ある方の利用相談を受けた。


ご主人が『若年認知症でレビー小体病』だと診断されたのだという。


奥様はご自身も病と闘いながら自宅で二人暮らしをしている。

花縁に来られた時少しお疲れの様子だった。

「このままの状態が続くとこれ以上一緒にいられないかもしれない」


ただ、今現在このお二人の環境を大幅に変えてしまうことは得策ではないと思えた。

現在受けているサービスを継続しながら何か新しい手立てはないものか考えてみた。


とりあえず私の知っている本を紹介。

そこに掲載されている専門医の受診を勧めた。


それから若年認知症、レビー小体病に詳しい方に連絡をさせていただき今何が必要かアドバイスを頂いた。


まず病気を知ること。

ご本人はもちろん、ご家族、担当ケアマネ、サービス事業所スタッフ、そして何より誰より私自身が自分で勉強することの指導を受けた。


まず家族の会などに入会すること、各研修会に参加してみること、それをいろんな方々にお伝えしていくこと。


そしてご家族もまたその本に掲載されていた専門医を予約し受診してきた。

そこで診察の途中先生は「レビー小体病じゃないかもしれない」

そう言ったのだという。


私も先週若年認知症研究会に参加して様々な症例を聞いているうち、彼はレビー小体病じゃないんじゃないかと、ふと思っていたのでその話を聞いてびっくりした。


2年前にレビー小体病と診断され、昨年の秋ごろから進行しているように感じられ奥さまの負担が増えてきた。


それが今病名事態違うかもしれないといわれたのである。


どんな医者でもお医者様に診断されたらそうだと思い込んでしまう。

ひとつも疑おうとは思わない。


しかし病名は重要なのではないだろうか。

特に若年認知症の場合は・・・・・


ご本人は今回病院に行くことをためらわず、むしろ「待っていた」という様子だったという。


このことはご本人の苦悩がどれほどのものだったのかを推測できる事柄ではないだろうか。

どうにかしたい。

苦しい想いを解決したい。

誰かに助けてもらいたい。


そんな思いで今までいたのだろう。

もとろん奥様も。


若年認知症の集いがあると聞いた私は、お二人にもその知らせを持って行った。

ご本人も参加できるとのことで是非行きたいと話された。

一緒に行ってこようと思う。


一番苦しいのはご本人なんだよね。

この大きな不安な想いを少しでも軽くしていただけたら。





札幌のグループホームでおきた火災。


各地で大きく取り上げられている。

あちこちの施設の職員がインタビューに応じて話している。

それぞれの価値観があちこちで発せられている。


今回の火災については直面して気がつくことが沢山あったのではないだろうか。

それを無駄にしてはいけない。

各自が自分のことのように考え、自分の行えることを行動に移していかないと。



でも火災に関することだけではない。

今回のことは氷山の一角なのではないだろうか。


グループホームという小さな社会で繰り広げられている様々な世界。

そこに携わるスタッフの質によっていろんな世界になっている。

どんなスタッフがいるかによって世界が変わっていく。


その責任は大きい。

それを自覚しているだろうか。


その施設に携わる人それぞれが各自の立場で自覚しているだろうか。


そのために必要なことはなんだろうか。


虐待。

身体拘束。

防災の意識。

事故の防止。

感染対策。

病気の知識。

認知症の知識。


具体的にいえばきりがない。

これを各自がどう意識しているか。


それを学ぶ機会があるのか。


そしてその前にそれを活かせる環境はあるのか。

それを互いに共有しあえる環境はあるのか。




新聞報道等でご存知とは思いますが、13日早朝、札幌市北区屯田の非会員である認知症高齢者グループホームに起きまして火災が発生し、残念なことに7 名の死亡が確認されました。


