたらしい。

その経過の中で施設側から

「このような状態が続き医療の関わりが多くなってきたら、病院に入院してもらわないといけないかもしれない。また最期の時が近づいていても、うちの施設では看取りを行っていないので入院するようになると思われる」

というようなことが話されたという。


娘様は案じていたという。

いまはなんとか(かわいそうだけど)グループホームで仲間たちと生活できているが、これ以上年を重ねて死に近づいていったとき、入院させるのはもっとかわいそう。


そう娘様が思うのは、自由に動いて自由に食べて自由に笑っていることが彼女の本来の姿であると思っているからなのではないのだろうか


それともうひとつ、娘様が涙を流されるひとつの要因としてこんな思いがあったらしい。

「いまの母はこの施設にとっていないほうがいいのではないか、いなくなってもらいたいと思っているではないか」

こんな思いを抱いていったという。



花縁に移してもらいたいという意思を確認し、去年3月桃ユニットに移ってこられた。


常時車いすを使用していた。

眼は少しうつろで表情がなく時々険しい顔つきのときがある。

言葉もはっきりせず、呼吸とともに唸っている。


移ってきてその日、夜寝る前に飲むはずだった眠るための薬を飲ませる時間が遅れてしまった。

しかし飲まなくても寝ているという。

眠るために飲んでいたなら飲む必要はない。

今日限り飲まないことにした。


また施設側からの申し送りで「唸り声の大きさによって薬の量を調整している」というものだった。

唸り声のために安定剤を服用しているのである。

たしかに耳に付き嫌がる利用者様もいるがそれは薬でなんとかなるものなのだろうか?


他にもいくつか精神に作用する薬をのんでいた。

かかりつけの精神科の担当Drはわたしもよく知る信頼できる先生だ。

さっそく娘様と受診し、今までの経過とこれからのことを相談してきた。


その先生はいつもおっしゃる。

「スタッフさんがどこまでできるかです。薬なんか飲まないにこしたことはない」

だからわたしは先生に素直にお願いした。

「少しづつ薬をやめたい」

そうすると先生はいままでと同じことをおっしゃって

「やめれるものならやめていいです。それは施設のスタッフさん達で対応できると判断したら減らしてください。どの程度どのように減らしていくかもすべてあなたに任せますから」


この指示どおり約1~2か月で精神に作用している薬はすべて中止した。

彼女はみるみる変貌を遂げた。

声が明るく笑っているし、いつも場の雰囲気を盛り上げる、車いす自走もスピーディーだし、いつも笑顔で私たちを歓迎してくれる、問題だと言われていた唸り声は薬の減量とともに小さくなっていった。

食欲がでるようにと飲んでいた薬も、飲んでも飲まなくても食べる量は変わらなかった。



わたしは常々認知症の精神症状に対して簡単に薬を使用するものではない、また使用しても聞かないことが多く、副作用のほうが問題となりるため、かなり慎重を要すると思っている。


