病み、闇、Yummy。 | キドコロカエデのほんわかHardRockらいふ

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ただ何となく、ゆるやかに。

久しぶりにブログを書いてみる。



今日、会社に行けなかった。

かつて経験した「アレ」だ。




このブログを始めた2011年の秋。既に私は「病んで」いた。

年が明けて2012年、会社にも行けなくなり、病院で診断書をもらった。

流行の「うつ病」である。お仕事は続けられなかった。

自分一人でいろんな事を抱え込みすぎた事が原因だと思った。でもそうせざるを得ない状況だった。上司は他部門と兼務、そして部下は1人だけ。彼女に無茶はさせられなかった。

私が無理をすればするほど「あいつ一人で大丈夫」みたいな空気が社内で醸成されてゆく。上司は他部門と兼務だから私に「悪い意味で」任せっきり。要するに放置。さらに私のケアなどろくすっぽなしで、社内アピールのために変な仕事を作ってくる。

上司「○○○を△△△に変えたいんだよねー。できるかな。」
城所「やる人がいれば出来るんじゃないですか?」(若干嫌味。)
上司「いやいや、キドコロさんがって意味で」
城所「無理ですねー、今は。」
上司「じゃ誰がやんの?他の人できないじゃん。」
城所「今でも月80時間くらい残業してどうにかやってるんです。これ以上は無理です」
上司「仕事なんだもん仕方ないでしょ」
城所「」

こんな感じでどんどん仕事は増えて、睡眠時間は減っていった。さらにストレスから尋常ではないくらいお酒を飲んだ。食欲もどんどん落ちて、朝:なし/昼:よくがんばっておにぎり1個/夜:なし(ツマミなしで飲むだけ)みたいなひどい食生活が続いた。体重が1年で10kgくらい減って、周囲からは「大丈夫?」なんて声をかけられる事がしばしば。

でも痩せこけた私を会社は放置した。たぶん私の脳内で「会社への不信感」が「責任感」を上回ったから防衛本能が出社を拒否したんだと思う。

労働基準監督署に駆け込もうかと思った。時間外が年間700時間を超えるなんて尋常じゃない。36協定の2倍だ。
さらに上司からは「俺が見てないところは仕事してるかどうかわからない」と言われて、申告しない残業が相当あった。上司が19:00に帰ったらその後は仕事しててもダメよ、と。
でも残念な事に、社内でWebデザイナーみたいなことをしていた私のMacだけは社内のネットワーク監視ソフトにログが残っていなかった。ネットワーク監視ソフトがWindowsにしか対応していなかったから。社内に500台くらいPCがあったけどMacは私が使っている2台だけだった。

証拠もないのに会社とは争えない。
私が選択したのはお給料の6割を健康保険組合から毎月もらって休職する、という方法だった。労基署に認められればお給料が8割保証されるのと解雇制限がかかる。でも解雇とかそんなのはどうでもよかった。とにかく一定の生活レベルを維持しながら劣悪な環境と距離を置かなければと思った。

そして隠居生活に突入した。家から出るのは最低限の食材を調達するときくらいというほぼ引きこもりの生活。

優雅と言えば優雅だった。ストレスがないから禁煙を続けられたし、お酒もあまり飲まずに過ごしていた。

2012年の桜が咲くころには少し外に出られるようになって毎日ジョギングして汗を流した。だけど薬の副作用で運動しても体重がどんどん増えて行った。身体は慣れて走る距離は伸びるのに体重は増加の一途。当然、膝を壊した。

再び引きこもっていた7月ころ、前の会社の人からいろんな情報をもらった。私がいなくなった後の私のお仕事の事。言葉は適切じゃないけれど「クズみたいな人」が後任になっていた。自分が身を削ってやってきた仕事を全否定された気分だった。

ふたたび自暴自棄になっていく。そして膝が痛くて外に出る事が出来ないのでお酒を飲む。強烈な悪循環から二次曲線的にアルコール摂取量が増えた。そして状態の悪化に伴って処方されるお薬も増えて行く。

2012年の夏には真剣に「あの世行き」を考えた。マンションの高層階に住んでいるので、その気になればいつだって旅立てる。でも、私には度胸がなかった。

宗教なんて全く興味がなかったが、藁にもすがる思いでカトリックの教会に通った。神父さまといろいろな話をした。聖書は旧約新約とも2回読んで、キリスト教関連の書籍を読みあさった。これが心のよりどころになって少しずつ私は強くなった。洗礼を受ける寸前まで行ったが、「神頼み」に抵抗があり、思いとどまった。

1年ほどでどうにか社会復帰を果たしたのだが、時折調子が悪くなる。「サタンが入る」のだ。

心の闇を抱えながら今日はサタンと仲良くやっている。昼間から飲むビールは「Yummy」である。