感想:本『現代思想の名著30』Ⅲ(14) 2021.5.26.
徳村慎
Ⅲポスト構造主義
(14)エーコ『開かれた作品』
作品の解釈は、多かれ少なかれ、どんな作品にも存在して良い。作品は多かれ少なかれ「開かれている」ものだ。。。
そしてその解釈を自分の作品制作に反映するかどうか。それは作者や観者が属する文化状況やそこで形成される世界観によって規定される。。。
もしも僕の視力が弱くなって。読書をしても1文字ぶんしか目に入らない場合。。。1文字ずつ追って読んでいくと、途中で文章が途切れて単語に分解し、あるいは1文字に分解してしまえば、文章はバラバラになり僕は本を読んでも僕なりの解釈でテクストを読む。。。そして作品を構築することになるのではないか?
あるいは、目を瞑って描いた絵を、目の見える第三者に説明してもらって、また絵を描いて再現しても、同じものにはならないだろう。
これは作品の構築ではないか?
それらは自由なテクストと言えるのではないか?
*ここでいうテクストとは「解釈が可能な作品」ぐらいの意味。
「開かれた作品」は、芸術と現実の関係をラディカルに改編し、新たな「形(構造)」を見出す試みである。
*
目を瞑って絵画を描く、あるいは、フレットレスの三線をむちゃくちゃに弾く。
そこには、新たな形がありそうだ、と思うのだ。
漢字だらけで文脈を無視した詩を書いても良いかもしれない。。。
新たな形の模索は簡単に出来る。
けれども新たな形が型になったら、そこで終わりなのだ。。。
難しい。。。
最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます😊😃😆
