徳村慎
「夢の森」
17歳の少女ターニャは夢を見ていた。
裸足で柔らかな苔の上を歩く夢。
夢の中で森を歩いているのだ。
ああ、気持ちいい。ずっと歩いていたい。
ガリガリと岩の削れる音がして目が覚めた。
潜水艦が岩を削るようにして海底についたのだ。
あの森は夢だったのか。
ずっと夢の中でいたかった。
潜水艦の中で暮らしていると何もかも色彩が失われてしまうように思える。
森は鮮やかな確かさがあった。
この固い床ではなく、柔らかな苔を裸足で感じていられるのは、本当に気持ちよかった。
脳内の快楽物質が出ていたんじゃないだろうか?
2204年。
人類は海に現れた生命体「人魚」と戦争をしていた。
世界各国が多数の潜水艦を出していた。
陸上はどうなったのか?
ウワサでは陸上の都市は人魚たちによって強力な爆弾のようなもので消されてしまったのだという。
我々は戦い続けるしかない。
しかし、いつまで戦えばいいんだろう?
終わらない戦争に海軍の少女兵士たちは疲れきっていた。
死んでも48時間以内なら蘇生させられる医療技術。
人魚に噛みちぎられた身体を修復して、何度も生き返る。
人魚は生命体ではなくロボットなのではないか、という意見もある。
どちらにせよ、私たちには手ごわい相手だ。
戦争はどちらにも勝利をもたらさない。
かといって和平条約を結ぶという選択肢は無いようだ。
小型の端末で2020年のブログを読む。
素人の文章書きである徳村慎は、昔の人物だ。
2020年に生きていたということらしい。
今は2204年。彼からすると未来に生きている私だけど、生活の何が変わったというのだろう?
潜水艦内で食物連鎖する飼育箱だけで育てる、コオロギの粉末での食事が当たり前になって、人類から食糧難は消えた。
それでも、2020年の食事からすると、どうなのだろう? 貧しさに変わりはないのかもしれない。
ソプラノウクレレだけが少女ターニャの全財産だ。
それすら持っていない少女たちがほとんどなのだ。小型の端末だけで、過去に書かれた小説などを読んでいる私たちは、2020年あたりにいたミニマリストたちと何が違うのだろう?
夢の中だけが楽しかった。
夢は、脳内の快楽物質のせいなのか、気持ちよかった。夢の森でずっといたかった。
でも、目が覚めてしまうと、現実は潜水艦の中なのだ。
2020年の素人の文章のブログを読んだ。
新型コロナ対策の緊急事態宣言で外に出られない徳村慎が書いていた。
「すきなこと、得意なこと、という話を読んだ。
自分にとってタイムリーな話題だなぁ。
那智黒石は、得意なことに入るのかもしれない。
絵も音楽も俳句モドキも好きなこと。
でも、絵は得意なことにしてみたい、気もする。だけど、儲からないなら、難しい。
思った方に行こう!
感じた方に進もう!
という記事も読んだ。
今は絵なのだ。
新鮮さ(新しさを感じるとき)が幸せという言葉も読んだ。
なるほど。絵を「売る」というのは新鮮だなぁ。
毎日ドローイングを1枚描くのも新鮮。
食事、という記録はレコーディングダイエットで新鮮。だけど、これらも、やがて、習慣化して、夢日記や俳句モドキと同じようなものになるんだろうなぁ。」
彼は絵を売りたいと考えていたようだ。
ターニャは考える。絵なんて売れるのだろうか?、、、と。
どうやら彼は引き寄せの法則というものにハマっているらしい。外に出られないストレスの中でハマることになったらしい。
彼は引き寄せを信じている。
ターニャは引き寄せが分からない。
警報が鳴る。
人魚たちが襲撃してきた。
ターニャは、仲間の少女兵士たちとともに潜水服をつけて潜水艦から外へ出る。
仲間が殺された。
人魚を殺す。
果てのないと思われた戦闘も終わり、潜水艦に戻る。
ベッドに横になって小型の端末を見る。
また、2020年のブログの世界を。
ここは2204年の世界。
世界は人魚という謎の生命体と戦争している。
また森の夢を見たい。
それがターニャの生きる希望。
「夢の森」(おわり)
最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます😊😃😆