2月5日日曜日
午前0時になりました。
ご訪問
毎度ありがとうございます。
では
「世界むかつき話」から
始めま~す!
「アンデルセン」です。
ね?
ほぼ想像通りのオチですね。
ダチョウは基本、草食動物
いいのかなあ?…と思いつつ
まあ…いいか
とも思いつつ…むにゃむにゃ
第2章
「豊饒の海へ」
Chapter2
群雄割拠~漫画誌戦国時代
その14
評伝など書く気はありませんが…書けませんしね…
ほんの少し「梶原一騎」について…。
あの時代、漫画界に大きな足跡を遺した作家であることは間違いありません。
「梶原一騎」…本名「高森朝樹」
ね?…まるで芸名かペンネームのような名前ですね。
この本名の一字を変えた「高森朝雄」。
「あしたのジョー」の原作はこの名義で…。
この使い分けは何か意味があるのでは?と考えたのですが…
「少年マガジン」誌上においては、単に「巨人の星」との差別化だったようで…。
ついでに言えば、「梶原一騎」というペンネーム。
由来はあの「梶原景時」?…とか迂闊に思っていたのですが…
実は、少年時代に恋した女性の名前から…と聞いて
格闘技・スポ根ものの硬派な作家とは別な顔を見たような…。
ま、「愛と誠」という作品もあった訳で…
不器用で?一途なロマンチスト…という一面もあったんでしょうね…
そう言えば…ラブロマンス
あの「牧美也子」と組んだ「恋人岬(1976・週刊明星)」なんてのもありました。
たしか「松坂慶子」主演で映画化もされた筈。
こうした意外性ということでは…少し余談になりますが…
あの「つのだじろう」。
70年代では「プレイコミック(秋田書店)」で「女の詩シリーズ」。
80年代には、オカルト漫画とは別に、「週刊女性(主婦と生活社)」誌上で「銀座花族」などのレディスコミックを描いた時期があります。
この「銀座花族」…
「虹子の冒険」というタイトルで「久世光彦」演出でドラマ化(テレ朝)されたのが1980年。
「夏目雅子」のドラマ初主演作、共演の「田中好子」にとっては「キャンディーズ」解散後、初めてのドラマ出演でした。
その後の二人の深い関係はこのドラマがきっかけ…?
その「つのだじろう」と「梶原一騎」との「空手バカ一代」をめぐる悶着。
案外、お互いの中に同じものを見たが故の、確執だったかも…。
見事に見当はずれなこと言ってる気もしますが…う~ん!
ま、ともかく個性あふれる二人だった訳で…。
さて…ようやく「あしたのジョー」…。
私にとっては「ユカを呼ぶ海」から読み続けている「ちばてつや」です。
一方、「チャンピオン太(1962・吉田竜夫・週刊少年マガジン)」
「ハリス無段(1963・吉田竜夫・週刊少年マガジン)」
そして「巨人の星(1966)」
更に「柔道一直線(1967・永島慎二・週刊少年キング)」
「あしたのジョー」とほぼ同時に連載が始まったのが…
「タイガーマスク(1968・辻なおき・ぼくら)」です。
当時のあの格闘技漫画のラインナップがやや苦手だった私は
あの「ちばてつや」も「梶原一騎」に染まってしまう!…。
そんな、ささやかな危惧を憶えたものでした。
「梶原一騎」の最高傑作…
「あしたのジョー」をそう評価する人は少なくありません。
そうだとすれば、一歩も引かず、お互いの作家魂をぶつけ合った制作過程…
そうした緊張感の中から生まれた故の、作品としての輝きだったのだと思います。
「力石徹」の死をめぐってだけでなく
様々な局面での衝突の中で、多分、相手に対するリスペクトも生まれていった筈…。
「ジョー」「力石」はもちろん…特に「マンモス西」のようなキャラの造形は、「ちばてつや」ならではのもの…
そして「泪橋」の夕陽など…。
「ちばてつや」の漫画家としての圧倒的な力量。
それを「梶原一騎」は改めて実感した筈。
「ちばてつや」にしても、「梶原一騎(高森朝雄)」がその類まれな想像力で、次々に繰り出す展開の妙…そして、「力石」亡き後のライバルたち。
多少の戸惑いもあったでしょうが、これは漫画家魂を大いに刺激し続けたに違いありません。
これは原作者と漫画家の1対1の真剣勝負。
ひとりの孤高のボクサーの生き様から迸(ほとばしる)る熱気が、ページを繰る度に感じられたあの頃。
この物語を読み続けていくうちに…
私たちは、この組み合わせでなければ、生まれなかった奇跡
1+1が3にも5にもなることを目撃します。
はたして「白木葉子」を創り上げたのはどちらだったのか?
