考えすぎた結果、思わぬ方向に人生を歩んでしまったけれど
そんな先でも「いい出会い」というのはあるのです。
私の目の前には「思わぬ方向の人生」しかなくて
本当に進みたかった人生はすでにかなわぬ夢。
今となっては
「本当に進みたかった」人生を進むとどうなっていたかなんて
絵空事にすぎなくて
だからこそこれに夢をみてしまうのでしょう。
目で見えている人生でのいい出会いを
素晴らしくおもい、感謝し回想するけれど
もう一方の自分はそんなにいい出会いをしていながらも
「本当に進みたかった人生」に目を向けてしまう。
随分進んだそこで立ち止まり
随分前の別れ道を眺め
そちらに進んだらどうなっていたのであろう。
たしかに今のような素敵な出会いはなかったであろう。
それでも私は「幸せよ」といえたであろうか?と
幸せ
様々な出会いが私に幸せと感謝の気持ちを与えてくれます。
楽しかった。良かったと思うたび
その現実に浸っていればいいだけなのに
それでも私は別れ道を振り返ってしまうのです。
今の私は自分が選んだ人生を歩んでいますが
本当は
何か正しいのかなんて全然わかりません。
答えなどないのかもしれません。
でもどうしても振り返ってしまう分かれ道。
これを消してしまうこともできないのです。
誰かと話をするたび
楽しいことがあるたび
悲しいことがあるたび
いい出会いがあるたび
目の前には進んでいく人生ではなく
別れ道が頭をよぎります。
振り返ったところで
過ぎてしまった分かれ道
嘆いたところで
戻っていけない分かれ道
この先どうなるかなんで私にはわかりません。
また同じ様なことを繰り返すのかもしれません。
それも自分の選んだ人生だけど
幸せな自分を作りたいだけなのに
どうしてのぞんだ道を選べないのでしょうか?
のぞんだ道を選ぶと必ず目の前に壁が立ちはだかる。
ということはそちらにはいってはいけないの?
そちらは「本当は」自分がのぞんでいない人生が待っているの?
本当にわからない
本当にわからない
本当に
私はどこにいても幸せです
私は一人でいても幸せです
どこにいても貴方を思う気持ちは変わらないから
貴方と出会ったことが私の一番の幸せだから
それでもやっぱり
貴方の近くで
幸せでいることができれば
本当に幸せ
本当に・・・
本当に?
・・・・・・・。