もちろん必要な場合もあるだろう。

でもそれは専門Drが判断することで私たちが「飲ませたい」と要望するものではない。


このケースでもそれを再認識できた。

ご家族も変化していく彼女をみてとても喜んでいた。

なにより唸り声が徐々に少なくなっていたのには、私たちが考える薬によらない方法のほうが効果があることを立証できた。

「むしろ唸り声をあげないように」と安定剤を服用させること事態が「抑制」にあたるのではないだろうか。



今回急な病状の悪化で入院も視野に入れた話し合いがなされた。

少し苦しい様子も見られたため入院したら可能性を見つけられるかともおもったが、ご家族が一番懸念したのは「抑制」だった。


「母には抑制をさせたくないから花縁さんに移ったのです。だからこのままで十分です。抑制されることは絶対に嫌がります。だからここで看取っていただきたいです」


亡くなった後娘様は私にこう話してくれました。

「母はここへきてほんとうに良かったです。ほんとうに幸せな生活を送れ、幸せな最期でした。ありがとうございました」


そう言ってくださり本当にありがたかった。

急な状態だったので心の準備が追いつかなくて、私たちは「ほんとうにこれでよかったのか」と別れてしまうことのさみしさとともに粛々と考え涙する。


スタッフたちも同じ思いだった。

「ほんとうにこれでよかったのか」

「苦かったのではないだろうか」

「もっとできることはなかったか」

そんな思いも娘様のそのお言葉で報われて感極まった。


人はいつか亡くなっていく。

突然の場合もあるからこそ、それまでの生き方暮らし方が肝心なんだね。

3月からの花縁での暮らしがあったことが、彼女の最後の人生を幸せだったと言ってくださったことにほんとうに感謝したい。


またひとつ大切なことを彼女から教えてもらった。

薬の重要性と笑っていられることの大切さ。

どんなに認知症が進んでもそれは変わらず、わたしたちと変わらず在ることを忘れてはいけない。


とうさんの時のように彼女も自分の体験を通して私に示してくれた。

私には伝える役割があるから。


このことを無駄にせず、忘れず、これからも訴え続けます。


ほんとうにありがとうございました。




今朝、またひとりわたしたちの仲間のばば様がお亡くなりになりました。


本当の苦しさは

最期まで


いつも家族のことを心配していた。

最期まで横になる事を拒んでいた。

家族と別れるのがいやだった。


そして最期まで自分を探していた。


最期は大好きな家族みんなに看取られて、苦しみから解放されたように、安らかに眠るように天に召された。


そのとき自分を発見したのではないだろうか。



またひとつの命との別れによって多くの経験と学びをさせていただいた。


それはどれもかけがえのない体験であり体感である。


この経験と体感するたびにわたしたちは成長している。


感謝するのみである。


ほんとうにありがとうございました。


わたしの手相に神秘十字線がある。


これは

手のひらの、知能線(頭脳線)と感情線の間に出ている十字架のような線を、「神秘十字」と、そう呼んでいます。

直観力が鋭い、霊感が働く、先祖の加護がある、信仰心が強い、命拾いするなどの意味合いを持ったシルシです。


霊感もないし、それほど信仰心も強くないけどこんなことをふと感じることがある。


「誰かに守られているように感じる。」


誰かはわからない。


とても安心感があり、とても心が穏やかになり、とても信じられる誰か、何かに、守られているように感じる。


それがなにかわからなくてもいい。


それがだれかわからなくてもいい。


ただ、ただ感謝するのみ。


ありがとうございます。


手のひらの、知能線(頭脳線)と感情線の間に出ている十字架のような線を、「神秘十字」と、そう呼んでいます。

直感力が鋭い、霊感が働く、先祖の加護がある、信仰心が強い、命拾いするなどの意味合いを持ったシルシです。


人間相互の関係が崩れて戻らないことがある。

そうなってしまった時にはどんなに話し合いをしてもわかりあえることはない。

話し合いさえできないこともある。

そんなとき「調停」とかいうものを利用するのだろう。


でも最初はそうではなかったはずだ。

いったいどこでそうなって、いつからそうなって、どっちがさきに嫌悪感をもったかなど、互いに曖昧なまま、きちんと理解されないまま時が過ぎ、多くの場合は話し合いさえできない状態になってしまっている。

決まって「向こうが先に言ってきた」と双方が言うことが多い。


そんなときそれぞれの言い分を聞くと、それぞれの事情には妥当性があり納得できる。

けれど細かな時間軸のずれや、想いの違いや、価値観の違いがあるのだろう。

それでも詳しく確かめる術もなく時間が過ぎ、ずれや違いを修正せずに誤って(双方のいいように)捻じ曲げられた関係になってしまう。


どちらの言うことも間違ってないし、正しいわけでもない。


そしてそこに「感情」が交じってくるから厄介なことになる。

だいたい最初の段階のずれが生じたときにその負の感情を持ってしまう。

それがまた更に関係修復の機会を遅らせることになる。


一番問題なのは「事実」と「事実でないこと」がごちゃ混ぜになって、そこに負の感情が入るから相手の言動全てに不信感を抱き正しい目で耳で頭で理解できなくなる。

その人(達)の言うことはすべて否定的な想いでしか聞くことができなくなるのである。


それはお互いに想っていることなのでその感情は増幅していくように感じられる。

そして「なぜあんなことをするのか」「どうしてこんなことをしたのか」「ふつうはこんなことしない」「常識ではこんなことしない」「その行動は間違っている」等々・・・


そして「困らせようと思っているのか」「いなくなればいいと思っているのか」「いやな思いをさせようと思っているのか」「もう話し合いなんかしないと思っているのか」等々本当か本当でないかまったくわからない(確かめようがないから)妄想に支配されますます否定的で負の感情が大きくなっていく。


