卒論を見たい時には

この子、知能は?今後に伸びる人物かなぁ?人物の程度はどんなものかなぁ?
と思った時に見るのが「卒論」でした。

昭和後期は中・高卒と大卒の比率が逆転した時代でしたから「成績の認定」より「卒論の認定」が正くなった時代です。
高卒の成績優秀より大卒の卒論が優先の時代になりました。
今、さらに進んで卒論の認定が出来る大学こそが求められ、大学生は大学院卒業(修士)でないと大学卒業と認められず高卒扱いのようです。

要らない話に聞こえるでしょうが、いま流行りの「専門職大学」は以前は「専門学校」でしたね。
税金優遇・儲け目的もあり乱立していますが、今の大学は昔でいう高校・専門学校です。
大学ではありません。

卒論をテーマにしているのは「神戸大学生の乱痴気騒ぎ」から呟いているのですが、今の大学は高・専門学校生の集団なので「馬鹿の集まり」なのでしょう。
単に神戸辺りに住む馬鹿の集団の騒ぎです。
その程度を見たいのであれば彼らの「卒論」を見てみれば即に判ります。
自分達は大学生と思い込んでいる集団の卒論ですから。

東京大学・京都大学生が「植民地」と呼んでいる大学の一つが神戸大学ですね。
大阪大学以下が植民地と呼ぶのも神戸大学以下です。
慶応大学・早稲田大学も大阪大学と同列。
更にその神戸大学が植民地と呼ぶのが地方大学・専門職大学です。
ここのところはお忘れなく。

表題から外れてしまいました。
卒論を見たい時には「図書館」に行くと現役生・卒業生のものが見れます。
卒業年度・学生名・学籍番号が判れば即に見れます、読めます。
今からオープンキャンパスが始まりますから大学図書館を覗いてみてください。
その大学の卒業生の卒論がみれます。
大学は卒論の認定機関ですから必ず公開しています。

大学院生は論文として所属する大学の図書館です。
博士は論文として国立国会図書館(国会・東京・京都南部)で見れます。

さて、神戸大学乱痴気騒ぎ、ですが体面を汚さずにしようと身体検査をしないままに秘密を守ったと思い込んでいます。
体面を守るために地方の無名大学に紛れ込もうとしているようですね。

大学院に進まないと大卒と呼ばれないのも大変ですね。
昭和の時代に大卒で良かったと思いますもの。

仄聞ですが漫画の手塚治先生や川端康成の博士論文も国立国会図書館で見ることができます、手続きが煩雑ですが。
三島由紀夫の論文を読んでみたいですね。
京都の大学では同志社大学と京都女子大学が一般校舎で見れるようになっていた筈です。公開できない大学はモドキです。

神戸大学乱痴気騒ぎは、旅館の被害届提出阻止より卒論認定猶予が適切でしょう。大学院での論文は認定しないで良いでしょう。

ま、一地方の大学モドキなのでしょうがないかな。

卒論って怖いですね。
50年前の私の卒論が私の大学図書館で誰もが読めるんですよ。

あ~怖…




卒論は大事です、JOBカードも

就職・入社や起業する時に「何に自信を持つのか」なのです。
何も関係ないじゃん!でしょうが企業に勤めていた経験からすると「卒論」も「JOBカード」も重要なのです。

起業するにしても、自由に生きるにしても、経験は「心の拠り所になる」ものです。
時には自分の経験を語りたいこともあります。
その時に卒論・JOBカードを思い出すのです。

だって、拠り所は「自分の経験です」からね。

書く作業・言語化を通じて、自分の経験を思い出して書く。
この作業を通じて自分を思い出し、自分を言語化し、今の自分を創り、自身を持つのですよ。
「自己概念」とも言うらしいです。
難しく考えないで「自分の有りよう」と思ってもいいです。

卒論と似たような物を書く時があります。
日記とか、幼稚園・小学・中学・高校の卒業文集、タイムカプセルに書いた将来の自分に書いたもの、写真とか等等

JOBカードは会社が認めるものでしょう。
卒論は認定機関としての大学が認めるものでしょう。
JOBカードを書けない社会人は、会社で働いていたとは認めてくれないです。
卒論を書けない大学生は、大学生とは認めてくれないです。

