『プロタゴラス』を読んで | かぼちゃのブログ 慶應通信

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慶應通信文学部I類2015秋入学 学んて感じたことなど書いています。

てこずった西洋的哲学史のレポートは、

数冊の指定された本の中から一冊を選び、

読んで論じるものでした。

『プロタゴラス』を選びましたが、

読む量が少なかったからだったと記憶しです。


古代ギリシャのお話で、

徳は教えられるかについて、

ソフィストのプロタゴラスと

若者ソクラテスのやりとりを、

プラトンが書いたものです。

随分昔から読まれてきた書物で、

さぞかしいいことが書いてあると思い

読み進めるのですが、

❓❓❓。


最初の率直な感想は、

この本の言いたいこととは

直接関係のない部分で出てくるのです。


徳とか知と何が出てくるけれど、

この中にずる賢さも含まれているようで、

人格がいいのような

本当の意味での徳ではなさそう。

徳をどう捉えたらいいの?

誤訳?


正しい、正しくないにこだわっているけれど、

立場や状況で正しさなんて変わるし

絶対正しいなんて無いんだから、

そんなもの追求してどうするの?


行動の選択の仕方が、

機械的に知恵で善悪にで分けて

善を選ぼうとする。

感情が無視されてませんか?

感情はどう扱うつもりなのだろう?


挙げ句の果てはわたしは、

もっとましな議論の仕方をすればいいのにと

思ってしまったのです。


その感想のままレポートを書いたので、

ひどいものでした。

もう随分時間もたったので

もう一度この本を読むと、

もっと違った受け取り方が

できるかもしれません。


何かの本で、

西洋哲学は西洋という一部の地域の

特殊な考え方だと書いていましたが、

とても納得したのです。