言葉の話 | 華月洞からのたより

華月洞からのたより

ひとこと多い華月(かげつ)のこだわり

 

 

「え?ちょっと変じゃない?」と

最初は違和感を覚えても、

いつの間にかそれが定着して

「言葉の意味や用法が変わったということなのかな」と

思う時があります。

 

いくつか思いつくものをあげてみますと・・・

 

「XXになります」

(お料理を供するときなどに使われてますね。

「なんとか牛のグリルになります」「豚になります」

サーブする人が変身するわけじゃないのにね。

いつの間にか聞き慣れてますね。)

 

「大丈夫です」

(結構です/お気遣いなく、ありがとうございます)

 

「させていただく」

(誰(何)を敬い、誰にへりくだっているのかわからんが

とにかく丁寧な言い回し。

「ここはそう言うのかな-」と私も使うことがあります。)

 

 

「元気を与える」「元気をもらった/いただいた」

「勇気を与える」「勇気をもらった/いただいた」

 

これは違和感ありますわ。

 

(アスリートの多くがこの言い回しを使いますね。

お断りしておきますが

アスリートの上げ足をとりたいわけではありません。

彼らだって誰かがそう言っているのを聞いて

使っているのでしょう。)

 

「勇気」や「元気」は手渡しできる物質でもなければ、

やりとりできる感情でもありません。

 

そのうえ「与える」という言葉は

上の立場から目下に使う言葉。

対等の人間関係では「食事を与える」とはいわないでしょう。

 

ならば下から目上へ丁寧な言葉ならよいかと

「捧げる」「奉じる」と置き換えたら

もともとが物質でもやりとりできる感情でもないから

何言ってるんだかわからなくなってしまう。

 

昭和の時代には

「元気づける」「元気づけられた」という言い方がありました。

「元気出して、という気持ちで寄り添いたい」

「元気出して、という気持ちで寄り添ってくれた」という

ニュアンスを感じ取っていたのは私だけかな。

あれで良かったのにね。

 

 

言葉は変わってゆきます。

現代においてそのスピードは想像以上に早いようで

言葉を生業とするアナウンサーは

常に漢字の読み方、アクセントの情報を

アップデイトしているそうです。

 

というわけで

 

『血で血を洗う”くまモン”勢力争い』

(安住紳一郎の「日曜天国」傑作選)

 

(「エラーが発生しました」表示が出て

youtubeが貼り付けられないのですが

安住アナ、面白すぎる(笑)。)

 

(ご当地のりぃさん、どう発音されてますか?)