『ハズブロWWFプロレスフィギュアを改造して、新日本プロレスの懐かし常連外人レスラーを作ってみよう』のコーナーです
最近、何回も書いていますが素体にするハズブロWWFプロレスフィギュアの入手が難しくなってきました
そこで、逆に使い道がなく在庫になっていたハズブロWWFプロレスフィギュアを使って改造出来るレスラーを探して作ったりして急場をしのいでいましたが、それも底をついてきました
今回は、ジャンクパーツだけで作れる新日本プロレスの懐かし常連外人レスラーを探して作ってみることにしました
挑戦したレスラーはイワン・コロフ選手です
素体は、完全にジャンクパーツのみです(笑)
ジャンクパーツを貼り合わせてエポキシパテを盛ったり削ったりいて造形しましたので、スプリングの力での可動ギミックは有りません
完成
ロシアの怪豪
イワン・コロフ
ジャンクパーツを貼り合わせて作った割には、それっぽく出来たのではないかと思います(自画自讃(笑))
イワン・コロフ選手は、アレックス・スミルノフ選手やニコリ・ボリコフ選手・ボリス・ズーコフ選手と同じようにロアシア出身を名乗って戦っていた昭和を代表するロシアン・レスラーです
もちろん、世界で初めてのリアル・ロシア出身第一号のプロレスラーはサルマン・ハシミコフ選手達レッドブル軍団ですから・・・
ロシア出身というのはギミックです(笑)
初来日は、1967年で日本プロレスのリングでした
1969年には、ブルーノ・サンマルチノ選手破って第3代WWWF(現WWE)世界ヘビー級チャンピオンとなりました
その後、AWAやNWAでもチャンピオン戦線で戦いWWWFに戻ってもブルーノ・サンマルチノ選手相手にタイトル挑戦を何度も行ないました
日本での戦いのリングも、アメリカで所属していた団体と提携していた日本の団体に来日していましたので国際プロレス(AWA)でラッシャー木村選手や全日本プロレス(NWA)でジャイアント馬場選手と死闘を行ない、1975年以降はWWWFと提携していた新日本プロレスのリングでアントニオ猪木選手や坂口征二選手相手に常連外国人レスラーとして戦っていました
・・・が、正直言いますと
私が真剣に新日本プロレスを見だしたのは1980年頃からでしたのでイワン・コロフ選手のリアルタイムでの記憶は、ほとんど有りません(笑)(後日、スカパーでの新日本クラシックでちゃんと見ましたが・・・)
私のリアルタイムでのイワン・コロフ選手の記憶はザ・ラシアンズというタッグチームのマネージャー・イワン・コロフです
そこで、ついでと言うわけではありませんが(笑)全日本プロレスの常連外人だったザ・ラシアンズもジャンクパーツを使って作っちゃおうと思います(笑)
(本当は、こっちがメインだったりして(笑))
まずは・・・
ランディー・サーベージ選手ですが、メガパワーズ時代とマッチョキング時代のフィギュアは発売されていましたが、その後のカーボーイハットを被った姿のフィギュアが出ていなかったので・・・
改造して作成しましたが、すぐその後に・・・
発売されたので(笑)改造版はジャンクになってしまっていましたので、これを使ってニキタ・コロフ選手を作りたいと思います
また、テキサス・トルネード(ケリー・フォン・エリック)選手のフィギュアは、シューズのヒラヒラをフェルトで改造して作りましたが
イマイチだったので、もう一体購入したので改造版はジャンクになってしまっていましたので、これを使ってクラッシャー・クルスチェフ選手を作りたいと思います
ニキタ・コロフ選手は、シッド・ジャスティス選手の頭を クラッシャー・クルスチェフ選手は、スマッシュ・デモリッション選手の頭を使って改造しました
クラッシャー・クルスチェフ選手の頭を使用したのは、ザ・ソールテイカー選手を作った時のように「パパシャンゴ選手のペイントを剥がしても、ちゃんと似ているか?」を再実験してみたいという理由も有りました(笑)
改造後にサーフェーサーをかけてから、塗装をして完成です
完成
ロシアの悪夢
ニキタ・コロフ
そして
クラッシャー・クルスチェフ
