明治神宮外苑の再開発問題を考えています。〈その①〉 | ふうせんのブログ

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小林蕗子のブログです。2013年5月に始めたときはプロフィールに本名を明示していましたが、消えてしまいましたので、ここに表示します。。
主に歌舞伎や本のことなどを、自分のメモ的に発信したいなあって思っています。よろしく!!

いつもの歌舞伎ブログも、様々に下書きしてあるのですが、それはひとまず置いておきます。

東京都の知事選挙がはじまりました。
私が一番想いを寄せているのは、神宮外苑の再開発で、先人たちが築いてきた都市公園への想いを壊さないでほしいということです。
私は、自然環境の維持・推進などは現代人の責務と考えて、30年ほど前の青島知事誕生の際には、臨海副都心開発の反対運動に積極的に関わったこともありました。『虹の向こうに 森をつくろう』という本を自費出版したほどですから、この話をすると長くなるので、ここでやめます。

6月19日のNHK『東京都知事選立候補予定者共同記者会見』で、小池都知事は「神宮外苑問題は知事選挙の争点にならない。なぜなら、今その開発はストップしているから」と。

さらに「もともとこれは明治神宮が内苑の森を守るための経費捻出から考えられたもので、明治神宮の問題で……」とも、言われました。
たしかに、誰かが勝ち、誰かが負けたから、この問題は決着がつくというわけにはいかないですよね。
また、明治神宮の問題だから、外部の人間がとやかく言う筋ではないと、問答無用にしてよい、というわけにはいきません。
そのことを念頭に置きながら、私が調べてきたことを私自身の記録として、ブログに残すことにしました。

2015年に【NHKスペシャル「明治神宮 不思議の森~100年の大実験~」】

が放送されました。(2021年5月17日にも再放送)
「明治神宮の森は、100年がかりで人工的に作られた太古の原生林なのだ。……」
この番組の素晴らしさ、100年前の有識者の壮大な夢と実践力、自然の力への絶大な信頼、ともかく言葉にならない感動を味わいました。
そしてその頃、神宮外苑についても同様な放送があった記憶なのですが、最近の再放送はありませんし、私の検索力では探し出せませんでした。
内容としては、有識者による視察団を編成して、欧米の大都市における緑地広場、公園の研究がなされたという記憶があります。
まず、そのことから、資料をさがしました。
―――――――――――――――
そこで、(一社)日本イコモス国内委員会が令和4(2022)年 10 月 3 日提言した資料を見ました。
※ なお、国際イコモスとは
「国際イコモスはユネスコをはじめとする国際機関と密接な関係を保ちながら、世界文化遺産の保護・保存、そして価値の高揚のための重要な役割を果たすとともに、文化遺産保護の原理、方法論、科学技術の応用の研究などを続けています。 またユネスコの諮問機関として、世界遺産登録の審査、モニタリングの活動を続けています」という団体です。

【近代日本の公共空間を代表する文化的資産である神宮外苑の保全・継承についての提言】
---「社会的共通資本である都市の緑地」の保全に向けて---
 令和4年 10 月 3 日

https://icomosjapan.org/media/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%85%AC%E5%85%B1%E7%A9%BA%E9%96%93%E3%82%92%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E6%96%87%E5%8C%96%E7%9A%84%E8%B3%87%E7%94%A3%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E5%A4%96%E8%8B%91%E3%81%AE%E4%BF%9D%E5%85%A8%E7%B6%99%E6%89%BF%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%8F%90%E8%A8%80_rFdyMkq.pdf

 

この提言は全54頁に及ぶ大論文で、私の知りたいことすべてが網羅されていました。
まずPDFの4頁目〈提言の趣旨〉にこういう記述がありました。
――――――(一部抜粋)
歴史的にみて、世界各国における都市の緑地は、絶えず改廃の危機に見舞われてきました。
その永続性を担保していくことは至難の業であり、それぞれの都市において市民・行政・企業が智慧を出しあい、協力をし、保全・継承を行ってきました。
事例としては、19 世紀中葉に、「民主主義の庭」として創り出されたニューヨークのセントラル ・パークがあります。1858 年に開園したセントラル ・パークには、岩倉使節団(1871 年)も訪れ、日本における公園制度を構築する過程で、その礎(いしずえ)として、大きな影響を与えました。164 年の星霜を刻んだ、今日、その面積 330 ㏊は減じることなく、
ニューヨーク市民の「珠玉の宝」として継承されています。

