耄碌妄想日記 日曜版 №30 | 楓坂四駒堂

楓坂四駒堂

4コマ漫画&諸々駄文晒してます。

2月5日日曜日

午前0時になりました。

 

ご訪問

毎度ありがとうございます。

ドキドキ

 

 

 

では

「世界むかつき話」から

始めま~す!

「アンデルセン」です。

 

 

ね?

ほぼ想像通りのオチですね。

ダチョウは基本、草食動物

いいのかなあ?…と思いつつ

まあ…いいか

とも思いつつ…むにゃむにゃ

 

 

 

 

第2章

「豊饒の海へ」

 

Chapter2

群雄割拠~漫画誌戦国時代

その14

 

 評伝など書く気はありませんが…書けませんしね…

 ほんの少し「梶原一騎」について…。

 

 あの時代、漫画界に大きな足跡を遺した作家であることは間違いありません。

 

 「梶原一騎」…本名「高森朝樹」

 ね?…まるで芸名かペンネームのような名前ですね。

 

 この本名の一字を変えた「高森朝雄」

 「あしたのジョー」原作はこの名義で…。

 

 この使い分けは何か意味があるのでは?と考えたのですが…

 「少年マガジン」誌上においては、単に「巨人の星」との差別化だったようで…。

 

 ついでに言えば、「梶原一騎」というペンネーム。

 由来はあの「梶原景時」?…とか迂闊に思っていたのですが…叫び

 実は、少年時代に恋した女性ドキドキの名前から…と聞いて

 格闘技・スポ根ものの硬派な作家とは別な顔を見たような…。

 

 ま、「愛と誠」という作品もあった訳で…

 不器用で?一途なロマンチスト…という一面もあったんでしょうね…

 

 そう言えば…ラブロマンスドキドキ

 あの「牧美也子」と組んだ「恋人岬(1976・週刊明星)」なんてのもありました。

 たしか「松坂慶子」主演で映画化もされた筈。

 

 こうした意外性ということでは…少し余談になりますが…

 あの「つのだじろう」

 

 70年代では「プレイコミック(秋田書店)「女の詩シリーズ」

 80年代には、オカルト漫画とは別に、「週刊女性(主婦と生活社)誌上で「銀座花族」などのレディスコミックを描いた時期があります。

 この「銀座花族」

 「虹子の冒険」というタイトルで「久世光彦」演出でドラマ化(テレ朝)されたのが1980年。

 「夏目雅子」のドラマ初主演作、共演の「田中好子」にとっては「キャンディーズ」ドキドキ解散後、初めてのドラマ出演でした。

 その後の二人の深い関係はこのドラマがきっかけ…?

 

 その「つのだじろう」「梶原一騎」との「空手バカ一代」をめぐる悶着。

 案外、お互いの中に同じものを見たが故の、確執だったかも…。

 見事に見当はずれなこと言ってる気もしますが…う~ん!叫び

 

 ま、ともかく個性あふれる二人だった訳で…。

 

 さて…ようやく「あしたのジョー」…。

 

 私にとっては「ユカを呼ぶ海」から読み続けている「ちばてつや」です。

 

 一方、「チャンピオン太(1962・吉田竜夫週刊少年マガジン)」

 「ハリス無段(1963・吉田竜夫週刊少年マガジン)」

 そして「巨人の星(1966)」星空

 

 更に「柔道一直線(1967・永島慎二週刊少年キング)」

 「あしたのジョー」とほぼ同時に連載が始まったのが…

 「タイガーマスク(1968・辻なおきぼくら)」です。

 

 当時のあの格闘技漫画のラインナップがやや苦手だった私は

 あの「ちばてつや」「梶原一騎」に染まってしまう!…。

 そんな、ささやかな危惧を憶えたものでした。叫び

 

 「梶原一騎」の最高傑作クラッカー

 「あしたのジョー」をそう評価する人は少なくありません。

 

 そうだとすれば、一歩も引かず、お互いの作家魂メラメラをぶつけ合った制作過程…

 そうした緊張感の中から生まれた故の、作品としての輝きだったのだと思います。

 

 「力石徹」の死をめぐってだけでなく

 様々な局面での衝突の中で、多分、相手に対するリスペクトも生まれていった筈…。

 

 「ジョー」「力石」はもちろん…特に「マンモス西」のようなキャラの造形は、「ちばてつや」ならではのもの…

 そして「泪橋」の夕陽など…。

 「ちばてつや」の漫画家としての圧倒的な力量。

 それを「梶原一騎」は改めて実感した筈。

 

 「ちばてつや」にしても、「梶原一騎(高森朝雄)」がその類まれな想像力で、次々に繰り出す展開の妙…そして、「力石」亡き後のライバルたち。

 多少の戸惑いもあったでしょうが、これは漫画家魂を大いに刺激し続けたに違いありません。

 

 これは原作者と漫画家の1対1の真剣勝負。メラメラ

 ひとりの孤高のボクサーの生き様から迸(ほとばしる)る熱気が、ページを繰る度に感じられたあの頃。

 

 この物語を読み続けていくうちに…

 私たちは、この組み合わせでなければ、生まれなかった奇跡

 1+1が3にも5にもなることを目撃します。

 

 はたして「白木葉子」を創り上げたのはどちらだったのか?

