図書館読書日記2019.8.10.-1
徳村慎
2019.8.10.-1
『コンビニ人間』読了
主人公は、就職の面接に白羽と行くのだが、途中コンビニに寄る。主人公はコンビニで、棚をきれいに並べ替えたり、コンビニに必要なことを店員に伝える。そしてコンビニに戻る決意をする。
確かにコンビニ人間だった。
芥川龍之介の鼻のような、元どおりになる話だ。
小説は、日常からはじまり、非日常に向かい、日常に戻る。それは小説の基本で、『コンビニ人間』もコンビニに戻ろうとして終わる。
主人公は、18年身についた仕事だから、天職かも知れない。コンビニ人間は、コンビニ人間として生きるのが良いという話なのか。
マニュアル通りの人間、と言い換えることも出来る。周りからの指示を待っている部分とか。それでも、マニュアル通りというのは、悪くないような気がする。コンビニの声が聞こえる。コンビニの声かぁ。コンビニが健全な状態であろうとすることが聞こえるなんて、すごい才能なのだ。しかし、主人公は、あくまでも病的な才能として自覚している。
芸術で言えばアウトサイダー・アートというものがある。病気から生まれる芸術。病気と芸術が一体となっていて、分けられない状態。主人公も、病的なコンビニの才能がある。けれとも、才能は才能だ。白羽さんのように単なる社会不適合者ではなく。
しかし、白羽さんには、才能が無いのだろうか?
何か一つぐらい出来ることが無いのだろうか?
白羽さんは、大学中退して専門学校も中退。自動車の運転免許も持っていない。白羽さんの嫌な部分は、僕を見ているような気分になる部分か。
白羽さんは、小難しい考えを持って生きている。縄文時代から変わらない人間というものを見つめている。僕が哲学を好きなのと同じようなものか。
僕が那智黒石の仕事しか出来ないように、コンビニ人間にはコンビニしか生きる道が無い。白羽さんだって、何か出来ることにぶつかるしかないのだろうと思う。白羽さんの場合は、出来ることがコンビニではないのだろうけれど。
最後のシーンで白羽さんは、ヒモのような生活から抜け出すのだろう。都合よく2人目のコンビニ人間が見つかるはずもなく。でも、白羽さんは、プライドが高いから、大変だなぁ、と思う。
僕もプライドが高いのだろうか?
若い頃は高かったかも知れない。でも、いつのまにか低く見られることにも慣れてしまった。というか、他人に低く見られてるのではない。自分が自分を低く見ているのだ。遺伝子を残せない点では、白羽さんやコンビニ人間(主人公)と同じだ。
来週は、図書館で新しい本を借りるだろう。
コンビニ人間ならぬ図書館人間。僕は、図書館を中心に世界が回っている。『コンビニ人間』の作者村田沙耶香さんの本を、もっと読んでみたいなぁ。
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AIりんなの占いで、今日は、「会話好き、内的傾向、自分らしさ」というのが出た。自分らしさって何だよ?……本のコレクションだって売ってしまうから、自分らしいことからは、むしろ遠ざかっているのだけれど。
僕の自分らしさとは、何だ?
那智黒石の仕事か?
コンビニ人間のように出来る訳ではないしなぁ。
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ネット記事
執着すら大切な一部、と書かれていて、思った。
ああ。文庫本集めるのに必死になってたのも執着だし、楽器を集めるのに必死になってたのも執着なんだなぁ、と。今回、文庫本を売ると決めて、ものすごく軽く感じている。精神的な重荷になっていたのかなぁ、と思う。身体まで軽く感じるのが不思議だ。(まあ、ただ連日の片付けで疲れてはいるけど)
一時期、楽器アプリのダウンロードにハマってて。特にiPhone5s使ってた時は、ダウンロードしまくってた。それでも、最近は、iOSの更新が止まるもんなんだと気付いて、iPhone5s買わずにKORG KRONOSとか買ってたら良かったんじゃないか、って考えたりもした。(あるいは、microKORG XL+とか。volca bass,beats,FMとか。笑)
今は、iPhoneに対する執着もそんなに無くて。(全く無い訳じゃないけど。。。)
次はAndroidスマホ買おうかな、なんて思っている。結局、楽器はハードが良いんだなぁ、と分かった。そして、ハードも気に入っていれば、音色のショボさも気にならないんだなぁ、とも思った。
だってミニキーボードCASIO SA-46にトイシンセ KORG momotronDelayのフィルターとディレイかますのって最強だと思うし。それと同時に KORG KaossilatorにKORG monotronDuoのフィルターって最強!……なんで、こんな楽器玩具みたいなのにこだわってるんだろう?
これが執着か。(笑)
iPhoneが使えなくなったら、その時はその時で別のシーケンサーとかを使うんだろうか?……まあでも、3DSも持ってるしなぁ。これ以上は、増やさなくても良いだろうなぁ。。。まあ、たしかにiPhoneアプリのGarageBandやGadgetは使いやすいけど。
だから、これが執着だよ。(笑)
楽器の話すると止まらない。
でも、次は楽器の執着が消えていくんじゃないかと思うんだよね。実際に楽器を売るかどうかは分からないけど、執着は消える方向じゃないかと思う。
ドローイングを描くことは、執着していないんだよねぇ。あとは俳句モドキも執着していない。紙と鉛筆さえあれば、世界が作れるという意味では、ドローイングも俳句モドキも最強だなぁ。
最近、自動車を運転しながら歌ってることが多い。歌があれば、どうでも良い、ってぐらいになれたら良いのになぁ。弾き語り用にウクレレ1台だけで、完結みたいな世界に憧れる。
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ネット記事。
本当の思いを直視するのが怖いから、なんとか無視して必死で頑張る。
ガーン。(大汗)
そうか。歌が下手だって分かってるから、歌わないで楽器を集めてるのか。楽器1つだけ弾いても上手くないから楽器を集めてるのか。なんだか、分かってしまったよ。。。
下手でも良いじゃん、実験音楽なんだし、みたいな割り切りがあれば、良いんだけどなぁ。。。
あと、楽器を集めているのは、値段の安い楽器で高い楽器に勝つと下克上で面白いというのがある。つまり裏を返せば、高い楽器なんて買えねーよ、という本音があるのだろう。
いつも最強の楽器の組み合わせは何だろう?……と考えている。その考えが無くなれば執着が無くなったということなのか。
今やれることを疎かにして未来へ未来へと考えていくのが楽器集めなのだ。だから、もうSTOP楽器集め、なのだ。
画材は持ってても「持ってるぞ」と思ったことがない。それは、作品と画材の関係が完全に主従関係になっているからだ。
ところが作品と楽器の関係だと、主従は5分5分ってところか。楽器を何気なく触った時の感触とかは、作品に最近ようやく活かせるようになったけど、それでも、作品作りと関係なく楽器を触りたいと思ったりもする。
俳句モドキとiPhoneのメモアプリの関係だと、これも完全に主従関係だ。けれど、読書日記なんかは、書いてて気持ちが良くなってハイになって、書き続けている気もする。
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ネット記事
何かの拍子に曲がりくねって
伸び続けている樹があるように
という詩を読んで。
本や楽器を集めたからこそ、今、減らそうと出来るんだなぁ、と思った。
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ネット記事
現実を無視すると、繰り返される。
なるほど。確かにそうかも知れない。
5年前の時点で欲しかった物は分かっていたはずだった。それを繰り返す。うーん。ちょっと違うか。むしろ、仕事の方だな。ケガをした時に腰が引けてると余計に力が入らなくてまたケガをするような。
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最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます。
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