やはりこれは、二人によって必然的に育てられたキャラクターだった気がします。
今振り返ると…
ああした形で生まれた、あんな漫画はもう二度と出てこない…
漠然と…いや、確信をもってそう思います。
次週へ…。
遥かなるスクリーン
Guess I'll always care~
その4
この頃…私の中学時代…
1960年初めの頃ですが、当時観た洋画についてもう少し…。
まず…当時の映画館特有の「音」について…。
幕間…休憩時間はBGMが流れていた気がします。
よく行った3本立の2,3番館ではまず、少し前のヒット歌謡曲…
演歌・青春歌謡が中心ですけど…
記憶にあるのは、当時人気絶頂だった「ハナ肇クレ―ジーキャッツ」とか
♪ハイそれまでよ♪ホンダラ行進曲♪五万節などの毎年ように繰り出されたヒット曲の数々。
何か…眠気覚ましなんでしょうか…
♪恋の山手線(小林旭)や♪お座敷小唄(和田弘とマヒナスターズ)とかね。
しかし、ロードショー劇場はさすがに違って、やはり品の良いインストルメンタル。
時には上映映画のサントラが…
「ヘップバーン」の「シャレード(1963)」なら「ヘンリー・マンシーニ」のあのテーマだったり…。
そして上映開始を知らせる「ブザー」。
あれは変わんない気がしますが…
今のシネコンなんかは、CMその他、本編上映前にいろいろ情報流すんで、「ブザー」なしで始まるところもあるんでしょうね。
映画そのものの「音・サウンド」は次第に新たなシステムに変わってはいましたが
しかし、音響そのものは映画館の設備によるところが大きく…
当たり前ですが、やはり大劇場…ロードショー劇場は違いました。
それと今のようなデジタルではないアナログのフィルムの時代。
ほとんどBGMにかき消されるものの、フィルムがリールに巻かれるモーター音、そして映写機と接するときの摩擦音…。
「ジー‥‥」って感じ?
静寂の場面ではそれが際立って…
それが少しも、邪魔でも嫌でもなかったですね…
何か創り手たちの鼓動のようで…。
ああ!これが映画の音なんだ!…そんなこと考えてました。
記憶にある当時の洋画の話。
また少々繰り返しになりますが…当時の映画館について。
名古屋駅近くの「メトロ劇場」「毎日ホール大劇場」
凄いでしょ?「大劇場」って。
たしかに座席数560余り…近くの2,3番館とは比べようもないロードショー劇場でした。
「名鉄メルサ」の開業と共に、地区最大1000席以上の収容人数を誇った「名鉄東宝」は、少し後1967年のオープン。
ちなみにですが、この時の初上映プログラムが「風と共に去りぬ」
もちろん何度目かのロードショー。
この真新しいシートに腰を沈め、この大作を改めてじっくりと鑑賞した記憶があります。
相変わらず、他の地方のみなさんには何のこっちゃ?ですよね。
それと都心部「スカラ座」「ミリオン座」。
どこで何をという記憶は、もはや定かではないのですが…
この頃、どう考えても、その後映画史上に残る大作・名作が多かった気がしてなりません。
映画ファンにとっては実に幸せな時代でした。
長くなりついでに…
これも繰り返しになるのですが、当時の愛すべき映画たちの一部。
「太陽がいっぱい(1960・仏・伊)」
「ルネ・クレマン」監督、「ニーノ・ロータ」の音楽。
この1作だけで、主演の「アラン・ドロン」を世界的トップスターに押し上げた作品。
「わしといったい、どこいらが違うんや!」
思ってはみたものの…違い過ぎるやろ!
