アメブロに来る前にやっていた旧ブログを復活させ、

そちらに引っ越すことにしました!!

(元居たところのほうが鑑賞記を書きやすいことに気が付いたので・・・)

今後はそちらの方に遊びに来てください目



http://d.hatena.ne.jp/kabu-1/



 映像メディアは、人間の内面を形象し得る。

例えば、エーリッヒ・フォン・シュトロハイム『グリード』(1924)のラストシーンにおいて、砂漠の中心で死体と結び付けられた主人公の身体は、逃れることのできない運命への絶望の念を想起させる。

 あるいは、ダニス・タノヴィッチ『ノー・マンズ・ランド』(2001)のラストシーンにおいて、今にも爆発する地雷の上に捨て置かれた男・ツェラが、誰もいなくなった戦場に自分とともに唯一残された映画のカメラと対峙し、そのまなざしを観客に向けるとき、見る者は彼の内面の葛藤を読み取らずにはいられないだろう。(あるいはまた、いくつかのアヴァンギャルド・フィルムのように、理解不能な映像断片のモンタージュによって・・・)

 映像メディアは、スクリーンに映し出された登場人物の置かれた状況を生々しく表象することにより、観客の想像力を掻き立て、人間の内面を“類推”という形で形象化することが可能である。

『フルメタル・ジャケット』(1987)
FULL METAL JACKET


【アメリカ・116分】

監督: スタンリー・キューブリック
製作: スタンリー・キューブリック
製作補: マイケル・ハー
製作総指揮: ヤン・ハーラン
原作: グスタフ・ハスフォード
脚本: スタンリー・キューブリック、マイケル・ハー、グスタフ・ハスフォード
撮影: ダグラス・ミルサム、プロダクションデザイン: アントン・ファースト
美術: キース・ペイン、 ロッド・ストラットフォード 、 レス・トムキンス
衣装デザイン: キース・デニー
編集: マーティン・ハンター
キャスティング: レオン・ヴィタリ
音楽: アビゲイル・ミード
出演: マシュー・モディーン (ジョーカー)、アダム・ボールドウィン (アニマル・マザー)、 ヴィンセント・ドノフリオ (パイル)



戦争なんて、シット!調教されて狂った兵士はミッキー・マウスのような偶像!

手持ちカメラの、インタビューの、パレードの、そして兵士たちの身体すらも、

すべてが擬似リアリズムに満ちている。

主人公はカメラにピースし、それを見ている観客は、見られていることに気付かない。


最近、映画がどーのこーのということよりも、

その映画がこの世でどう生き延びるのか、ということの方が大切な気がして、

テクストなんか、カメラなんかどうでもいい。


ダニス・タノヴィッチ『ノー・マンズ・ランド』という作品は、

そういった分析もどこかバカらしくなってしまうような、

素晴らしい映画だ。

ラスト、一人残されたツェラは、見捨てられたボスニア紛争そのものの表象となる。
そして、彼はただ、ともに残されたカメラをみつめる。

観客は、その瞬間、傍観者であることを自覚させられる。
あの映画に主人公はいない。

語りべは監督だが、その姿は見えない。

兵士の無名性。

戦争の表象が、主観性なしにはほとんど不可能であるという逆説に

あの映画は反旗を翻している。

きっと、そう思う。