そうなる前になにか仕様がなかったのか。

負の感情が生まれているとわかったら、なかなか近寄りたくないのは当たり前だろう。

そこをどうにかできないのか。

もっと互いを認め合い許すことができたらいい。


だからわたしはせめて日ごろの想いや会話の中に「~~~のに」を言わないようにしている。

言ったのも、行動したのもみんな自分の責任だから。

それがいいと思ったから行った言動だから。

だれかの為に、だれかのせいでそうなったのではないから。


「のに」がつくということは見返りを求めていること。

見返りを求めるから関係に歪みが生ずると思うから。


「のに」は言わないようにしている。


人は最期の最期まで懸命でいる。


命を生き抜き、魂で会話する。


家族であれば尚その想いは強い。


本人がどうしたいのか、どうありたいのか・・・・・

周りがどうしてあげたいのか、どうしたらいいのか・・・・・


そのどちらも懸命でいる。


苦しい表情を見るとき尚更にそう思う。


生き抜く美しい姿。


生き抜く逞しい魂。


命とはいったいなんだろうか?


魂だけでもいいんじゃないかな?





新年あけましておめでとうございます!!


昨年は大変お世話になりました。


今年もみなさんと共にゆっくり歩いていきましょう♪


今年も皆さんにとって佳き年でありますように♪


ありがとうございます!


みなさん!


今年1年いろいろとありがとうございました。


みなさんにとってどんな年でしたか?


いい年でしたね!


来年も皆さんにとって佳い年になりますように!!


また来年もよろしくお願い致します。


ありがとうございました!




花縁の基本理念の中に『安全で当たり前の生活』がある。


これは文字通り当たり前の生活を安全に行えるようにしたいという意味がある。


それには花縁ができる前に読んだ本の中にヒントがある。


ホスピス医である森津純子先生の本である。

先生はご自分のお母さまをご自宅で看取った経験がある。

癌だったがどうしても入院したくないというお母さまを最後まで自宅で看病した。

そのときのことが書かれた本を読み共感したのである。


先生のお母さまはご自分が癌であることをうすうす感じていたようだ。

そんな中、お母さまはどうしても治療することを拒み、自分はなんでもないと装い続けた。

入院せずに家で過ごすことのお母様のこだわりはこんなエピソードから伝わってきた。

ひとりで歩くのもままならなくなっているほど弱っているのに、朝家族が出勤するのを、いままで行ってきたように玄関へ出て「いってらっしゃい」と声をかけ見送る。それがお母様の日課で役割だったからだ。

どんなに言ってもやめなかったのだという。

こんなに辛く苦しいのになぜそこまでしなければならないのか。

先生もそんなお母さまをみて、見ているほうが苦しくなるほどの思いだった。


けれど、先生はそんなお母さまの行動こそが「自分自身を最後まで生きるその人らしさ」であり、お母さまにとっては「生きている姿」なのである。だからそんな姿を希望通り行えるように支え続けることが自分の役割なんだと。

わたしはこの部分に共感した。

人は最後まで誰かの役に立ちたいと思い、思ったように生きることを願う。


疾患は違っても同じだと思った。

認知症は思うように動けなくなったり、話せなくなったりする。

でも自分のことは自分でしたいし、家族のことをいつまでも見守りたい。

それを叶えるために私たちがいるのだろう。

最後まで自分らしくあり、自分のことは自分する、それができるのがGHだと思ったのである。


本当の苦しさ のばば様のことが思い浮かぶ。

自分らしさを守り、家族を思う気持ちを持ち続け、できることはできるだけ自分でする。

苦しいのだから休んでいれば、などと「専門性」とか言いながらケアする側の視点を押し付けていることもあるけれど、本当のばば様の姿を、ばば様の過ごしたい日々を一緒に送れたらいいよね。