 やはりこれは、二人によって必然的に育てられたキャラクターだった気がします。

 

 今振り返ると…

 ああした形で生まれた、あんな漫画はもう二度と出てこない…

 漠然と…いや、確信をもってそう思います。

 

 次週へ…。

 

 

 

 

遥かなるスクリーン

 ♪Bye, bye, Birdie

   Guess I'll always care~

その4

 

 この頃…私の中学時代…

 1960年初めの頃ですが、当時観た洋画についてもう少し…。

 

 まず…当時の映画館特有の「音」について…。

 

 幕間…休憩時間はBGMが流れていた気がします。

 よく行った3本立の2,3番館ではまず、少し前のヒット歌謡曲

 演歌・青春歌謡が中心ですけど…

 記憶にあるのは、当時人気絶頂だった「ハナ肇クレ―ジーキャッツ」とか

 ♪ハイそれまでよ♪ホンダラ行進曲♪五万節などの毎年ように繰り出されたヒット曲の数々。

 

 何か…眠気覚ましなんでしょうか…

 ♪恋の山手線(小林旭)♪お座敷小唄(和田弘とマヒナスターズ)とかね。

 

 しかし、ロードショー劇場はさすがに違って、やはり品の良いインストルメンタル。

 時には上映映画のサントラが…

 「ヘップバーン」「シャレード(1963)なら「ヘンリー・マンシーニ」のあのテーマだったり…。

 

 そして上映開始を知らせる「ブザー」ビックリマーク

 あれは変わんない気がしますが…

 今のシネコンなんかは、CMその他、本編上映前にいろいろ情報流すんで、「ブザー」なしで始まるところもあるんでしょうね。

 

 映画そのものの「音・サウンド」は次第に新たなシステムに変わってはいましたが

 しかし、音響そのものは映画館の設備によるところが大きく…

 当たり前ですが、やはり大劇場…ロードショー劇場は違いました。

 

 それと今のようなデジタルではないアナログのフィルムの時代。

 ほとんどBGMにかき消されるものの、フィルムがリールに巻かれるモーター音、そして映写機と接するときの摩擦音…。映画

 「ジー‥‥」って感じ?

 静寂の場面ではそれが際立って…

 それが少しも、邪魔でも嫌でもなかったですね…

 何か創り手たちの鼓動のようで…。

 ああ!これが映画の音なんだ!目がハート…そんなこと考えてました。

 

 記憶にある当時の洋画の話。

 

 また少々繰り返しになりますが…当時の映画館について。

 名古屋駅近くの「メトロ劇場」「毎日ホール大劇場」

 凄いでしょ?「大劇場」って。叫び

 たしかに座席数560余り…近くの2,3番館とは比べようもないロードショー劇場でした。

 「名鉄メルサ」の開業と共に、地区最大1000席以上の収容人数を誇った「名鉄東宝」は、少し後1967年のオープン。

 ちなみにですが、この時の初上映プログラムが「風と共に去りぬ」

 もちろん何度目かのロードショー。

 この真新しいシートに腰を沈め、この大作を改めてじっくりと鑑賞した記憶があります。

 

 相変わらず、他の地方のみなさんには何のこっちゃ?ですよね。汗うさぎ

 

 それと都心部「スカラ座」「ミリオン座」

 どこで何をという記憶は、もはや定かではないのですが…

 

 この頃、どう考えても、その後映画史上に残る大作・名作が多かった気がしてなりません。

 映画ファンにとっては実に幸せな時代でしたラブラブ

 

 長くなりついでに…

 これも繰り返しになるのですが、当時の愛すべき映画たちの一部。カチンコ

 

 「太陽がいっぱい(1960・仏・伊)」

 「ルネ・クレマン」監督「ニーノ・ロータ」の音楽。

 この1作だけで、主演の「アラン・ドロン」を世界的トップスターに押し上げた作品。

 

 「わしといったい、どこいらが違うんや!」

 思ってはみたものの…違い過ぎるやろ!ドクロ

 

