夢日記2018.12.5. | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

夢日記2018.12.5.
徳村慎


公園の花壇(ベンチ?   草に覆われた壁?)の下で逆さまに生えるブドウ。

缶ジュースのような棒が連なって輪っかになる。

料理を食べる。などいろんなものを見たがほとんど忘れてしまった。けれど、楽しい夢だった。夢は異世界とか共通の無意識とか極楽(天国、あの世)かも知れない。



**解釈

夢を見て朝起きて、すぐに夢は悟りの世界だと思った。ブドウが逆さまに生える、と書いたが、ブドウは上から下へぶら下がるものだから、それで当たり前なんじゃないか?(笑)
朝起きてすぐの頭では混乱していたらしい。

缶ジュースのような棒が連なって輪っかになる、のは、かなり悟りっぽい。蛇が尾を噛んでグルグル回ったという夢を見た学者が炭素が結びついた構造を発見したらしいが。それに似ている。

夢は共通の無意識だとすると、僕らが生きていて悟りを得るのは、共通のことになる。

グラハムハンコック『異次元の刻印』には、薬物摂取による共通の無意識や異次元、異世界について書いてあった。宇宙人は、神のような存在で、あるいは精霊であり、肉体を持たない生命体らしい。
まあ、かなりトンデモ本な気もするが、納得できる点も多かった。

今、知りたいのは、共通の共有する無意識があるのなら、どういう世界なのか、とか。前世があるのなら、どういう生き方だったのか、とか。霊界があるのなら、どういう世界なのか、とか。

夢が霊界だとすると、ほとんどこの世と変わりがないが、時空間のねじれ、や、思ったものがすぐに出現するといったことが面白い。

夢と宗教は、密接である気がする。その直感は、ほぼ間違っていないと思う。夢の世界で居る時に、夢だと分かることもあるけど、分からないことがある。分からない時は、夢のルールが世界そのものであって。だとすると、色即是空の世界なのだ。現実ではない夢を現実だと思っているのだから。
まあ、それを考えると現在だと感じている、この現実も、本当に夢のような世界でないということは言えない。そこで夢だとするのが色即是空で、そこに私という存在が考えているのだから私は居るというのがデカルトの「我思うゆえに我あり」なのだ。

映画のマトリックスでは、仮想現実で人間たちは夢を見させられているという設定だった。脳が感じることが全てだ。脳内の電気信号。それが現実を感じる手段なのだから、電気信号自体が間違った情報ならば、現実は夢となってしまう。

輪っかは、理想像として分かりやすい形だ。
輪に中心を書き入れるのは間違いだ。とする禅問答がある。しかし、中心を打っている姿を弟子たちに見せて考えさせるのが目的ではないか、とも解釈出来る。(と本に書いてあった。)

中心の無い、人間=仏であるという形が円相であるならば、こんな僕のような人間でさえ、可能性があるのか、とも思えてしまう。


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