とうさんが亡くなったとき、わたしにはしておかなければいけないことがあった。


とうさんの経験した悲劇とも言える療養生活の話を、その療養生活を作っている病院の方たちへお伝えする事、である。


亡くなってすぐにわたしは手紙を書いた。

総師長さま宛に、この療養生活でとうさんが体験したこと、それを見ていてわたしが感じたこと、そしてとうさんがどんなに偉大な人だったかを6枚の文章で書き綴った。


それから約1ヶ月。

今日その答えをいただけるということで、病院に伺った。


病院では院長先生と総師長さんがお忙しい中迎えてくれた。

先生もこの手紙を読んでくださったという。


まず院長先生は今回のケースは肺炎での入院だったが花縁に戻れなくなってしまい大変残念だと話された。

GHと病院では随分雰囲気に違いがあり、認知症に対するケアを病院で行うことは難しい面が多々あるとのこと。


特に夜間は看護師2名、介護婦1名体制で38名の患者様を看ており、出入り(入退院・転室等)の多い中、また重傷者が多い中、認知症の症状のある方も多く、人手不足があるとの認識を持っている。

そこで総師長からこの夜間の体制を介護婦2名体制に増員し、合計4名体制に変更していくことを今検討しているとのことだった。


また続けて総師長から今月苫小牧市において医者に対して認知症研修会が道主催で開かれており、その研修会にとうさんの主治医が自ら参加したいと言い、勉強してきたとのこと。

先生は勉強になったと話しているということだった。


そうしてもうひとつ、今更ではありますが、看護部においても「看取りのケア」をもう一度再確認する意味で、来年早々研修会に参加し、更に全スタッフに啓蒙していくよう考えていると話してくれた。


身体拘束に関することについても、スタッフ、または病院の認識の甘さを自覚し、今後委員会でもう一度精査し取り組んでいくと話してくださった。


以上、内容はもう少し詳しく聞かせてくださったが、ここでは割愛させていただいた。



正直、嬉しかった。


これは全て「この手紙を頂いた上で検討しようと思ったことです」とはっきり言ってくださった。


とても真摯に受け止めてくださり、人員配置人数までも考慮されていくことになるなんて、非常に画期的なことだと思う。

とても素晴らしい意識を持ってくださったと心から思った。


お願いついでに先生には是非認知症の様々な病気(特にレビー小体病)を診断できるようになってくださいと懇願してきた。

これからの時代認知症は「専門科」が診るという意識ではなく、どの分野のお医者さんでも診断できるようになって、いろんな種類の病気まるごと診療してくれるようになっていくことを願っているから。

そして道Gh協議会ホームページの最新情報で掲載された『高齢者は服用を避けた方がよい処方薬を公表』をプリントし図々しくも先生に直接お渡ししてきた。


とうさんの主治医だった先生も今後のためにちゃんと自分で勉強しに行ってくれたこと、病棟で走り回っている看護師さんたちも当たり前にある「死」を迎えるにあたり、どうやって看取るのか、どうやって看取られるのかを真剣に考えようと思ってくれたこと、そしてGHに看護師が研修に行くことも考えているということ。


これは本当にわたしにとっては涙が出るほど嬉しかった。


決して表面上だけではない強い意思を感じ、決して繰り返さない強い想いを感じた。




こんな結果を迎えるにあたり、多くの人の尽力があったことを忘れてはいけないと思います。

ほんとうにありがとうございました。


院長先生、とうさんの主治医の先生、総師長さん、病棟師長さん、病棟のスタッフさん、相談室のみなさん、ありがとうございました。


感謝の気持ちでいっぱいです。



そうして、とうさん、ありがとうございました。

とうさんの「死」が今種となり、芽を出して、花が咲き、実をつけますよ。

天国で見ててくださいね。

ほんとうにありがとうございました。




PS:病院に行くまでの間、わたしはずっと宮崎さんの本を読んでいました。

こころを落ちつけて、こころに問いかけて、こころでつぶやいて。

宮崎さん、ありがとうございました。



かたち


ことば


きもち



おもい


きぼう


ねがい



ひと


じぶん


たにん



こんなときもある


にんげんだもの



ときどきは


たましいを。。。