徳村慎
Ⅳ 表象文化面からの資本主義批判
(16)ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』
絵画→写真
舞台→映画
もっと言うなら写真→映画でもある。
絵画→写真
↓
小説・脚本→舞台→映画
↑
音楽・ダンス
しかし、映画が最高の芸術であるか?
というと、、、まあ、最高かもしれないけれど。。。
映画史を考えると、、、
(モノクロ)無声映画→音楽がある映画→(カラー)→合成→CGアニメーションという具合になるだろうか?
(たぶん。。。)
ターミネーター2の液体化金属や、ジュラシック・パークの恐竜🦕🦖がリアルだった。。。
あれはCGの革命だったなぁ。。。
もう映画の古典になってきているんだろうけど。
最近では俳優を撮影してAIに取り込むと、若くしたり年寄りにしたりもできるらしい。
令和生まれの子供たちが成人する頃には、映画は、もっと進化しているに違いない。
映画でしか使えなかった高額な技術もテレビやYouTubeで使われているかもしれないし。
YouTubeよりも新しい動画サイトが生まれているかもしれない。
amazonプライムでしか観れない映画もあるから、映画館という形は無くなっている可能性もある。
スマホだけで撮影した映画というのも可能になっている時代が来ているかもしれない。
スマホだけで映画や音楽を制作して完結するようなことが起きれば、安価で誰でも映画が制作できるから、素人の作った面白い動画が一気に増えるかもしれない。
いや、そんなことは、もう当たり前になりつつあるのかな。
ノートパソコンとビデオカメラと鍵盤があれば、音楽も動画も作れる時代だから。。。
僕もApple iPhoneXRでKORG Gadget2を使って曲を作ったりしているし。。。
動画作りは、そんなにやってないから、これから開拓する分野かもしれないけど。。。
それにしても、YouTubeを観ていると、商品紹介や音楽や知識を面白く伝えるものとか、いろいろある。これが中国、インド、アフリカ辺りまで取り込んだ、グローバルなYouTubeの仕組みになったら(同時通訳)、、、日本人YouTuberじゃ太刀打ちできなくなる。
そんなことを岡田斗司夫がYouTubeで語っていた。
アートの歴史で見ると、YouTubeは、最先端かもしれない。それでも、お金をかけた映画作りは無くならないとは思うものの、、、
もはや、新たなジャンルの成立は、、、
舞台→映画の延長上には無いような気もする。
スマホで誰かが作った動画をスマホで観る時代かもしれない。
それがアートだとするなら、誰もがアーティストになれる時代になってしまったということか。
アウラ(オーラ)は、消え去り、、、
アーティストとAIとが競い合って動画を作る時代に入ったら。。。いや、最終的にはAIがアーティストになっちゃうのか?
じゃあ、この世代が人類最後のアーティストじゃないだろうなぁ?
、、、ちょっと怖い。
令和生まれの子供たちが40歳になったら、、、今から40年だとすると僕は80歳ぐらいか。。。
その頃になると、「まことアート・夢日記・文芸」という名前のブログは、、、古めかしいよなぁ。どう考えても。。。
夢日記かぁ。。。
人類は、VRを発達させて夢さえも再現出来るようになるんじゃないかなぁ?
文芸なんて、すでにAIが俳句のすごいのとか作ってるし。。。
じゃあ、AIには勝てないのかなぁ。。。
僕が有名になったら僕の俳句モドキのパターンをAIに読み込ませて死後もじゃんじゃん俳句モドキを作るとか、死後にドローイングを作るとか、死後に音楽を作るとかも可能かもしれないけど。。。
じゃあ、有名になったもん勝ちかぁ。。。
、、、無理だ。
とてもじゃないが、有名になれる気がしない。(笑)
僕が80歳の時には、、、
スマホに、、、メロディを鼻歌で入れて、メタリカ風とか指定したらアレンジを全部してくれるAIのアプリとか出来てるかもしれないなぁ。。。
うーん。
ちょっと長生きしたくなってくる。。。(笑)
プロットだけ書いたら、映画を作ってくれるスマホアプリとか。すげーな。でも、ありえそうだな。
っていうか、プロットもAIが考えるんだろうなぁ。。。
やっぱ、どんな時代が来るのか分からない。。。
人間はAIの作った娯楽だけを楽しみに、受動的に生きるのかなぁ?(汗)
最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます😊😃😝