お亡くなりになられた利用者様のご冥福をお祈りいたしますと共に、入居者様、ご家族、スタッフ並びに関係者各位に心中よりお見舞い申し上げます。


詳しくはこちら


あの日じぃじはまたひとりでいそいそと出かけて行った。


本屋に。


そうしてまたあの「エロ小説」を1冊買ってきた。


そしてその次の次の日・・・


またまた出かけて行ったという。


そうしてあの「エロ本」を2冊購入したという。


結局合計4冊になった。


部屋のマッサージチェアーの脇のポケットに入れているという。


そしてじぃじはとっても機嫌がいい。


いままでピリピリ怒っていたこともさらっと笑い流しているという。


まわりの人の行動が気になっていつも不機嫌になっていたけどそんな表情もいまはなくなったという。


やっぱりそんなじぃじが愛おしいなぁ・・・・・・・。


ときわ館楓ユニットのじぃじは独創的で創造力が豊かな人。


あさがおくまの絵かざくるま でもわかるように、何かを自分の手で創り出す能力を花縁でも発揮している。


そのじぃじが『エロ小説』を買ってきた。


行きつけの本屋に行くというので花縁の車で送りその後は1人で本屋で過ごしていた。

そろそろ迎えに行こうかとスタッフが本屋に迎えに行ったとき、じぃじは男性客しか行かない「エッチ」な本が並んだところで真剣にその本を見ていたらしい。


スタッフはためらわず『じぃじ、そろそろ帰ろう』と肩をたたいた瞬間、びっくりしたじぃじは持っていた本を咄嗟に裏返しに投げつけた。


スタッフは『買ったらいいんじゃない?』と声をかけたが、じぃじは「いや・・・・いいんだ」と応えたという。

それでその日はなぜか「姫路城」という写真集を買ってきた。


その次の日またその本屋に行くという。

また車で送り、ひと時1人で本屋を堪能したじぃじはこっそり「エロ小説」を購入していた。

前の日読んでいたものかどうかはわからない


居室でひそかに読んでいるらしく、ノックと同時にドアを開けてしまったらあわてて布団の中に隠したという。

こっそりのぞいてみたところ、布団の中やベッドのマットレスの下にしまってあったという。

なによりその日は一日ご機嫌で、終始笑顔だったという。


夕食時いつもなら声をかけに行くのだが、その日は自分から出てきたのだという。

いつも声かけして出てきても何かしら文句を言うのに文句も言わずご機嫌で・・・・・


そんなじぃじが愛らしい。


これからじぃじの部屋に行く時は、ちゃんとノックしてじぃじの返事があってからドアを開けるようにしよう。

ゆっくり読ましてあげたいからさ。

どきどきしながら読むのもいいもんかな?


自然で無理のない感情や想いを、想いのまま成し遂げていられる環境があるってことだとおもった。


「姫路城」はカモフラージュだったのか?


そんなじいじは今日もまたひとりで出かけて行った。


こころがうごく。



聞いたもの、見たもの、触れたものに自然とこころがうごく。



こころがうごいたとき、行動となる。



自然に行動してしまう。



こころがうごいたことわかったかな?





なるようになる。


在るように在る。



いま目の前の事実に真摯に正直に純粋に生きる。


そうすれば


在るように在る私になる。



いままでどうだったか

これからどうすればいいか

そんなことはどうでもいい。



今を生きれば。


在るように在る私になる。


それがなりたい自分ではないの。


「こまったな・・・」

「たすけてけれ・・・」

「ぐあいわるい・・・」

「どうしたらいいべ・・・」

「だめだな・・・」

何度も何度も繰り返す。


ばば様の言葉たち。


ばば様のあり方。


これがいまのばば様のありのままの姿。


いいんだよ。


それでいいんだ。




答えはその人の中にある。


ケアの質もその人の中の答えで決まる。


その「質」は何によって在るのか。


生きてきた道、感じてきた心、見てきた光、聴いてきた響、触れてきた温もり・・・によって在るもの。


その人でなければわからない経験によるもの。


だから答えは幾通りもある、違って当然。

わかることのほうが難しい。


でも認めることはできる。


そしてひとつになれる。


その方法は数限りなくあるから。


質が幾通りもあるように、方法だって幾通りもある。


みんなはそれに気づいていないだけ。



ひとつになろうよ。


互いを認め、互いに方法を創造する。


認め合って初めて気づく。


ひとつになれるということを。