徳村慎
この本を読んでいて思い出したのが。
母の言葉だ。
片親しかいない家庭は不幸だ、というものだ。
しかし、本当に不幸なのか?
小学生の頃の疑問が、今になって解けた。
母親は片親しかいない家庭は子供が不幸だから、離婚しないで生きていこう、と決めていたんだろう。
しかし、不幸だ、という価値観を子供にも教え込んだのは間違っていた。
あの家庭は不幸で、私の家庭は幸福だ、と決めつけていた。逆に言えば、誇るものが旦那の居る家庭でしかなかったのかもしれない。
誇るものが無い母親が不幸だったのか、どうだったのか、分からないけど。
少なくとも老年になってから合唱をやっている時の母親は幸福そうだった。
しかし、今ではコロナ禍で合唱も無くなってしまった。合唱の会は、自然消滅したのだ。
だからこそ、母親にキーボード(鍵盤)を買ってあげたかった。無趣味な母親が可哀想に思えたのだ。
しかし、不幸というのは、比べた時にはじまる。比べなければ不幸など無いのだ。
あああ。スカッとしたい気分だなぁ。
ペプシを飲んじゃおうかな?
いやいや、ダメだ。
コーヒーを飲む。
K.K.くんに濡れ衣を着せられたこととか。
高校時代に進路指導の先生が嫌味ばかり言うので、大学に受かったことを報告しなかったり。
だからというのもあって、履歴書不要のところしか受けられないな、と思ったり。。。
履歴書不要のところは、仕事がキツくて続かないだろう、と思ったり。
生活保護を受けて、グループホームで暮らすしかないのか?、、、なんて思ったり。
まあ、今は、1年ほど我慢する覚悟で、貯金を医療費に使って崩しながら、国民年金と食費は親に払ってもらいながら、生活するつもりだけど。
その1年が過ぎて、生活が成り立たないなら、、、なんてことを思ったのだ。
その自分の不幸な状況を母親が言った言葉の不幸に置き換えているのだ。
アドラーの目的論で言えば、今不幸だと思ってるから過去の不幸が目につくということなのだ。
今ココしかない。
つまり今ココだと、観光業が復活するまで苦しい生活だということを認めないといけないのだ。
今が不幸だから、母親の不幸に対する考えを小学生の時期に植え付けられたと考えてしまうのだ。
昔の不幸と今の不幸は、何ら関係が無い。
苦しい生活の中でズッコケ三人組シリーズ後半27〜50巻を買うことは難しい。だから苦しんでいるのだ。
ああ、そうだとも。FMトランスミッター、楽器、軽自動車、本e.t.c… を諦めるのが苦しいのだ。
物欲の塊だ。
母が悪いという話は、あくまでもトラウマだ。
トラウマは存在しない、というのがアドラー心理学の立場だった。
ならば、今ココでやるべきなのは、工芸品作りを真面目にやってコツコツと努力することじゃないのか?
おおー。ぱちぱちぱち👏
1年頑張ってみようよ。。。
頑張って出来なかったら、その時は、その時だ。
自殺だけはしたくないと思ってたけど。まあ、それも、その時は、その時だ。
逃げてしまっていたのか。。。
1年と言わず3年でも、、、医療費6000円×12ヶ月×3年=216000円
5年も可能か。。。医療費6000円×12ヶ月×5年=360000円
5年も好きな物が買えない状況が続いたら、僕は仙人になってしまうかもしれない。。。(笑)
最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます♫
😊😅🥲😘😛🤨😋😆