昭和時代の私は、私に限らず「使い捨て」でした。

さて貴方は如何ですか…
大学生に何ゆえに卒論は大事なのか

何も関係ないじゃん!でしょうが企業に勤めていた経験からすると「卒論」は重要なのですよ。
「人員計画」を立てて「新人を採用」するのですが当然に途中で転職する人物が出てきます。
いわゆる「退職率」ですよね。

昭和の時代は退職率を見込んでの採用でした。
昭和時代は「使い捨て」です。
ここのところは語りだすと止まらなくなりますので割愛します。
私と同じ世代の人も同じ感覚ではないですかね。
当時は卒業時に年1回だけの春採用です。
10月1日から一斉に採用が始まりました。

年に一回だけ。
採用担当者としては「新人の能力を見極め」なければなりません。
「面接はテクニック」と勘違いする向きがありますが、観たいのは「能力」なのですよ。
企業とすれば今後、生存し続けるために能力がある人物が欲しいのです。

では能力を見るには?ですが面接ではなく「卒論」なのです。
生年月日、学籍番号が判れば大学図書館でその人物の卒論が見れます。
面接で測り切れない「能力と人物像」が読み取れます。成績表があれば教授の成績評価も分かります。

採用側は注意深く応募者を見る、卒論を見るってことです。
学生だけでなく教授陣・大学自体の力も判定します。
信頼できる・信頼できない大学が出てきます。
大学自体が卒論認定教育機関だし、企業側から認定される立場にあるってことです。

当時もですが今も新人採用は内部では3つの層で見ます。
一は人数、二は中堅、三は経営幹部の立場です。
採用当初から3つの層に足りる人物かどうかだけで採用します。

大学生の貴方はどの層の方ですか?

人数だけの人?…
大谷選手、ご苦労様です
騒ぎなんて気にしないで野球やりましょうね

何時か観た構図だなぁ?
で、思い出したのが昭和59年(1984)頃、民放ニュースで騒いでいた”疑惑のロサンゼルス”で観たような記憶があります。
一言で云えば「さすがの日本クオリティー、報道はイエロージャーナリズム」ですね。

今回、大谷選手は全く関係が無いのに「イエロージャーナリズム」が視聴率欲しさに電波芸者(弁護士、有力者、識者、コメンテーター、アナウンサー等)が大騒ぎしています。

選手はそっちのけで騒げば騒ぐほど視聴率が上がり、儲けだけを求めています。
「金儲けだけ」です。
「地上波ニュース」だけでなく「ネットニュース」も新聞紙も参戦してきました。
流石のイエロージャーナリズム!

何回も歴史は繰り返すのかなぁ?

呟きながら「イエロージャーナリズム」で思い出しました。
中国新聞の安芸高田市の騒ぎです。
騒げば騒ぐほどお金儲けが出来ます。
だって「ジャーナリズム」ですからね。
取材するのにタダだし、「報道の自由」を名乗れば好き勝手にできるし、「報道しない自由」も思い通りに使えますしね。

ジャーナリズムねぇ…
何度繰り返したら正気になるんでしょうね…
男と女

地図を書けない女の意味が分かりません。
分らずじまいのままで良いと思っています。

「生物」「生き物」に「頭と手足」が付き見た目が「人の形として人間」であれば「男・女」として区別されるだろうくらいのものでしょう。
単に「性」は区別としてのだけの「男性・女性」でしょうね。
LGBT+Qの人達が居るって事だけを知っておけば良いだけです。

存在を否定も肯定もしません。
けれど、絶対に否定するのは声高に叫び回り、自分達を肯定しろと他人(私)に押し付けることです。
LGBTが嫌なのでなく「存在を認めろ!」が大嫌いなのです。
人(私)の気持ちを認めないLGBT+Qは大嫌いです。

