徳村慎
Ⅱ 構造主義
⑩フーコー『言葉と物』
博物学→生物学、貨幣と価値の理論→経済学、一般文法→文献学
→→人間諸科学(心理学、社会学、文化史、思想史、科学史等)
→→精神分析、文化人類学
文化人類学でイメージするのは、民族音楽をフィールド録音する科学者(音楽家)の姿だ。
フィールド録音は、自然界のノイズと物音や楽器などの併置だ。音の博物学とでも言おうか。
文化人類学というともう1つイメージするのが、楽器で世界を旅することだ。
デジタルシンセの中にいろんな楽器の音色がある。
あるいはシーケンサーの中に世界中の音楽のスタイルがある。
音楽の図鑑だなぁ。
図鑑といえば、植物、昆虫、魚貝、鳥類、動物などの生物、、、人体、、、鉱物、宇宙、、、といった科学。妖怪(UMA)の図鑑。タロットカードに見られる諸宗教の図像。。。などをイメージする。
エピステーメー:知、科学
「人間の終焉」、、、と聞くと、2つの考えが思い浮かぶ。
人類の滅亡と、、、人類が進化して、宇宙に出てしまうことである。
無音の世界が音楽である、とするジョン・ケージの4分33秒のような?、、、4分33秒の無音の間に聴いた物音が音楽であるとするならば、ノイズ系とも受け取れるが。。。
星の光が銀河を形作る。。。そこにフラクタルのような図像が現れるのか?
では、図像とは、宇宙そのもの、梵我一如に近いのだろうか?
ユングのアニマ/アニムスは、図像だ。男性らしさ女性らしさというのは、究極的に存在するのだろうか?、、、それとも、それらは文化が作ったジェンダーに過ぎないのか?
いや、宇宙に出た人類が得られる新たな精神は、今の知の延長にはないのかもしれない。。。
***
最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます😊😃😆