新橋演舞場 初春歌舞伎公演 『平家女護嶋』① | ふうせんのブログ

ふうせんのブログ

小林蕗子のブログです。2013年5月に始めたときはプロフィールに本名を明示していましたが、消えてしまいましたので、ここに表示します。。
主に歌舞伎や本のことなどを、自分のメモ的に発信したいなあって思っています。よろしく!!

前回のブログに書いたように、新橋演舞場【初春歌舞伎公演
『平家女護嶋(へいけにょごのしま)』恩愛麻絲央源平(おやこのきずななかもげんぺい)――SANEMORI PARTII――】を観てきました。

 

―――――
前回のブログで、
團十郎が語る、新橋演舞場「初春歌舞伎公演」

 

ここで紹介されるのは、
「源義朝、常盤御前の夫婦の子どもである牛若丸。彼を守るために、常盤御前は、平家になびいて生きていきます。さらに、源氏方でありながら平家でいる実盛など、さまざまな人間模様が背景としてあるうえで、実盛は娘のひな鶴と、常盤は息子の牛若との親子関係の情愛を描く、しっかりとした骨組みのある題材になっております」と、團十郎は語ります。
というわけで、「俊寛」はどうなってんの!?というのが、今のところの感想。
近松門左衛門 歿後三百年記念の『平家女護嶋』と書かれれば、歌舞伎では「俊寛」が思い浮かびますし、主役だと思いますけど……。
と、書きました。
――――――
今回、演舞場での團十郎の俊寛は、立派な俊寛で、私が望んだとおりの俊寛でした。
やっぱり「俊寛」が主役でした。

私が歌舞伎座で初めて観た「俊寛」は、どなたが演じられたのか忘れましたけれど、
とても年寄じみてよぼよぼの俊寛、未練の涙に泣きくれる哀れな俊寛で、私のイメージしていた姿とは真逆でした。
私の読書事始は、小学校4年生ぐらいで読んだ『義経物語』などの歴史ものでした。
そこに出てきた俊寛は、歌舞伎のお話のように千鳥という女性は出てきませんが、最後は一人だけ喜界が島に取り残される同じ結末でした。
子どもながら、この結末に寂寥感を感じましたが、その俊寛に哀れを感じることはありませんでした。
時の流れの無常、無情、非情。そういう運命を受け止める孤独の人、孤高の人という印象ですね。
私自身が8歳で父を亡くし……、という運命にありましたからね。
―――――――――――――――――――
今回の『平家女護嶋(へいけにょごのしま)』は、通常演じられる「喜界が島の場」のまえに、発端「四条河原の場」があり、俊寛の妻・あずまやが、命を絶つところからはじまりました。

(ところが、私は遅刻して、座席に着いた時は、まさに浅黄幕があがって、喜界が島の浜の岩陰から俊寛が登場するところでした)
一般的には「喜界が島の場」だけで1時間15分はかかるのですが、今回は口上・発端・序幕を入れて1時間15分でしたから、初めてこの芝居を観る人には簡潔で分かり易かったとも思います。


ちょうど文楽の咲寿太夫のブログ
10分でわかる「平家女護島」鬼界が島の段【文楽のあらすじ】

文楽と歌舞伎では違うところもありますが、ほぼこんな感じでトントン話は進みました。
文楽の床本は

 

この床本に近い内容で演じると1時間15分かかります。

ポイントにしたいのは、この床本の最後ちかく
「……、思ひ切つても凡夫心、岸の高見に駆け上がり、爪立てゝ打ち招き、浜の真砂まさごに伏し転び、……」。
この「凡夫心」ですね、これがあるために、「浜の真砂まさごに伏し転び」から始まって、延々と凡夫心を展開されると、私は冷めた目になってしまうのです。
今回、團十郎はプログラムの対談でこう語っています。
【俊寛は凡夫、普通の人だったかというと、そうではありません。高い位の人であり、偉く、尊いお方。鹿ケ谷で平清盛へのクーデター、反乱を起こし、捕まって島に流されて、悟った状態でもあった。そんな人の心に、でも現れてしまう「凡夫心」を、どう描いていくか、ストーリーの流れの中で、すなおに俊寛の心情をお見せしたいというのは、今回の狙いのひとつです】
この言葉が私の胸にしみこんできました。
そうなんです。ラストの場面、よじ登った岩場の松の木陰から遠く海のかなたを行く船を見つめる俊寛の姿。
團十郎の肩、首、頭、身体そのものが醸し出す俊寛の想い、あの眼差しは何を想うのか、無情か、無常か、虚しさを超えた何かか……

凡夫心を否定するわけではないけれど、なにかが違う。
遠く沖のかなたに消えゆく船蔭を追う、團十郎の眼差しが美しい。
團十郎は泣かない。だから私の眼が熱く膨らむ…。
――――――――――――――――
なお、俊寛の生没年ですが、ウキィペディアなどでは「康治2年(1143年) - 治承3年3月2日(1179年4月10日)」としているものもありますが、生没年不詳とする書籍が多いですね。
言えることは、老人ではないけど、40歳不惑の少し前ということでしょうね。

今回の『平家女護嶋』、「喜界が島の場」で終わりません。
近松門左衛門作の三段目にあたる「朱雀御所(しゅしゃかごしょ)の場」を復活しています。
常盤御前と牛若丸の母子、斎藤実盛と娘・ひな鶴の父娘、乱世に翻弄されながらも「自らの運命を決めるのは天ではなく自らである」ことをテーマにしているということ。
ただし、プログラムの対談で、補綴・演出の石川耕士はこう語ります
【この三段目は上演すると長くなるので、一時、発想を変えて「いっそのこと、二段目の俊寛はカットして、親子の絆の物語に絞りましょうか」と私はいったのです。…】
と言われるぐらい、ほんとは長い物語を短くしているので、「常盤御前のご乱行」の話が、牛若丸を守る軍平を集めるのだろうな、ぐらいはわかりますが、消化不良のまま終わった感が私にはあるのですが……。
そのことはちょっと横に置いて、お正月の演目としては、抜群に楽しい構成になっていました。

―――――――――――――――――
この先を書こうと思いましたが、またブログ更新できなくなる心配もありますので、ここで①としてアップします。
ともかく新之助の大活躍!! つぎのブログをお楽しみに!!


※ なお、敬称についてですが、プロの芸術家や文筆家の方は広い意味での公人ですので、舞台そのものや作品について記す時は、私は敬称を付けません。昔からの慣例です。プライベートな内容と思われる時は「さん」の敬称を付けます。よろしくご了承ください。