『若き日の信長』、左團次への想い、團十郎への想い | ふうせんのブログ

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小林蕗子のブログです。2013年5月に始めたときはプロフィールに本名を明示していましたが、消えてしまいましたので、ここに表示します。。
主に歌舞伎や本のことなどを、自分のメモ的に発信したいなあって思っています。よろしく!!

5月歌舞伎座の團菊祭では、十二代目市川團十郎の十年祭の演目として、
昼の部に大佛次郎 作『若き日の信長』が上演されます。

私がこの芝居をみたのは、2015年11月の歌舞伎座
松竹創業120周年 吉例顔見世大歌舞伎 十一世市川團十郎五十年祭 でした。

その時の私のブログは
【『信長』に泣いた! 十一世團十郎さんのお命日】2015-11-10 

―――――その一部をコピーします
まず平手中務政秀の市川左團次に泣きました! 
このお役は、信長から「爺」と呼ばれる、信長のお世話係りなのかしら…、凄く情が深くて…、
よーく考えると、海老蔵は左團次さんには、ずいぶんおせわになっていますよねー
そして、信長の海老蔵に、涙がとまりませんでした。
いつのブログでしたか…、海老蔵が「信長の孤独が…」と語っていたのを思い出します。
――――― 一部コピー終わり
ですから、4月16日に左團次さんが亡くなられたことを知って、

真っ先に想い出されたのは、平手中務政秀の市川左團次でした。
平手中務政秀(ひらて なかつかさ まさひで)は、織田信秀(のぶひで)の家老。信秀の子・信長の養育にあたったひと。

どのような人物で、どのような結末だったかは書けません。
書いてしまうと、原作の大佛次郎の想いを無視することになるからです。
人生、人の心の機微の深さ、等々、それは原作の読み手、あるいはこの芝居の観客の生き方によって、様々な解釈ができると思います。
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團十郎のブログ【中務の爺をおもい】2023-04-20 12:36:26

今日は左團次のおじさんを
おもい、
信長の稽古、

信長の孤独
爺へのおもい、
―――――團十郎ブログ終わり

私は今、平手中務政秀と左團次さんが重なって、様々なことが想い出されます。
合わせて、織田信長と当代團十郎が重なって、いろいろなことが想い出されます。
そのことを綴ってしまうと、とてつもなく長いブログになりそうですから、今日は止めます。
今言えることは、『若き日の信長』の舞台は、そういうことを思わせるお芝居ということ。

戦国時代の話ながら、見終わった後、しみじみと浄化された「気」に包まれます。。
来月5月の『若き日の信長』、十二代目團十郎さんの追善と同時に、

左團次さんへの追善と感謝の気持ちを込めて、この芝居を観劇したいと思います。
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團十郎ブログ【この記事しっかりと私の伝えたい点を伝えてくれていると感じる。】2023-04-13 16:22:22

 

【…… 祖父と父から受け継いだ『若き日の信長』に挑む】

4/13(木) 15:02配信 ぴあ

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2015年11月歌舞伎座上演時の解説

この中で、十二代目團十郎による大佛次郎の戯曲の信長像、といった解説もありますし、十一世團十郎との思い出も書かれています。
私が特に注目したのは以下の箇所
――――― 一部抜粋コピー
初演時、『若き日の信長』のもう一つの特徴は、前田青邨の美術にあったともいわれています。十二世團十郎は、「秋の夕景の柿がたわわに実っている幕開き。これがきれいでお客様がわっとなります。青邨の絵を土台として十一代目の手がけた作品は、それまでのものとまったく違います。溜込(たらしこみ)という絵の技法を歌舞伎の舞台に持ち込み、新しい歌舞伎の雰囲気をつくっていました。そこを明確にすべきだと思います」と語っていました。
―――――コピー終わり
たしかに、歌舞伎データベースには、1952年(昭和27年)10月初演時の備考として、
(芸術祭十月大歌舞伎、初日特定狂言3、大佛次郎作(オール讀物十一月号載)、里見_演出、前田青邨美術並考証)と、なっています。

 

 

そして、今年の【歌舞伎座『若き日の信長』特別ポスター公開】

 

まだまだ書きたいことはありますが、長くなりますので、ここでブログアップします。
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(追伸)
そうだ、團十郎ブログ【いいね!】2023-04-20 07:44:27

ここで、つぎの記事を紹介していました。
【寺嶋眞秀が最年少10歳で歌舞伎単独会見 「初代尾上眞秀」として立つ5月歌舞伎座での初舞台の抱負語る】

4/19(水) 17:58配信  スポーツ報知

――――― 一部抜粋コピー
“デビュー作”「音菊眞秀若武者(おとにきくまことのわかむしゃ)」では、立役(男役)と女形の両方に挑戦する。「女形の動きは(坂東)玉三郎さんに習いました」。相当細かく、丁寧にしっかり教わったそうで、ポスターの自身の女形姿に「首が見えないのでもう少しアゴを上げれば良かった」と反省。さっそく“教え”の効果が出ている。
―――――コピー終わり
この会見について、歌舞伎美人のサイトには掲載されていませんので、「寺嶋眞秀が最年少10歳で歌舞伎単独会見」で検索しますと、さまざまなメディアの報道が出てきます。
眞秀(まほろ)君の新作舞台も楽しみです。

※ なお、敬称についてですが、プロの芸術家や文筆家の方は広い意味での公人ですので、舞台そのものや作品について記す時は、私は敬称を付けません。昔からの慣例です。プライベートな内容と思われる時は「さん」の敬称を付けます。よろしくご了承ください。