花縁ときわ館にケア理念ができました。


開設して1年が経ち、スタッフもある程度落ち着いてきてある程度力をつけてきました。


毎日変化する人間の「生」を目の当たりにして、自分の存在と他者との関係を見つめ続けて発見してきた。


そんなスタッフたちがみんなで集めて、主要メンバーたちがまとめて作ったものです。


どうぞご覧ください。



グループホーム花縁ときわ館:ケア理念


感情豊かな生活:喜怒哀楽を自由に表現できる生活を提供し、常に感謝と思いやりを持って関わる。

心身ともに健やかな暮らし:一人ひとりのリズムやペースを守り、心と身体の変化に気付き適切な対応を心掛ける。

想像・創造する:専門職として広い知識を持って頭と心でイメージし、新しいものを創ることに挑戦する。

地域との交流を活かす:挨拶から始まる世代を超えた地域との密着。



小さな字で書いたものは説明、解釈の文章です。

個々人の価値観が違う中でもこのケア理念の意味するところをしっかり伝えたいという思いです。


ほんとうにうちのスタッフたちはみんな素晴らしい。


みんなの想いがたんまり詰まったケア理念です。


この想いいつまでも永遠に・・・・・


ありがとうございまいした!!




思い癖。


考え癖。


これは誰にでもある癖だろうけど、相手に影響を与える、相手を不快にしてしまう癖があることを自覚したい。


何か事が起こったら、誰かに何かを投掛けられたら、まずしっかりとその話を聞いて、よく聞いて、それからそれに対して事実を理解し、しっかり受け止めて応える。


それを繰り返すことで、自分の思い癖、考え癖が見えてくるのではないの?


物事の本当の意味を知りたくないかい?



花縁にはグループホームが2か所、小規模多機能型居宅介護が1か所。


約60名のお年寄りの生活をサポートしている。


今日はそのなかでの疑問に思うことを話したい。


いろんな方がいろんな形でここのサービスを利用してくださっている。

そのなかでもこの二つの利用にはあまり区別がない。


1、グループホームに入居している方。

2、小規模多機能でロングステイをしている方。


どうしても家で暮らすことができずに入居に至ったケースだ。

めったなことでは家に帰ることはないだろう。

2の方は、相談時グループホームが開いておらずロングステイという形の利用を選択した。というか・・・・・そこしかなかった・・・・・わけである。

グループホームが開くのを待っているということになる。


そのなかのある利用者様にグループホームが開いたら移りますか?という話を説明していてそのご家族とともに疑問を持つことになった。


花縁の場合のグループホームは居室で利用する必要物品は全て利用者様ご本人に用意していただく。

ご本人が使い慣れた家具や寝具を利用していただくことでリロケーションダメージをできるだけ少なくすることが可能となるからだ。

いままでご本人が暮らしてきた様式をそのままその居室に用意しようというものだ。


タンスやテーブル、テレビ、仏壇等はご自分の使い慣れたものを使用する場合が多いがベッドは購入する方が多い。

それはなぜかというと、徐々に身体機能も衰えてくる状況にあるのに手すりも付いていないようなベッドを使用していたり、家で使用しているベッドは古くて危なかったり、床で寝ているがそろそろベッドのほうが安心だったり、自宅では福祉用具貸与していたがグループホームはできない、など理由は様々だがこれを機会にベッド購入に至るケースが多い。


(それなのに)グループホームは「居宅サービス」に位置づけられているにも関わらず、福祉用具貸与は受けられない。


またショートステイ、ロングステイ用のベッドは施設で用意するため、利用者はそのベッドを利用している。

ちなみにその方は歩行器もレンタルしている。


もしグループホームに移ることになったらそのどちらも自分で用意しなければならない。

これはどうだろう?


