徳村慎
才能が無い。これは、ごもっともな話だ。
何の才能が無いのか?
何の才能も無い。。。
と言えるけれど、
やはり何の才能も無いんだろうか?
楽器を演奏するのが好きだ。
だけど、上手くはない。
ある時期から上手くなろうとしなくなった。
ドローイングもそうだ。上手くなろうとしなくなった。
俳句モドキは上手くなろうとして、あれぐらいのことしか出来ない。
もっと人に優しく出来たら良いのに。
改善出来るさ。きっと。
優しさの才能も無いのかもしれないけど。
才能が無い、ということは、いろんなことを諦(あきら)められるということなんだろう。
諦めたか?
分からない。
今年の誕生日が来れば44歳だけど、それでも分からないことだらけだ。
幼稚なんだ、と思う。
下手の横好き。
才能が無いけど、好きだ、という意味では、下手の横好き、という言葉がピッタリだ。
ブログをやり続けるのも下手の横好き。
仕事をやっているのも下手の横好き。
なんだか、アホらしい話だ。
プロフェッショナル的な話ではないのだ。
極めている人は幾らでも居るのに、僕は極められない。。。凡人なのだ。
21歳頃のことだったか、ホテルで勤めていたら、上司に「なんでも中途半端」と言われたものだ。
今になってみると、本当かもしれない、と思う。
ただし、その上司は仕事を極めていたか?、、、というと、ソコソコかなぁ?、、、って印象なので、中途半端な人間は中途半端な人間を中途半端だとおとしめたいのだ、と思う。
まあ、簡単に言うと弱い者いじめだ。
才能が無い者が才能が無い者に才能が無いって言いたいだけなんだろう。
人を不幸だと考えることで自分は相対的に幸福だと思いたがる人生なんて、まっぴらごめんだ。
***
とは言ったものの、僕は相対的な幸福を求めているから、才能が無いなどと思うのだ。
自分軸で未来の自分と比べるのなら良い。
それか、自分での評価を良いものにするのなら、良いんじゃないか?
最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます♫
😊😅🥲😘😛🤨😋😆