現在、再開発で改廃の危機に瀕している「神宮外苑」は、明治という時代が終焉し、首都東京が近代化の道を歩み出した大正 2 年 2 月に、貴族院議長・徳川家達より、時の内閣総理大臣・桂太郎に建議され、実現に移されたものです。明治神宮の造営は、「森厳荘重」を旨とする「内苑」と、「公衆の優遊」を旨とする「外苑」を、前者は国費をもって、後者は献費により行うことが決定されました。内苑と外苑を合せた総面積は 131 ㏊で、日比谷公園の約 8 倍、上野公園の約 2.5 倍の広大なエリアです。
資金を集めるために「外苑」については、明治神宮奉賛会(今日の NPO に相当する組織)が、渋沢栄一、阪谷芳郎(東京市長)、三井八郎右衛門等により発議され、全国及び海外からの献金と献木により、約 10 年の歳月をかけて、大正 15 年 10 月に竣工をみました。この間、関東大震災が発生し、外苑は仮設住宅や救護の拠点となりました。
(以後・中略)

国民からの献金の総額は 7,033,640 円(予定:4,500,000 円)、献木は 54 種3,190 本、内外苑造営に奉仕した青年団は、延べ 102,792 人にのぼったと記されています(『明治神宮内苑誌』昭和 5 年、『明治神宮外苑志』昭和 12 年)。

外苑は造営後、明治神宮に奉献され、その美観を永久に保存することが明治神宮奉賛会より要請されました。大正 15 年 9 月 14 日には、東京都市計画・明治神宮風致地区が、日本における最初の風致地区として指定され(内務省告示 134 号:内苑・外苑・北参道・表参道・西参道・神宮外苑青山口・内苑外苑連絡道路沿線)、文化的資産として歴史を刻んでき
ました。指定面積は、令和 3 年 4 月1日現在、274 ㏊となっています。

――――――――(一部抜粋・中略)
さらにPDFの8~10頁〈提言の1~3頁〉を見てみます。
――――――(一部抜粋)
【1. 神宮外苑の歴史的意義:近代における公園緑地の揺籃 】

日本における近代公園の整備は、1873 年に発せられた太政官布達により始まりました。
居留地における横浜の山手公園(1870 年)や神戸の東遊園地(1875 年)等は、欧米の文化を導入したものですが、「古来の勝区名人の旧跡等是迄群集遊観の場所」を「永く万人偕楽の地」とし、公園としていくことは、この太政官布達が嚆矢となります[1]。この背景には、1871 年から 1873 年にかけて派遣された岩倉使節団による欧米の視察が大きな影響を与えていたと考えられます。(以後・中略)
 
外苑の計画と整備は、奉賛会より神宮造営局に委託され、委員として古市公威、伊東忠太、佐野利器等、造園系としては川瀬善太郎、本多静六、原熈が任命され、外苑計画綱領及び工事概算書が決定されました。実務に当たった中心人物が、原熈門下の折下吉延で、1915 年に明治神宮造営局技師に任じられています。折下は、宮内省内苑寮技師として新宿御苑に奉職後、奈良女子高等師範学校の教授でしたが、外苑造成の大役を拝命したもので、当時 35 歳の新進気鋭の技術者であったと記載されています[5] 。(以後・中略)

外苑整備中の 1919 年、折下は東京市区改正委員会から欧米視察を命じられ、同年 5 月に横浜出帆、米国、イギリス、フランス、ドイツ等を歴訪し、1920 年1月に帰国しています。帰国後、折下は「都市の公園計画」という学術講演を行っており、その中から外苑整備の基本的考え方の展開を読み取ることができます[7]。
・「都市計画は百年百五十年という非常に遠大な計画を樹てまして、永遠の目標を定めて予め計画を樹てるのであります」(
以後・中略)

これに続いて、PDFの11頁〈提言の4~5頁〉は【(4)神宮外苑のデザイン:「近代風景式庭園」】と、続いて、

さらに重要な提言が、PDFの53頁まで続きます。

是非、これらをご覧ください。

なお、この提言のPDFの54頁には〈参考文献〉が提示されています。
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ともかく私は、明治神宮の内苑とおなじように外苑も、先人たちの知恵と想いを伝承していくことは、現代人の責務だと思っています。
私は「東京新聞」を購読していますが、だいぶ前から、明治神宮外苑再開発問題を取り上げていました。
それらを2024年1月27日に、プロローグ部分を掲載。1月29日から【解かれた封印 外苑再開発の真相】として7回にわたり連載しています。


このネットの記事と、私が切り抜いた新聞紙の記事とは〈見出し〉を含めて微妙に異なるようですが、内容的には同じものです。

これ以上長くなるのはたいへんですので、今日はここで、ブログアップします。

次回は、上記の【解かれた封印 外苑再開発の真相】から考えたことなどを綴りたいと思います。

おやすみなさい