【2021.8月26日】姉、救急車で運ばれる
2021.8月26日
朝六時半、家の電話が鳴った。
両親も私も、その電話で起きた。
「今からお姉さんを総合病院に搬送します」と、救急隊員の方からだった。
「ご家族は受け入れ先の病院まで、どのくらいで来られますか?」との問いに
「今起きたので・・・ええと・・・」と言いながら頭の中で計算した。
十五分で身支度して、車で十五分だから・・・と、おそらく三秒くらい無言になっ
た私に
「二時間後くらいですか?」と、女性の身支度に大変優しい時間を提示してく
れた先方。
電話から三十分後、搬送先の病院に着いて待つこと数分。
検査の結果、どこにも異常なし。
おそらく、前日に接種したコロナワクチンの副反応で、息が苦しくなったのでは
ないか、との事。
シングルマザーの姉は、実家から徒歩三分のアパートで一人暮らし。
我ら皆が暮らす実家で安静に過ごす事になった。
【2021.3月25日】旦那のお父さん、ペースメーカー手術
2021.2月25日
人がひきつけを起こすのを、初めて目の当たりにした。
旦那の実家の白い天使、チワワの供養をするべく、旦那のお父さんと旦那と私でペット霊園に来ていた。
小一時間待つので、お父さんと旦那がソファーに座り、私はセルフのコーヒーを淹れようと席を立った。
突然、旦那の「おやじ!おやじ!」と叫ぶ声が聞こえて振り向いた。
ソファーに座ったお父さんが、ひきつけを起こしていた。
二秒くらい呆然とした。
虹の橋に行った愛犬が、お父さんを連れて行くのかと思った。
気を取り戻して、救急車を呼ぶべく携帯電話を取り出した。
と、その瞬間意識が戻ったお父さんが言った。
「おれ、今、気を失っていただろう、三年前からたまにあるんだ」
度肝抜かれる告白に、おそらく堂々巡りになる問答は避けた。
これは、白い天使チワワが教えてくれた家族への最後のメッセージなんだと受け止めた。
一月後、ペースメーカーの手術を無事終えた。
【2020.師走】介助生活
2020.師走
自宅で倒れた父は、いつもの総合病院に数日入院した。
打った頭を含め、検査結果に異状はなかった。
ただ、より一層弱まっていた。
打ち付けた肩や背中が痛むので、椅子やベッドから立ち上がることが一人では出来ず、シャワーや着替え、部屋からトイレへの移動、全て私と旦那が担った。
父が倒れた時、同じ空間にいたのは私だった。
母も旦那も、おそらく父も、私が一緒にいるから大丈夫と思って任せてくれていたのに、私は自分が疲れていた事を理由に、ゼイゼイ言っていた父を倒れさせたのだ。
ひどい娘だ。
検査結果が異常なしだったから良かったものの、何かしらの後遺症が残っていたら私はどう償えたのだろうか。
埋め合わせをするかのように、日々家族の介助に明け暮れた。
母のリハビリを兼ねた散歩も、私の出勤前にしてもらった。
今思えば、母の体には寒かったろうに。
私だけが頑張ったわけではない。
みんな、私に負担をかけていると思っている。
口角を上げて過ごしていても、無理にそうしていると思われていたかも知れない。
そもそも頑張るって何だって話で。
家族の為に動くことが、頑張ってるっていう捉え方で良かったんだっけ。
とりあえず、両親と旦那には茅の輪をくぐってもらった。
【2020.11月24日】父、救急車に乗る
2020.11月24日
二年前に前立腺がんの放射線治療を受けていた父。
去年の暮れから、下血があった。
大腸検査は問題なく、切れ痔と診断されていた。
初夏には輸血が必要なほど貧血が進み、一週間入院した。
血止めの点滴も受けていたが、下血は一向に改善せず。
だんだん父の気持ちも弱まり、覇気がなく、がたがたと体力も落ちていった。
旦那と母が通う総合病院の肛門外来に行くことにした。
放射線治療の後遺症により、前立腺付近から出血して下血となっている事がわかった。
焼いて止める事になり、入院、手術、三日後に退院。
一週間後、焼いた場所のもっと奥からの出血がひどく内科でレーザー治療、入院、四日後に退院。
もう、家族全員がよれよれだった。
名前の無い家事どころか、名前の無い介助の多さよ。
その日は、もう疲れ果てていた。
茶の間の空間には父と私だけ。
旦那も母も自室で横になっていた。
台所で父がゼイゼイ言っていた。そういえばお風呂上りもゼイゼイ言っていた。
いつも熱いお風呂に入るので、だいたいゼイゼイ言っている。
いい加減にしてほしかった。
何回も何回ものぼせるほどお風呂に入らないよう、お風呂の温度を下げるよう、お風呂上りは水を飲むよう言ってきた。
もう、そのゼイゼイは自業自得だ、と思ったその時。
父が倒れた。
人が倒れる嫌な音が家中に響いた。
頭を打っている。
駆け付けた旦那が「救急車」と叫んだ。
救急車って何番だっけ?と真っ白になった私を、一瞬にして正気にさせる光景が目に入った。
「119!」と答える母がパジャマからちょっといい服に着替えている。
ちょ、なんでよw
【2020.11月17日】旦那抗がん剤治療5クール目にして絶好調宣言
2020.11月17日
退院した母は、当然家事が出来る状態にはなく、私のご飯づくりは続いたが、母が家にいるだけで、気持ちは楽になった。
父に毎日一人で食事をしてもらっている事が気がかりだったから。
旦那は抗がん剤治療の副作用のしびれが休薬期間中に残り過ぎているため、5クール目は点滴なしとなった。
この間、旦那はみるみる体力を回復し、もりもりご飯を食べ、別の病気になるんじゃないか心配なくらいのカロリーを摂取していた。
そして、母の介護にまつわる手続き全てを担ってくれた。
室内の杖、家の手すり、ベッドの手すり、お風呂の手すりに椅子、母を助ける色んな物が揃った。
家の中の段差を補い、しゃがめない母の為に食器棚を改造、食卓テーブルは折り畳み式に、玄関は板を張り靴の脱ぎ履きが楽になるよう、旦那は毎日ホームセンターに通い出来る限りの最善を尽くしてくれた。
そして旦那は言う「俺、絶好調だ!」
・・・いや、病気療養中だ、忘れんな。