で、ね。
更に「同性婚を認めろ!」の騒ぎです。
この人たち、他人(私)に認めろと迫ります。
私ね、この騒ぎ、大嫌いなのです。
なぜ、あんた達の騒ぎに付き合わなきゃいけないの?
子蠅ではなく銀蠅が集っています、この騒ぎに。
この人たち、他人(私)の気持ちを踏みにじって無視して押し付けるのです。

認めろの大騒ぎに「政党検討会」として蠅を塊にして〇✖△集会を企てています。
〇は肯定✖は否定△は馬鹿。
何れにしても蠅を集めて騒いで私達を認めろの大騒ぎです。

餌は「他人気持ちの無視!」「踏みにじる快感!」
地図を書けないことの快感なのでしょうね。

間もなくレインボーウイークと同性婚訴訟が始まります。

快感に惑わされませんように…
以前に働いていた時の記憶から思う事

高校生と大学生との違いには「生徒と学生」の違いだけでなく「卒論」が一番の違いだと思っています。

実際に「人そのものを見る立場」と「企業側の見る立場」から「卒論を見ます」。
大学生が書く「卒論」は極めて重要なんです。
高校生の成績評価は世間からも、ましてや企業から見ても何の当てにはなりません。高校生の成績優秀なんて何にもなりません。

「卒論」を見極めてくれる大学こそが有力大学です。
そのために教授陣・教職員・図書館・OB陣が大切になります。
「卒論」そのもに係るのが教授など、求められる「リカレント」はOB陣や図書館力です。
この二つが揃っているのが有力大学です。

どっかの巨大会社の経営者が言っていませんでしたか?
「学歴に意味は無い」と。
それ位に「卒論」を書く・書ける力が学生に非常に大事なのです。
「卒論」を見るだけで、その学生の実力が分るのです。

その大事なものを守る大学の担当者が学生の乱痴気騒ぎの責任から逃げる対応をしていますね。
今の「神戸大学」です。

この人たち、何年か前の弱小大学の大麻騒ぎも観てないです。
現役に関わらず卒業生全体に関わる「卒論」の大事さを観ていない。

弱小大学の大麻騒ぎでの見ておくのは「時間がたてば忘れる」「ものの1週間たてば大麻を吸った痕跡なんて残らない」です。
そのことを分からないままにしようとしたのが今の弱小大学の姿ですね。

弱小大学の名前ではなく「神戸大学」が観ていないのは危機管理のあるべき形です。

騒ぎに学生64人参加していますが「痕跡は1週間で消え去る」と冷や冷やとしている大学会見でした。

この乱痴気に教授陣・教職員は参加している?
大麻でも吸っていない?
あなた「神戸大学」の危機管理って?

卒論を書くことができない、認定もできない有力大学。

猿まわし劇場が開幕しそうですよ…








梅酒?梅シロップ?梅味?

疲れに乗じまして下戸な私、よせばよいのに思わず駅前の居酒屋に行った次第です。
お姉さん(お嬢さん?今では禁句?死語?)に飲み物は?と聞かれまして「京都はブブづけに決まってるやろ!」と軽くいなしながら(お姉さん、軽口叩きましてごめんなさい、あまりにも可愛らしい方でしたので…)「梅酒おくんなはれ」と注文したんです。

で、ね。
出てきたのは「梅シロップ」で御座いました。
ウ・メ・シ・ロ・ツ・プです。
オッちゃん3人で行ったのですが何とビックリ!
私、欲しかったのはシロップじゃな~い~「梅酒で~す」とオッちゃん3人で盛り上がりました。
二人はビールと芋焼酎でしたけど、これも「シロップ味」なんだろうと飲み比べして楽しかったです。
酔う酔う…
お酒が飲めない私でも居酒屋って楽しいですね。

で、ね三人で気付いたのはセンスの違いです。
若い人たちの舌の違いです。

判り易くは外国の人との舌感覚の違いです。

日本・中国・朝鮮人との「辛い」の差ですかね。
辛いをツーンとくる味と例えると日本人の多くは「ワサビ」中国人の多くは「辛子」朝鮮人は「唐辛子」です。
何年か前に韓国人が日本のどっかの居酒屋で「ワサビを山盛り出された」と大騒ぎしていましたけど、何の問題はないです。
辛いが好きと注文されて店員が「辛いの山盛り」にしただけの話ですね。
辛子、山盛りだったら騒ぎになったのかなぁ?
韓国で唐辛子山盛りだったら何と騒ぐんだろう?