同じ介護保険サービス、それも同じ地域密着型サービスでありながら、一方ではレンタルが可能で、一方ではレンタルできないので買わなくてはいけない。


それを聞いたこの利用者様は「考えさせて」と笑っていた。

ご本人の立場に立ってみても、いま慣れた環境の中、落ち着いて穏やかに暮らせているものを、わざわざ場所を変え、移り住む必要があるか、それもお金をたくさん掛けて。


ということになるわけである。


介護保険はこんな風に結構お金がかかる。


グループホームは特にお金がかかる。

住んで暮らすのだからそこそこお金はかかるが月12~13万円(この辺の相場)を捻出するのは容易ではない。

それに加えベッドを購入し自立に近づける補助具も購入するというと負担が更に膨らむ。



おかしくないですかね。

利用者本位と言いながら、システム重視で制度上どうにもならないことで大きな負担を強いられる。


利用者にしてみれば「どこが違うの」と思うケアの形態なのに負担金が随分違う。

納得できないよね。


しかし、グループホームが開けば小規模多機能から移動しないと、在宅で待っている利用者様がいつまでも小規模多機能を利用できないわけで・・・・・


結果、どこにいようが、どこにはいろうが、このじじ様ばば様が困らなければいいのだけれど、かかるお金の違いにはどうにも首をかしげたくなる。





こんなことを言っていました。


「早く死ねばいいのに・・・生きているのがつらくなった」


あるお年寄りのことばでした。


すずらん館利用者で安心ホームに住んでいる拉致監禁大作戦 のおじさんは昔食堂を営んでいた。


そのおじさんが今日、自らエプロンをして夕食後の食堂に手伝いに来てくれたのだという。

安心ホームのおばさんが今後もやっていただいていいかどうか私に聞いてほしいとの事だった。

やっていただいたお手伝いは『茶碗拭き』。


安心ホームのおばさんの話では、非常にきれいに拭いて、きれいに並べてくれたという。

おばさんが困らないのであればやっていただくようお願いしてきた。


今日、突然、自分からやってきた、という。


その背景として考えられること?


いままですずらん館では食事を作っていなかった。

だけど今月の20日から朝夕だけすずらん館で作ることにした。

来月からは3食すずらん館で作ることになる。


朝夕の食事を作ることですずらん館内が『食事・作る・食べる・片づける』という工程が生まれ、じじ様ばば様たちの何かを刺激したに違いない。


また今までもおじさんは安心ホームの食堂で配膳等手伝っていたようで、それが自動的に片付けもしようと言う想いを生んだのかもしれない。


たまたま今日その配膳を手伝っている姿を目撃した私は、おじさんに「あら、何やってるの?手伝ってくれてるの?頼むね」と声をかけた。

おじさんは「うんうん、はいはい」と軽快に応えてくれたが、それも誘発されたのかもしれない。


こんなふうに、『自分から』ってことが大事なんだ。

ただ、食事を作って食べて片づけてという当たり前の過程だけど、だれでもが経験してきた体験だけに『自分でもできるかも』という気持ちが自然とわいて来るのだろう。


こんな姿を見るとやっぱり『食事』って大事だ。

自主的、主体性を生みやすい。


おばさんの話によると、「昔取った杵柄」だからと、とっても活き活きとして元気で満足そうにやってくれたという。


ありがとうね、おじさん!!



本当はどっち?


この記事は花縁開設時に書いたもの。

思い出して読んでみた。


ほんとうはネガティブなんだ。

きっとそう。



でもあるときから

ポジティブでいたほうが自分の周りに明るい、楽しい、自分にとって良いと思えることが増えだした。


無意識に身体がそれを察知した。

そのとき『夢』を描いていた。


その夢が私をますますポジティブにしていった。

その夢が叶ったらこんなに嬉しいと・・・

そんな妄想に明け暮れて毎日を過ごす。


毎日を過ごすうち、もっともっと自分の周りに

自分にとってポジティブな出来事が増えていく。


これは決して偶然ではない。


必然なんだと、


思えたこと。


だから自らポジティブに想い、考え、巡らすほうがいい。


基本ネガティブであっても


ポジティブに終えたほうが


運命とも言える必然に出会えるよ。


すべての思考をポジティブに!!

すべての言葉をポジティブに!!

すべての見方をポジティブに!!



認められるということ。


認められると人はどんどん活き活きしていく。


それを何度も見てきたから、認め合ったらいいと思うんだ。



活き活きと、楽しく、うれしく、仕事をしたほうがいいと思わないかい?




でも仕事は遊びじゃないから楽しいことばかりではない。


緊張したり、

責任感を持ったり、

気配りが必要だったり、


社会の一員として、1人の人として自分が自立して生きていながらの仕事なんだ。

だから並大抵のことではない。

どんな仕事も楽しいばかりではない。



けれど、あえて、だからこそ、

活き活きと、楽しく、うれしく、仕事をしたほうがいいと思わないかい?


そうすれば

いろんなものが見えてくるし、

緊張があるからこそ、安堵を味わえるし、

責任を果たした充実感も味わえる。


それがさらに活き活きさと楽しさに繋がっていくのではないの?


