ドローイング2019.3.20. | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。


ドローイング2019.3.20.
徳村慎


ダリだな。ドローイングも、物真似が多いなぁ。でも、ダリの影響が無ければ、僕は居ないだろうなぁ。

パクリだろうが、何だろうが、描きたいものを描く。
これで、いいじゃないか。

夢日記を描いているけど、夢の世界では、こういう奇妙な世界は見ないんだよなぁ。

ダリは、夢を描いたらしいけど、僕は、夢のような世界を描くんだよなぁ。いや、ダリも同じかも知れないけどさ。

石で出来た人の頭。(石で出来たようには、見えないかも、だけど。笑)
カラス。巨人の女性。遠景に山。
キノコと頭像。
そして家族。

絵は描いていると、こんなのが自然に出て来たのだ。
そういう意味では、これは、無意識の絵画だろう。

なぜ、人の頭にカラスが乗っているのか、僕には分からない。描いていると出て来たのだ。

モチーフの選択は、ダリの真似でもないし、何か意識するものがあったわけでもない。

夢判断を読んだのは、もう昔の話だ。
その後、フロイトよりもユングが好きになり、アドラーへたどり着き、またユングに戻るような感じだ。ユングの神秘主義は、面白い。心理と外の世界は通じているという考えは、面白い。

この絵も、解釈が可能なんだと思う。カラスが持っている球は、宝石なのか、とか。いやいや。あまり、解釈すると、絵からズレてしまうのだ。かと言って解釈の無い絵は、薄っぺらい気がする。

しかし、それを考えれば、解釈自体も薄っぺらいのだから、何も考えなくても良いのだ。

2日前から、那智黒石絵画を描いていて、それは、絵の根源に迫るつもりの絵画だが、、、

それに対してドローイングは、遊び感覚で描きたいのだ。だからと言って那智黒石絵画が良くて、ドローイングが悪いとは言っていないし、那智黒石絵画やドローイングといった平面に対して、那智黒石の工芸品(彫刻)が悪いとも良いとも言っていない。

本業は、工芸品なのだから、僕は工芸作家なのだろう。その意味では、もっと工芸品の自分で作った作品を大切にすれば良い気もするが、年に何作か作ると、その量産に入ってしまうから、同じ物が多く生まれることになる。

それらを考えて、もう一度このドローイングを見る。
すると、僕の中の叶えたかった夢が詰まっているのだと思う。家族を手に入れたかった。怪物(妖怪、UMA)の図鑑を作りたかった。菌類のような植物を観察したかった。ああ、博物学なのだ。南方熊楠になりたかった。カラスは、もちろん、神話の鳥で。画面には、南方熊楠があふれているのだ。

そうして見ると、なんとも、切実な願いではないか。
それを人に見せているのは、恐ろしい。心をさらけ出しているのだなぁ、と思う。では、全てをさらけ出したら、僕は何を描くのだろう?


最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます。
(●´ー`●)