梅シロップ、お好きですか?
退院時のカンファレンスです

気を使いますね。
いろんな職種の人達が集まり患者の介護・看護・医療・医師・投薬などなど。
今回は14人が集まりました。
患者本人は全く気付いていないのですが「おひとり様」ですからカンファレンスと題して支えないといけないのです。

悲しいのは患者本人にその意識が全くないのです。

本人は一人生活を楽しみたいのでしょう。
一人で生きてゆけると思っているのでしょうね。
けれども誰も一人では生きてゆけないのです。

今回の方は月17万円の年金収入がある方でした。
けれどやってゆけないのです。

見ず知らずの誰かがサポートしなければ生きてゆけないのです。

見ず知らずの一員として参加しました。

本人の笑顔を見ておりますと複雑な心境です。

疲れた~…です

「博士の異常な愛情」スタンリー・キューブリックの映画です

ブラックユーモアの典型的な物語映画ですね。
水爆戦争の世界をブラックユーモアで描いています。
首謀者はいませんが特徴的なセリフが有りまして、「エキセントリック」です。
原語版は見ておりませんがテーマは「エキセントリック」。
手許の辞書には「選ばれしもの」とありますから私の感じ方で間違いはないのでしょう。

ストーリーは見てから感じ取ってください。
今の世相を表していますから。

「選ばれた優秀な者たち」が引き起こす水爆戦争の世界の物語。
その原因は「エキセントリック」です。
エンドロールの音楽は「夢で逢いましょう」。

笑えちゃいますね。

こんな盆暗が優秀だなんて笑うしかありませんが今の世界情勢はそっくりです。
ロシアの相も変わらない身内国への侵略戦争、中国と米国の強欲資本主義の身内同士の争い、イスラエル・ユダヤとイスラムの争い。

日本では与党・野党を巡る政情、近くでは神戸大学生の乱痴気騒ぎ。

何れも「自分達はエキセントリック」との意識なのでしょう。
「選良」と思い込んでいるんでしょう。
私は博士。

神戸大学生程度が選良意識を持つ?
私・神戸大学は優秀?

ふーん「盆暗」が勝手に思い込んでいるのでしょうね。
ブラックユーモアの世界なんですが信じ込むと、このような結果を起こすのです。

で、結果は「夢で逢いましょう」です。


アンタたちとは「夢で逢いましょう」。

寝と惚けた話をすんな!この惚け!
大学卒業の時の出来事

1980頃に卒業した頃に、大学全体の運動部で卒業パーティをやりました。
先輩から、奴らがやってくるよ、と教えられていたものがありました。
単に、やってくる、だけでしたけどね。

それが、ソ連と中国でした。
それぞれ大使館関係を名乗りますが、実のところは違っていました。
だって、無名の大学に東京辺りからワザワザやってくるのです。
怪しさ満杯ですね。
ソ連関係はパーティ途中に消えましたが、中国はしつこく、あんたは夢がある、とかなんとか言って食い下がっていました。
二次会にしつこく誘われましたけども振り切りました。
ま、卒業したての昭和末期時代ですから、褒め殺しされている、くらいにしか思いませんでしたけどもね。

今、考えると卒業生をシンパにする工作と、亡命中国人講師・教授の動静も探っていたんでしょう。
操る卒業生や人物探しの意図もあったのでしょう。

この頃の世の中は中国「残留日本人孤児」探しの時代です。

新聞の論調は「やっとで帰国できた残留孤児を大歓迎!」でしたが、一般論調は違っていました。
「何でも食べ尽くす中国人の口・舌と、汚物をまき散らす中国人の尻・肛門とどのように付き合うのか?」でした。

私ね、よい先輩等に恵まれたと思うんですよ…