「ヒッチコック」の傑作スリラー「サイコ(1960)」
あの「アンソニー・パーキンス」が覗き見する眼…
恐ろしいですね…怖いですねえ…眼科医用のカメラで撮影したんですね。
「ヒッチコック」のカメオ出演のシーンを探す余裕もなかったです。
「荒野の七人(1960)」「大脱走(1963)」
いずれも「ジョン・スタージェス」監督作品。
もう極上のエンタメ作品…その後もDVDを含めで何度、観たことか…。
「ウエストサイド物語(1961)」「アラビアのロレンス(1962)」「地下室のメロディ(1963)」「北京の55日(1963)」「マイ・フェア・レディ(1964)」…もう挙げたらキリがおまへんよって、やめますが…。
なけなしのおこづかいをはたいてでも…と劇場に向かわせた熱い映画の数々。
その中の何本かの恋愛映画…
同じ頃の「シェルブールの雨傘(1964)」はその後、何度かは観ているのですが
当時一度きりしか観てないのに、未だに記憶に残っている映画があります。
何もかも憶えているほどではないのですが…
自分でもそこのところが不思議で…。
そうですね…ハリウッド資本の興行戦略が功を奏したのか、現在、日本で公開される大半の洋画はアメリカ映画。
あの時代、もっとフランス映画、イタリア映画などヨーロッパの映画が、ごくごく一般に公開されていた気がします。
この映画も「イタリア」と「フランス」の合作。
「太陽がいっぱい」とは逆パターン(メインはイタリア)。
戦後イタリアの混乱を背景に描かれた、切ないラブストーリー。
「ブーベの恋人(1964)」
原題が「La ragazza di Bube」
「ブーベ」は人名なのですが、もうこの響きがラブストーリーなのです。
監督はその後、やはり切な過ぎる家族愛を描いた「天使の詩(1966)」の「ルイジ・コメンチーニ」。
「ブーベは私の恋人だから…」
ヒロイン「クラウディア・カルディナーレ」の一途な恋人への想い。
いくつかの情熱的なキスシーン…。
恋人「ブーベ」を演じたのは「ウエストサイド物語(1961)」で「シャーク団」のリーダー「ベルナルド」を演じた「ジョージ・チャキリス」。
もう絵のような美男美女。
ええい!恋愛映画はこうでないとダメなのでしょうか?
特に「クラウディア・カルディナーレ」…
もう名前が美人ですもん…。
その名に負けず、ショートカットが可憐でキュート、知的で清廉で美しく…。
通称「C.C.」。
「K.K.」の「樹木希林」では、多分こうは行かず…
ほんと、失礼!…深く反省!…でもウケそうなんでこのまま!
ともかく彼女の魅力が満載の映画と言っていいかも…。
その後に観た「ヴィスコンティ」の「若者のすべて(1960)」そして「山猫(1963)」
更に「フェリーニ」の「81/2(1963)」
そして「ピンクパンサー(1963)」よりも…
この映画の彼女の方が素敵でした。
映画後半、覚醒したように耀く彼女の姿…。
やはり強い女性は美しい…。
そんなこんなを、私が今も断片的に覚えているということは…
物語を包み込むように流れるBGM…。
やはり「映画音楽」の力って、つくづく大きいんだと思いますね。
哀愁を帯びた、ドラマティックな「カルロ・ルスティケッリ」のあのテーマ曲。
音源、貼らんかい!って話ですけど…むにゃむにゃ…
日本語訳詞(漣健児)によるカバーもありました。
おとうさん!憶えてますか?
「ザ・ピーナッツ」とか唄ってましたよね。
今も聴くたび…
「クラウディア・カルディナーレ」のあの笑顔と吸い込まれそうに情熱的な目力を想い出します。
ちょうど「東京オリンピック」の年…。
背伸びして観た中坊の私には、何もかも眩しい映画でした。
「名古屋純情シネマ」…
少し間をおいての「高校篇」。
そろそろ「ロマン座」界隈を徘徊します。
で、次週からの日曜版コラムは久々…
「アパート」「坂道」に続く「くちづけソング考」
寒さに負けず、おっちゃん、くちづけしまくります。
何じゃ?それ!