写真2019.5.5.-1
徳村慎
早朝、散歩に出かけた。
散歩している人たちがいる。
公園。
散歩から帰ってきてシャワーを浴びた。
草の匂いが包む、早朝の道を思い返す。
哲学のグルチャで、「持つというのは、どういうことか?……私が何も持っていない、とすると?」という話題になった。
本来無一物、という禅の考えがある。
何も持っていないと気づくのが悟りかも知れない。
しかし、そのままではニヒリズムに陥(おちい)ってしまう。こだわりの楽器、車、食べ物、本、地域などなど。こだわりは物に付いているのだ。
散歩のできる地域に住んでいるのも、こだわりだろう。
散歩に楽器演奏に読書。それらのこだわりを捨てたら、どうなるんだろう?
最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます。
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