 「ヒッチコック」の傑作スリラー「サイコ(1960)」

 あの「アンソニー・パーキンス」が覗き見する眼…

 恐ろしいですね…怖いですねえ叫び…眼科医用のカメラで撮影したんですね。

 「ヒッチコック」カメオ出演のシーンを探す余裕もなかったです。

 

 「荒野の七人(1960)」「大脱走(1963)」

 いずれも「ジョン・スタージェス」監督作品。

 もう極上のエンタメ作品クラッカー…その後もDVDを含めで何度、観たことか…。

 

 「ウエストサイド物語(1961)」「アラビアのロレンス(1962)」「地下室のメロディ(1963)」「北京の55日(1963)」「マイ・フェア・レディ(1964)」もう挙げたらキリがおまへんよって、やめますが…。

 

 なけなしのおこづかいをはたいてでも…と劇場に向かわせた熱い映画の数々。

 

 その中の何本かの恋愛映画…

 同じ頃の「シェルブールの雨傘(1964)」はその後、何度かは観ているのですが

 当時一度きりしか観てないのに、未だに記憶に残っている映画があります。

 

 何もかも憶えているほどではないのですが…

 自分でもそこのところが不思議で…。ぐすん

 

 そうですね…ハリウッド資本の興行戦略が功を奏したのか、現在、日本で公開される大半の洋画はアメリカ映画

 あの時代、もっとフランス映画、イタリア映画などヨーロッパの映画が、ごくごく一般に公開されていた気がします。

 

 この映画も「イタリア」と「フランス」の合作。

 「太陽がいっぱい」とは逆パターン(メインはイタリア)。

 

 戦後イタリアの混乱を背景に描かれた、切ないラブストーリー。

 「ブーベの恋人(1964)

 原題が「La ragazza di Bube」

 

 「ブーベ」は人名なのですが、もうこの響きがラブストーリードキドキなのです。

 

 監督はその後、やはり切な過ぎる家族愛を描いた「天使の詩(1966)」「ルイジ・コメンチーニ」

 

 「ブーベは私の恋人だから…ドキドキ

 ヒロイン「クラウディア・カルディナーレ」の一途な恋人への想い。

 

 いくつかの情熱的なキスシーン…。

 恋人「ブーベ」を演じたのは「ウエストサイド物語(1961)」で「シャーク団」のリーダー「ベルナルド」を演じた「ジョージ・チャキリス」

 もう絵のような美男美女。ラブラブ

 

 ええい!恋愛映画はこうでないとダメなのでしょうか?ぐすん

 

 特に「クラウディア・カルディナーレ」

 もう名前が美人ドキドキですもん…。

 その名に負けず、ショートカットが可憐でキュート、知的で清廉で美しく…。

 通称「C.C.」

 「K.K.」「樹木希林」では、多分こうは行かず…

 ほんと、失礼!爆弾…深く反省!…でもウケそうなんでこのまま!

 

 ともかく彼女の魅力が満載の映画と言っていいかも…。

 

 その後に観た「ヴィスコンティ」「若者のすべて(1960)」そして「山猫(1963)」

 更に「フェリーニ」「81/2(1963)」

 そして「ピンクパンサー(1963)」よりも…

 この映画の彼女の方が素敵でした。ラブラブ

 

 映画後半、覚醒したように耀く彼女の姿…。キラキラ

 やはり強い女性は美しい…。

 

 そんなこんなを、私が今も断片的に覚えているということは…

 物語を包み込むように流れるBGM…。

 やはり「映画音楽」音譜の力って、つくづく大きいんだと思いますね。

 

 哀愁を帯びた、ドラマティックな「カルロ・ルスティケッリ」のあのテーマ曲。音譜

 音源、貼らんかい!って話ですけど…むにゃむにゃ…汗うさぎ

 日本語訳詞(漣健児)によるカバーもありました。

 

 おとうさん!憶えてますか?

 「ザ・ピーナッツ」とか唄ってましたよね。カラオケ

 

 今も聴くたび…

 「クラウディア・カルディナーレ」のあの笑顔と吸い込まれそうに情熱的な目力ドキドキを想い出します。

 

 ちょうど「東京オリンピック」の年…。

 背伸びして観た中坊の私には、何もかも眩しい映画でした。

 

 

 「名古屋純情シネマ」…

 少し間をおいての「高校篇」。

 そろそろ「ロマン座」界隈を徘徊します。

 

 で、次週からの日曜版コラムは久々…

 「アパート」「坂道」に続く「くちづけキスマークソング考」

 寒さに負けず、おっちゃん、くちづけしまくります。

 何じゃ?それ!