「歌舞伎懐かし堂」十二世團十郎襲名の『勧進帳』 | ふうせんのブログ

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小林蕗子のブログです。2013年5月に始めたときはプロフィールに本名を明示していましたが、消えてしまいましたので、ここに表示します。。
主に歌舞伎や本のことなどを、自分のメモ的に発信したいなあって思っています。よろしく!!

すっかりご無沙汰しています。
5月14日に【歌舞伎座・團菊祭に行きました①】のブログをアップして以後、更新することができませんでした。

5月15日に、シアターコクーンで中村七之助と中村梅枝などの『切られの与三』を観ました。
5月17日は、新橋演舞場で、『蘭RAN~緒方洪庵、浪華の事件簿』(藤山扇治郎、北翔海莉、ほか)
5月22日に、歌舞伎座の昼の部『雷神不動北山櫻』の観劇、2回目。

5月26日は歌舞伎座・千穐楽、夜の部の『弁天娘女男白浪』2回目。
そして、なんとこの26日、突然のこととして、歌舞伎座5階のギャラリーで「歌舞伎懐かし堂」という催しが始まったのです。
歌舞伎美人の5月16日付けのニュースでお知らせがありました。
こちらhttp://www.kabuki-bito.jp/news/4738
そこには、「第一回の今回は、歌舞伎座の十二世市川團十郎五年祭に合わせ、昭和60(1985)年4月の襲名披露の舞台から、『口上』と歌舞伎十八番の内『勧進帳』を上映」となっています。
これは是非観たいと、日時を調べたら、5月26日午後6時30分開映となっています。
〈アラーっ、千穐楽の公演日に重なってるわー〉とちょっと不満でしたが、
『弁天娘女男白浪』だけ観て、5階のギャラリーに行くことにしました。

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【「歌舞伎懐かし堂」十二世團十郎襲名の『勧進帳』】

『弁天娘女男白浪』も、いろんな意味で涙がでるほどの感激の舞台でしたが、
さらに、十二世市川團十郎襲名披露の『勧進帳』の素晴らしさに、心洗われる想いで、帰宅しました。
十二世團十郎襲名は昭和60年(1985年)4月~6月なので、この時はまだ38歳。
38歳にして、團十郎の弁慶には「祈り」が満ち満ちていました。
團十郎はかねがね「『勧進帳』は必死で、命がけで演じるもの」といっていましたが、その必死さは、迫力とか威力といった、力で押し切るものではないことがよく伝わる弁慶でした。
そう、自分の力ではなく、必死で仏に祈ることで安宅の関を越える、その祈りの力に満ち溢れた弁慶でした。
その弁慶に対峙する17代目中村勘三郎の富樫もまた、次第に慈愛に満ちた仏の姿へと変化していくのがしっかり受け止められる富樫でした。素晴らしかった!!

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そこで、、この『弁天娘女男白浪』と、『勧進帳』についてブログ原稿を書き進めていたのですが…
今年の團菊祭は「十二世市川團十郎五年祭」なので、『團十郎の歌舞伎案内』(PHP新書・2009年刊)を読み直したり、過去の團菊祭の筋書=プログラムを見たり、醍醐寺薪歌舞伎『勧進帳』のDVDを観たりしながら、様々な想いにふけったりしていました。
それで、ブログを書くことも、皆さんのブログを訪問することもできないまま、6月になってしまいました。

一昨日、やっと右團次さんのブログ【大徳寺の場❗️】をリブログして、7月歌舞伎座のことを少し書くことができました。
https://ameblo.jp/kabukidaisuki888/entry-12382825749.html
この「大徳寺」の場については、十二世市川團十郎の初舞台だったことは、知っていました。
歌舞伎俳優名鑑の市川團十郎(十二代目)」http://www.kabuki.ne.jp/meikandb/omoide/actor/11には
「昭和28年10月、歌舞伎座での『大徳寺』における三法師が初舞台だった。当時市川海老蔵だった十一代目團十郎の父親が秀吉役で、父親に抱かれて登場した“夏雄ちゃん”の三法師は、黒目がちの美しい眼をした本当に可愛らしい子だった。…」と記されています。
この時は『大徳寺』という演目で、「劇聖團十郎五十年祭大歌舞伎、初日特定狂言1、海老蔵長男市川夏雄初舞台、河竹黙阿弥作」と備考欄にあります。
この公演の一か月前に、12代目さんは初めて妻子がいることを公にしたという、ドラマチックなこともありましたが、そのことについてはいずれまた…。
そういうことがあって、7月歌舞伎座では、この「大徳寺」を含む『三國無雙瓢箪久(さんごくむそうひさごのめでたや)』を上演するのかと思っていたのですが、右團次さんのブログで、この芝居は澤瀉屋にも所縁の演目だとわかりました。
当代の猿之助もまた、5歳の時に喜熨斗孝彦の名まえで三法師を勤めているんですね。
そこから猿之助の舞台のことなど、色々考えたりしているのですけれど、その話も長くなるので、いずれまた…。

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6月6日は、歌舞伎座・昼の部にいきました。
6月7日は、三越劇場の花形新派公演『黒蜥蜴』を観ました。
去年も同じキヤストでの『黒蜥蜴』を観ていますが、今年の『黒蜥蜴』は、とても良かった!!
そこでブログを書き始めたのですが、後日にアップします。

今日は、我が家の中川右介は博多座に行きましたが、私はお留守番。
「博多座。仁左衛門の俊寛。花道が海になり、腰までつかり、もがく。しかしラストは自己陶酔の絶叫では終わらない。船が見えなくなるまで何時間も見ているのだろうと思った。その先の都、あったかもしれない未来まで感じさせる」と、FBでのメッセージ。
「腰までつかり」のところは、スッポンを使ったということでした。
私は今月は遠征できませんでしたが、7月は大阪松竹座に行きます。
仁左衛門の富樫を観るのが一番の目的。
仁左衛門の弁慶は歌舞伎座で一度だけ観ることができました。

素晴らしかった!!
やっぱり関西系の役者・仁左衛門には、なかなか『勧進帳』を演じる番が回ってこないようで、富樫も滅多に観られません。
これは見逃したくないです。

ということで、長らく御無沙汰していましたが、元気なことは元気です。
ただ、いろいろと想うことが多くて、ブログが更新できないだけです。

今夜はこのあたりで、休ませていただきます。おやすみなさい。

※ なお、敬称についてですが、プロの芸術家や文筆家の方は広い意味での公人ですので、舞台そのものや作品について記す時は、私は敬称を付けません。昔からの慣例です。プライベートな内容と思われる時は「さん」の敬称を付けます。よろしくご了承ください。