今日は暖かな1日でしたね〜
私は今日はなんと…ダウンしていました(笑)
家で静養する日となってしまいました
毎日元気に働いているんですが、意識できないところ(水面下)で疲れが溜まっていたのかもしれません
…というわけで静養には心の栄養が必要
お友達がダビングしてくれたDVDなど観ておりまして
先日放映されました中村勘九郎さんの「ファミリーヒストリー」を観ました
十七代目からの中村勘三郎さんの中村屋の歴史なのですが…
ご先祖様は中村歌六さんなんですね
しかも十七代目の中村勘三郎さんの初舞台の時の名前は「中村米吉」播磨屋さんの名前ですよね〜
で、「本家の兄」というのが初代中村吉右衛門さんなんですね
え〜っと、え〜っと…
現在の松本白鸚さん、中村吉右衛門さん、松本幸四郎さんも、元を辿れば中村勘九郎さんや七之助さんの親戚なのか考えたことがありませんでした
それを言うと播磨屋の中村歌六さん、中村歌昇さん、中村種之助さんも中村屋さんの親戚なんですねびっくりしました!
十七代目の中村勘三郎さんのお母様の ろくさん…
『私が聖司をいい役者にしてみせる』とナレーションは言ってましたが、習い事をさせたりして、借金をしてまでも良きに計らってくれて…
泣けますねぇ
初代 中村吉右衛門さんのところに行き、十七代目の中村勘三郎さんは「中村もしほ」を襲名したのですね
東宝に行き、また歌舞伎に戻って来てから、六代目 尾上菊五郎の娘さんとご結婚することになったんですね
六代目 尾上菊五郎さんは後ろ盾をなくした役者の子に目をかけてくれて面倒を見てくれて優しかったのだということも、私は初めてこの番組で知りました。
(…んん?そうすると音羽屋さんと中村屋さんも親戚筋?)
あと、戦争になった時に「享楽禁止令」が出て歌舞伎座も閉じられ…歌舞伎役者さんがたも戦地に向かわなければならなかったということでしたので、胸が痛みました。
今、歌舞伎を楽しんでいられるのも平和で戦争がないからだわって思いました
そして十七代目の勘三郎さん=波野聖司さんは徴兵されましたが、幸い痔を患っていて徴兵を免れたようです 痔、さまさまですね
そうして、80年眠っていた中村勘三郎という名跡を襲名し、ここで中村屋という屋号ができたそうです知らなかった
そして十八代目の中村勘三郎さん=波野哲明さんの初舞台
成長されてからの十八代目 中村勘三郎さん確かに勘九郎さんと七之助さん両方に面影が受け継がれてますよね
好江さんのお父様の七代目の中村芝翫さんも、番組で言っていて改めて「ああ、そうだな」と思ったことが、七代目の神谷町の中村芝翫さんも5歳の時にお父様を亡くされて苦労されていたのですね…
その時にやはり六代目尾上菊五郎さんが面倒を見てくださったのですと
今の中村勘九郎さんが4歳の時に盛綱陣屋の小三郎をやった時に、出てきて座る場所を間違えた時に十七代目の勘三郎さんが烈火の如く怒ったエピソード…勘九郎さんは押入れに閉じ込められて、十八代目の勘三郎さんが抱きかかえて帰って来たことがあったと語る好江さん。
好江さんが十七代目に謝った時に、十七代目が謝って言った言葉が「雅行を怒ったんじゃないんだよ、お弟子さんとか周りの人が教えないのがいけないんだよ。僕は孫にもこんなに厳しく叱るんだって見せたかったんだよ」っていうものでした。
…竜雲、なんだかこれを聞いていて涙が出てしまいました
こんな気持ちでお孫さんを怒る方だったのだなぁ…と思うと泣けました
それと同時に、小さな御曹司がしっかり舞台が勤められるように、お弟子さんがたが教えないといけないんだわ…
お弟子さんがたも責任重大だなって思いました 御曹司の舞台が恙無く執り行われるように、いつも目配り気配りをしないといけないのですね!
中村屋は十七代目が大きく築き上げたのですね…それから更に革新的に大きくした十八代目
中村勘九郎さんは「いだてん」として今年のお茶の間の顔ですね
「勘九郎」の名前も、もっとみんなにおなじみの名前になったらいいですよね
それでは皆さん、良い夜を〜