2008年度公開映画ランキング、更新しました★


『トウキョウソナタ』は2回みたらランキング下がりました。

あれ、やっぱ『宇宙戦争』(スティーヴン・スピルバーグ)と『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(デヴィッド・クローネンバーグ)が色濃くて、評価しがたいんですよね。

『人のセックスを笑うな』は映画館で3回観たけど、いまだに捕まえきれない生々しさとわざとらしさで、上位は固いです。

『アキレスと亀』は、友人と盛り上がって、ランクアップですw武がたけしを「殺そう」と試みるものの、結局「諦める」、新たな武の最高傑作でしょう!!

冨永昌敏・・・こないだトークショー来てたのに行けなかった。(めんどくて)

本年度公開の新作『シャーリーの好色人生と転落人生』広島でやるだろうか。

【邦画】

①『ぐるりのこと。』(橋口亮輔)

②『崖の上のポニョ』(宮崎駿)

③『人のセックスを笑うな』(井口奈巳)

④『アキレスと亀』(北野武)

⑤『くりいむレモン 旅のおわり』(前田弘二)

⑥『トウキョウソナタ』(黒沢清)

⑦『一万年後・・・・。』(沖島勲)

⑧『接吻』(万田邦敏)

⑨『コンナオトナノオンナノコ』(冨永昌敬)

⑩『実録・連合赤軍』(若松孝二)

『パーフェクト・ワールド』(1993) A PERFECT WORLD

【アメリカ・138分】
監督: クリント・イーストウッド
脚本: ジョン・リー・ハンコック
撮影: ジャック・N・グリーン
出演: ケヴィン・コスナー、クリント・イーストウッド、T・J・ローサー


どこかのねじが一本抜け続けているような、しかし文字通り「完璧」な、傑作である。

理不尽なはずの二人の逃走劇は、『続・激突!/カージャック』(スティーヴン・スピルバーグ)のごとく、いつまでも見続けていたいという気持ちをかきたてる。おそらく、彼らの持つ非現実的なほどの純粋無垢さが途切れぬことを、我々は静かに祈らずにはいられないのだろう。

ケヴィン・コスナー演じる脱獄囚の主人公・ブッチは、突拍子も無く8歳の少年・フィリップに銃を握らせ、(突如として彼を)誘拐する。
今にもレイプされそうな母を救い、自分に暴力を振るった男をたたきのめしたブッチに、父親を知らないフィリップはどこか親しみを覚える。
そして、フィリップを選んだブッチもまた、少年にかつての自分の姿を投影する。

彼らは互いを、自身の欲望を実現してくれるべき対象として見つめている。
フィリップは、ブッチが自分の抑圧された世界を押し広げてくれる強靭な「父親像」たりうることを、
ブッチは、フィリップの目に自分自身が、自分を抑圧してきた「父親像」として映らぬことを、願っているのだ。それがたとえ無意識的なものだとしても(過去の自分を救済しようとするかのように)。
そして、彼らの沈黙の欲望に応えるように、周囲の人物は2人を「親子」だと認識する。「似たものコンビだ」と。

ところが、ブッチの「投影」が、その純粋無垢さに従うあまりに、我々の沈黙の祈りを逸脱する行動を呼び起こしてしまうとき、フィリップは自ら銃を握る。そしてその姿は、まさに少年時代のブッチの姿に重ね合わされるのだ。

「投影」が現実の「一致」を呼び覚ますとき、2人はついに、本当の親子以上の愛情に辿り着く。そして、ブッチは、自分の旅のつづきをフィリップに託し、かつての自分の姿(ゴースト)の仮面を脱ぎ去った、血の繋りのない少年が去っていくのを、静かに見守り続けるのである。


ていうか、この作品は批評でとやかく言ってしまうよりも、見て感動するべき映画だ。
『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』(2002)

【フランス/カナダ/イギリス・98分】

監督: デヴィッド・クローネンバーグ
出演: レイフ・ファインズ、ミランダ・リチャードソン

本作は、正体不明の男が、パズルを並べるように記憶の断片を紡ぎだすと同時に映画そのものが進行していく、という形をとる。しかしその「回想」は幾分巧妙で、接ぎ目を隠したままひとつなぎに導入されるのだ。この点が、この映画の1つのミソだろう。

現在の住人である男は、過去のシーンに引き返し、自らの記憶に侵入しながら、自分自身へ、(あるいは母親へ)感情移入してみせる。「不在」という透明な身体を持った彼は特権的に、かつては知りえなかった記憶と出会い、「真実」を暴こうと試みる。

ところが、記憶の中に「実在」する自分自身が、自らの知りえなかったはずの記憶と出会うとき、物語の進行にズレが生じ始める。

映画の終わり、物語の語り手であり、回想の主体であったはずの男その人の精神が交錯しており、それゆえに、それまで観客が目にしてきたものは全て男の幻想であったのだ、という真実が暴露される。そして文字通り語り手を失った映画は、主人公の退場と共に静かに幕を閉じるのである。

映画における回想シーンというものを、語り手であるはずの人物の視点の限界を悠々と超えてしまうことで、観客の幻想的感覚を生じさせる装置であるとするならば、本作の技法はまさにその「幻想」を巧妙に利用したものであり、それ自体が物語に絡み合い、さらに、物語の終結とともにその技法も消滅してしまうという点で、映画としての一貫性を持っており、非常に明快であると言ってもよいだろう。
しかし、その装置が暴露されてしまった瞬間にサスペンス的快楽すらも消滅してしまうというのは、なんだか物足りない。
『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005)においても、主人公の正体が暴露されてしまうと同時に物語の進行も足踏み気味になってしまい、それまでの軽快なテンポを乱してしまっていたように思われる。
その点がクローネンバーグの悪い点であるとも言えそうだが、私は大好きなので、上映時間の短さと相俟って、そのシンプルさこそが、彼の魅力であるに違いない。