ペイント取ってもバリー・ダーソウーに見えますね さすがハズブロWWFプロレスフィギュアクオリティー(笑)
ザ・ラシアンズ
ニキタ・コロフ選手は地元の友人だったアニマル・ウォリアー選手に誘われてNWAエリアでプロレスラーになりました
1984年にイワン・コロフ選手の甥というギミックで、ロシア人レスラーにキャラ変をしてイワン・コロフ選手のタッグパートナーとなり反米ロシア人ユニットのザ・ラシアンズを結成しました
(余談ですが、アニマル・ウォリアー選手に誘われてプロレスラーになったというレスラーの話し、結構聞きますね)
クラッシャー・クルスチェフ選手は、同時期にMSWAでロシア人レスラーにキャラ変をしてニコリ・ボリコフ選手のタッグパートナーとして活躍をしていましたが、1985年にNWA地区で合流をしてザ・ラシアンズの一員となりました
ザ・ラシアンズはトリオのユニットとして活躍しましたが、ニキタ・コロフ選手とクラッシャー・クルスチェフ選手のタッグでも大活躍していました
同地区で人気だったロード・ウォリオアーズやロックンロール・エクスプレスとの米ソ対決路線は大人気のカードとなっていました
(ロックンロール・エクスプレスのフィギュアも、まだ作っていませんでしたね(笑))
1986年には全日本プロレスのリングに初来日をして鶴龍コンビやジャパンプロレス軍とも戦いました
当時、ロード・ウォリオアーズ人気にあやかってロード・ウォリオアーズのバッタモンのキン肉マンレスラータッグが何チームも来日しました
新日本プロレスにもマッドマックス(1号・2号)やサムライウォリアーやシッド・ビジャスなどが来るには来ましたが、正直ハズレでした
しかし、全日本プロレスに来るレスラーは当たりが多くザ・ラシアンズはその典型でした
ジャパンプロレス軍との試合を見たとき「このチームは、新日本プロレスに呼びたかった」と思った物でした
その後、アメリカで人気だったマグナムTA選手が交通事故のために引退してしまい
ダスティー・ローデス選手のタッグパートナーに大ヒールだったニキタ・コロフ選手が抜擢され、ダスティー・ローデス選手とのタッグのスーパーパワーズは、大人気チームとなりニキタ・コロフ選手はベビーフェイスに転向してしまいました
仇敵だったロード・ウォリオアーズとも共闘して、リック・フレアー率いるフォー・ホースメンと抗争を展開するまでの人気レスラーになってしまいました
残されたクラッシャー・クルスチェフ選手はイワン・コロフ選手とのザ・ラシアンズとして戦っていましたが
1987年にWWFに移籍し、スマッシュ・デモリッションにキャラ変してアックス・デモリッションとのタッグを結成
WWF版のロード・ウォリオアーズとも言うべきデモリッションは、WWF世界タッグチャンピオンにもなりました
デモリッションで好きだったシーンは、第2回ロイヤルランブルの公開での出場順決めくじ引きです(笑)
タッグチームで登場して、くじを引いた後の感想が
アックス:「今日は、長い夜になりそうだぜ」
スマッシュ:「Me too.(俺もだ)」
もちろん、入場順は1番目がアックスで2番目がスマッシュでした(笑)
ロイヤルランブルは、入場時にテーマ曲が流れるまで誰が出てくるかわからないのが醍醐味の一つですが
デモリッションのテーマ曲でアックスが登場した後に、またデモリッションのテーマ曲が流れた時の会場の大盛り上がりが最高でした
試合開始のゴングが鳴った後、3番目の選手が入場してくるまで二人で待っていれば良いのに、入場してくるまで二人で真面目に戦っていたのが面白かったです(笑)
因みに、3番目に登場したのはアンドレ・ザ・ジャイアント選手でした
だから、体力温存しておけば良いのに(笑)
ロード・ウォリオアーズのコピー版のパワーオブ・ペインとWWF版ロード・ウォリオアーズのデモリッションの抗争も好きでした(笑)
1991年にデモリッションは解散しスマッシュ・デモリッション(クラッシャー・クルスチェフ選手)は、自動車泥棒キャラのリポマンにキャラ変し活躍しました
ザ・ラシアンズクイズ・・・ 本物は誰だ? (笑)