耄碌妄想日記 日曜版 №84 | 楓坂四駒堂

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耄碌妄想ラブラブ日記

 曜版No.84でおます!

 

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♪いまでもあなたを 待ってると

いとしいおまえの 呼ぶ声が

俺の背中で

潮風(かぜ)になる~

 

※詞・山口洋子

 

 

「昭和」の「ダンディズム」を代表する?1曲。

「石原裕次郎」

1987年(昭和52年)の夏

亡くなって一月後に

「追悼盤」としてリリースされた楽曲。

♪北の旅人

 

病に倒れた「裕次郎」への想いを込めた

「山口洋子」入魂の歌詞

 

北海道を歌った歌ですが…

レコーディングは病気療養中だったハワイで…。

 

何故か「ダンディズム」に浸りたくなると…

別に浸る必要もないのですが…わんわん

今でも必ずこの歌を唄います。

 

そして昭和のおやじは…

泣けるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

何のカムバックやら…

 

この連作4コマ

名作を冒涜する気は

サラサラありませんが…

 

いや…そうなのか?

絶望

 

次回は「普通の人々」の

普通でないお話…

 

 

 

 

2章

「豊饒の海へ」

 

Chapter3

年誌は荒野をめざす

 

「ボーイズライフ」から

 「ビッグコミック」

その15

 

 

「村野守美」

 

 

 サブタイトル…「ボーイズライフ」から「ビッグコミック」へ

 と言うことで…「ビッグコミック」創刊の1968年春までの「青年コミック誌」の流れをごく簡単に振り返っているのですが…

 あくまでも、創刊したコミック誌別に進めていますので、多少、時間のズレは生じます。

 

 その「ボーイズライフ」が出るその前年、1962年創刊「漫画ストーリー」の想い出を、くたびれ果てた記憶中枢を叱咤激励しながら綴っています。

 なんせ、まもなく高貴高齢者キラキラ違うか!絶望

 

 「漫画スト-リー」

 そこで「モンキー・パンチ」を見つけたのは1967年…。

 やはり…少し時間軸を進めています。

 

 「村野守美」

 個人的には「好きな…」ということで言えば、ベスト3に入る漫画家。

 全ての作品に魅了されてきました。クラッカー

 

 2011年の訃報はショックでした…

 もう新しい「村野守美」が読めない…!汗

 それともうひとつ思ったこと…。

 

 村野作品がお好きな方なら誰もがご存知…

 スタッフ名の最後は「村野妙子」キラキラ…奥さまですね。

 

 二人三脚で作品を創り上げてきただけではなく…

 度々…というかかなりの頻度で作品に登場する「タエ」という女性。

 現代ものでも、時代物ものでも…。

 

 まず、思い浮かぶのが「草笛のころ(1973~・週刊漫画アクション)」「タエ」

 この「オサム」「タエ」の物語。ラブラブ

 間をおいて少しずつ描き続けられました。

 大大、大好きなシリーズ!目がハート

 

 1978年には「週刊漫画ゴラク(日本文芸社)「オサムとタエ」

 1980年には同じく「日本文芸社」「カスタムコミック」「草笛の季節」を。

 他にもあったかもなぁ…。

 「オサム」「タエ」にご夫婦お二人がダブって…

 「オサム」ってのは「虫プロ」時代の師匠「手塚治虫」からなのかなァ…?

 

 とにかく、これほど奥さまの存在を、作品の中に生かした作家を私は知りません。

 自慢の女房…と言うより、リスペクト?…それがとても素敵でした…。ラブラブ

 

 このご主人を亡くされた奥さま…「村野妙子さん」

 その喪失感は如何ばかりかと…。

 

 「村野守美」1941年満州生まれ…

 「もりみ」ではなく「もりび」

 こんなところにもファンは、何故かしびれます。

 

 日本への引き揚げ時に事故により脊椎を損傷…

 障害を負った形で、苛酷な漫画家生活を送った訳ですね…。

 

 この人の作品世界のとてつもないやさしさ・あたたかさ…そうした人間的な魅力には、こうしたハンデが培ったものかも…。

 しかし漫画界では「豪傑」と呼ばれる一面もあったらしく…

 ま、時には苛立ちで暴力的にもなったとか、どうとか…?