極度に緊張していたり、

責任感でつぶされそうになったり、

同僚との関係がまずくてやりにくいとか、

自信がなくて意見が言えなかったり、

怒られるのではないかとびくびくしたり、


こんな状態を続けていては活き活きと楽しいなんて程遠い。


それには

認め合うことが大事なんだと思う。


認め合う。

相手を認めて、相手に認められる。


あとは自分の問題だ。

向上心は忘れずに。



小規模多機能型居宅介護にはいいところがたくさんある。


たとえば、いままでの居宅サービスでは・・・・・


通所サービス利用を開始したが、通所スタッフが迎えに行っても出かける支度ができない場合、その時間に訪問サービスを入れて出かける支度の支援をする。

通所サービスを利用したくても、通所と訪問の二つのサービスを利用しないと実現できない。これの頻度が増すと限度額を超えてしまい本当に受けたいサービスが受けられない。

通所サービスを利用中、途中で帰りたくなり、帰れる環境が家にあっても帰ることは許されない。

また朝調子が悪くて通所サービスを断ったが、昼過ぎ調子が回復してももう行くことはできない。

通所サービスの送り迎えの時間以外はサービスを利用できない。

訪問サービスの内容は初めから決められており、別の内容のサービスは提供できない。

訪問サービスでの買物だって指定の店しか行くことができず、今日急に購入したくなった指定の店では売っていない品物は我慢するしかない場合もあるようだ。

みなさん御存じの通りショートステイは何カ月も前でなければ予約できない。

等々・・・・・



ところが小規模多機能型居宅介護は上記の問題は少なくなる。


通いサービスのお迎え時に出かける支度ができちゃう。

通いサービス利用中、どうしても帰りたくなったら帰ってもいい。

通いサービスの日だったけれど調子が悪くて休んだ。日中一人になってしまうため、急遽訪問サービスを入れる。訪問して昼食を作り食べて、元気になったから午後通いサービスにお連れした。

通いサービス時間は9:00~17:00だがそれ以外でもご家族の送迎があれば何時でも受け入れられる。

買い物も特に店の指定もなく、ほしいものを随時買ってくることができる。

ショートステイはそんなに時間をかけなくてもすぐに利用することができる。(空床があれば:その事業所によってショートステイの数が違うため事業所によって条件が違う)


小規模多機能にはいいところがたくさんあるよ。


君たちは素晴らしい!


花縁には若いスタッフが多い。

その若い子たちがいつもいつも思案してくれる。


生きること。

死ぬこと。


一緒に生きること。

さようならをいうこと。


誰に教わったわけでなく

ばば様のために

家族のために

同僚のために

考えて考えて

そして

さようならのあとも考えて。


こんな若さで「死」を共同して

今を共感することを学び

自分探しができること。


そのことに感謝出来て

自分を見つめることが出来て。


君たちは素晴らしい!


ここにいてよかった。

そう言った子がいた。


でもね

その「ここ」を作っているのは君たちなんだよ。


ひとりひとりが

ひとりひとりのポジションで

その子らしく成長したね。


あなたたちがいるから花縁があるんだよ。

あなたたちが花縁を作っているんだよ。


花縁のスタッフに感謝!

あなたたちの力は素晴らしい!


椿ユニットで最期を迎えたばば様の娘様が今日あいさつに来られた。


新しい布団を寄贈してくださった。

それはばば様が大事に保管していたものらしい。


最後にまた丁寧に涙しながらお礼を言ってくれた。


母は本当に幸せでした。

最後苦しまず笑ったようにいい顔で、

家族にも、先生にも、スタッフの皆さんにも看取られいい最期でした。

親戚のみんなからよかったよかったと言ってもらえたし

本当に感謝しています。

最期の時が近づくとやっぱり動揺することもあって

スタッフの皆さんにきつく言ってしまったりしたこともありました。

それなのに本当にありがとうございました。



それは桃ユニットのばば様とそのご家族も同じだ。

急に逝ってしまったばば様のことを思い、スタッフたちは少し悔んでいた。

その悔いは戻ることはできないけれど

その悔いをもう二度と繰り返さないようにと誰もが感じていた。


でもばば様のきれいな顔は穏やかな死だったことを示していて

お坊様にもとっても褒められたのと。

本当にすっきりしています。

ありがとうございました。

と、また感謝のお言葉を下さった。



お礼を言いたいのはこちらのほうである。

彼女たちの成長ぶりを見ればどれだけばば様たちの死が偉大なものだったかわかる。


私がいくら伝えても習得できない、大きな成長を遂げた。

それを「死ぬ」ということで、ばば様たちは「死」を持って全身全霊で教えてくれたということだ。

そしてそれを若いみんなは全身全霊で受け止めたのだろう。


みんなで超えたこの経験だからこそ、

みんなのことが互いに愛おしくまた前を向いて歩けるのだろう。

こんな経験ができること、こんな経験ができたこと、

それに対して感謝・感謝・感謝。



椿ユニットのばば様の娘様は最後に

また遊びに来ます。

こちらのほうに足が向くんです。

ここへくると落ち着くし、まだ母が生きているように思えて・・・・・


そう。

生き続けていますよ。


みんなと一緒に生き続けるのです。

たくさんの思い出とともに。


ありがとう。