第百六十七社・寒川神社 | 百社詣で・百寺詣で

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 JR相模線宮山駅を出て、駅前の細い道を南へ。目久尻川を渡りながら緩やかに左カーブ。右側に寒川神社参集殿が見えてきたら、左側には寒川神社三之鳥居が現れ、そこから境内へ。

 

一之鳥居

 

二之鳥居

 

三之鳥居

 

 相模国の一之宮であった寒川神社。流石に境内は広大である。南の県道44号線近くにある一之鳥居からの参道は1キロくらいはある。この参道の両脇に並ぶ樹木も相当に立派なもので、日中でも薄暗い。途中に二之鳥居があり、さらに進んでいってようやく三之鳥居が現れ、境内の参道が伸びている。

 

 

 背の高い樹々の中をしばらく歩いて行くと、ようやく神門が見えてくる。この神門に年末になるとねぶたが飾られる。これが寒川神社の名物でもある。毎年地域のニュースになり、私も参詣とともにこれを見るのも大きな楽しみだったのだ。

 

神門

 

 今年のねぶたは「甲辰~八大龍王~」。左が難陀竜王で八大龍王の中で最も優れた竜王とされている。右は跋難陀竜王で難陀の弟。八大龍王は神仏を守護してきた竜王で、「コロナ禍を乗り越えるため、私たちは多くの犠牲を払ってきたが、ようやく終息の兆しが見え、今以上に団結して協力しあえることを祈願して選定しました」とのことだ。

 考えていた以上に迫力のあるねぶただ。それもそのはず、青森のねぶた師によるもので、幅は9メートル、高さ2.7メートル、奥行き1.7メートルという大作なのだ。

 

 

 この神門をくぐると、回廊状になっている境内の広さを実感できる。その先に、横に大きく翼を広げたような社殿が包み込んでくれるようだ。両翼の先は回廊の屋根につながっている。中央には大きな唐破風と千鳥破風が瞑目するように参拝者を見守っている。

 

 

 寒川神社は雄略天皇(456~479)の御代に奉幣、また神亀四年(727)に社殿が建立されたという記録がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』には相模國十三社のうちでただひとつの名神大社とされている。

 祭神は寒川比古命と寒川比女命の二柱で、寒川大明神と奉称されている。

 寒川神社は江戸から見て南西に位置していることから、江戸の裏鬼門とされ、関八州の鎮護の役割も果たしていた。

 以上のようなことからその名を知られた相模國一之宮には、武田信玄が小田原攻めの際に兜を奉納していたり、源頼朝や北条義時、徳川代々将軍など名だたる武将たちの信仰を集めていた。

 そして何より、寒川神社は全国で唯一の「八方除」の守護神なのである。「八方除」とは、地相、家相、方位、日柄などに起因するすべての禍事、災難を取り除き、家業繁栄、福徳円満をもたらす御神徳である。八方は「すべての」ということなのだろう。あらゆる災いから守ってくれるのだ。

 寒川神社は現在、相模川河口から約7キロの位置にあるが、昔はこのあたりまで海であったとも言われ、また西を仰げば霊峰富士が聳えている。神の宿る場所としてはこの上ない立地であると言えよう。

 生まれてからずっと神奈川県に住んでいて、ずっと気になっていた神社だった。近くを通ったことも数知れないが、ようやく詣でることができた。それと、相模線に乗ったのも思えばこれが初めてかも知れない。

[神奈川県高座郡寒川町宮山3916]