 プライベートは全く知りませんが…

 ともかくこの人の描く世界が好きでした。

 

 1960年、少年漫画誌「少年(光文社)でデビュー…19才。

 

 その後、60年代半ばまでは「なかよし(講談社)を中心に「少女雑誌」で活躍。

 私は当時、その存在を全く知りません。

 

 私が初めて「村野守美」を目にしたのは、1967年

 「モンキー・パンチ」とほぼ同じ頃ですね…

 大学受験勉強中のさ中…「別冊漫画ストーリー」に掲載された「ギロチン無惨」でした。

 「画、うまァ!」

 構成・構図は手塚治虫ばり…

 画、そのものは「手塚」というより「永島慎二」に近い感じ…。

 私、ひょっとして「永島慎二」のアシ出身…?と勘違いしたりしました。

 

 

 この「ギロチン無惨」…物語の背景はフランス革命。

 「ベルばら」よりずっと前…。

 こうした素材も新鮮でした。

 

 主人公は、革命弾圧派…バスティーユ牢獄に勤務する拷問医「ギョッタン」

 凄いですね「拷問医」って?ドクロ

 自供を引き出す効果的で残忍な拷問を考えるんですね…医師の立場で。

 おわかりでしょうが、究極あの「ギロチン」を生みだす訳ですが…。

 

 結果、「ギョッタン」が創り出した「ギロチン」で首を落とされるのは「ルイ16世」「マリー・アントワネット」だけでなく…?というところが、この物語のミソ。

 効果的なモノローグで、手堅くまとめた20ページの短編。

 

 ちょうどCOMが創刊した年。

 後から思えば、COM向きの作品でした。

 これを掲載した「別冊漫画ストーリー」の英断?…先見の明?クラッカー

 後に「アクション」でも珠玉の作品群を発表していく訳ですが…

 

 尚、「村野守美」COMに登場するのは、1971年「言葉のない部屋」

 ガロ「青林堂」はと言えば…多くの自選集を出しているものの

 ガロ本誌への描きおろしは遅く、1978年7月号「楽園喪失」が最初?

 なぜか「楽園衷失」だった気も…?

 

 ともかく「ギロチン無惨」の頃と言えば、例えば「芳文社」「コミックmagazine(1966~)」「漫画パンチ(1967)~」「漫画コミック(1968~)」

 「芸文社」「コミックVAN(1968~)」

 「少年画報社」では「ヤングコミック(1968~)」

 「双葉社」ではご存知「週刊漫画アクション(1967~)」などなど

 

 もちろん「小学館」は満を持して「ビッグコミック(1968~)」を月刊で創刊…

 「青年コミック誌」の創刊ラッシュの時代。DASH!

 

 「村野守美」1968年以降も、こうした各誌で作品を発表していきます。

 

 さて、この「ギロチン無惨」が収録された単行本…

 1968年発行の「ホームランコミックス(東考社)」短編集「ギロチン無惨」

 もうボロボロですが、私は今も持っています。

 当時のこの「ホームランコミックス」というシリーズ。

 「水島新司」「平田弘史」の短編集など、やはり漫画愛に満ちたラインアップでした。

 

 奥さま「村野妙子さん」の話をしました。

 この単行本の巻末の作品「妙」…やはりヒロインの名前です。

 江戸へ向かう廻船での人間ドラマ…

 ま、ちょっと「山本周五郎」って感じのエピソード。

 この後「村野守美」は江戸の市井の人々…職人なんかを好んで描いていくんですけどね…。

 

 失礼ながらその師「手塚治虫」とは違い…「女性」…と言うより「女」が描けるんですね…。

 「秘技御法」「媚薬行」などという色っぽい作品集もあるくらい…

 女性の生々しい色香を何故か爽やか?に表現できる稀有な作家。

 

 少し後(1969年)「漫画ストーリー」では…その持ち味を生かした…

 「池袋の女」を始めとする「女」シリーズ…。

 好きでした…。

 

 私の部屋の現在の書棚…作家別の棚は三つのみ。

 上から「永島慎二」「村野守美」「真崎・守」…それぞれの単行本が並んでいます。

 

 好みと言うか…漫画の趣向はこの頃から不変です。ドキドキ

 

 そして他の棚には「かわぐちかいじ」「大友克洋」「大島弓子」「樹村みのり」「浦沢直樹」「浅野にいお」「真鍋昌平」「南勝久」「遠藤達哉」「田村由美」「末次由紀」らがアトランダムに…。

 

 全集の中でも「ワイルド7」全巻と「がきデカ」全巻、「ルパン三世」「萩尾望都作品集」なんかはしょっちゅう読み返すので、この棚に並べてあります。

                

 大胆な決めつけをすれば…これらの作品の多く…そのおもしろさ、その漫画技法の根源を辿ると…私の中では「手塚治虫」から薫陶を受けたこの三人に遡るのです。

 

 この60年代後半の「村野守美」

 「永島慎二」「真崎・守」を交え、次週ももう少し…