夢日記2018.11.27. | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

夢日記2018.11.27.
徳村慎


1
バンドを組む夢。
僕は学生でSさんに似た男性とバンドを組む話をしている。本屋に置いてある雑誌を見て4人でTMNETWORKのカバーをやる特集を見る。振り回すと音が出るホースのようなレゴブロックのようなものを3人で担当して残りの1人はタンバリン。

2
女性アイドル3人組が名前を変えて再デビューしまくっている。
大物男性歌手が歌詞を見なくて歌えるかのTV番組企画。


**解釈

Sさんは、高校に教育実習生として来ていた人。僕の年齢も高校生くらい。

2の夢の終わりに、ジツイン、ジツイン、という歌が流れていた。実印のことか?

バンドを組む話かぁ。
バンドは憧れるけど人間関係がわずらわしいから無理だなぁ。(笑)

宅録は1人でやるから面白いのだ、と割り切ってしまえば、今の環境ベストに近いよなぁ。

なぜか今の環境を捨てようとする力も自分の中にあって。今の否定が未来につながるとする哲学の立場も分からなくもない。しかし、本当のところは捨てるのが怖いのだ。だから捨て去る想定をしておいて、ショックをやわらげようとしているのだ。そして捨て去った後も構築出来るように考えているのだ。破壊神。

地震や津波を想定するのは、今の自分を否定したい気持ちなのかも知れない。

アイドルが再デビューを繰り返すこと。まあ、演歌歌手の世界でもあるらしいから。そんなこともあるのだろう、と思う。
大物歌手が歌詞を見ずに歌えるのか、かぁ。

歌手の世界は厳しいという想定の夢だなぁ。

なんか今日(2018.12.2.)は心が疲れたというか心が風邪をひいたというか。それとも悟ったと言ってしまえば怒られるか。諦念みたいなものが出て来て。このまま死んでも幸せなんじゃないか、なんて考えてる自分がいる。

死後の世界は、無いのだろうか?
死後の世界があるのなら、楽しい世界が良いなぁ。『霊感体質かなみの不思議な日常』とかいうマンガがあったなぁ。図書館で借りたことがあるんだけど。それの最後の方の巻に、死後の世界は、勉強や研究を続ける世界がある、と書いてあって。本当にそうだったら良いのになぁ。と思ったものだ。

死後の世界でも、芸術や哲学などの勉強が出来るなら、これほど、ありがたいことはない。

死んだら土に還る、というのも、意識があれば面白いだろうになぁ。海や空や陸になって、人類の行く末を見守る。まるで手塚治虫『火の鳥』か。

でも、死んだらそこでお終(しま)いなら、なんで生きてるんだろうなぁ?
やはり、子孫を残すとか文化的な遺伝子を伝えるとかかなぁ?

夢の中って好き放題のことをやってるから、生きるのに未練はあるけど、半減出来るというか。

生きてて良かったことって何だろう?
生きてて良かった、って半年ぶりにコーラとかお酒を飲んだ時とか美味しかったなぁ。半年我慢しないとあの感じは味わえないんだなぁ。修行僧か!(笑)

汗をかいて仕事をした後のただの水もなかなか美味しい。ただの水道水なのに。

畑で食べた採れたてのキュウリも美味しかったなぁ。甘いピーマンも良かった。あれは生きてる実感がしたなぁ。

究極の贅沢って、清貧ってやつかも知れない。
江戸時代に生まれてたら楽しかったかなぁ。まあ、日々の暮らしが忙しくて何も考える暇が無いだろうけど。

じゃあ、現代に生まれて良かったのかなぁ?
確かにYouTubeやネットやTV番組を見れば、芸術についての考え方も手に入るし。便利は便利だ。では、便利なのが幸せなのか?……というと、よく分からないのだ。例えば、待ち焦がれた日曜に何をしてるか?    ひたすら寝てたのだ。時々起きてマンガアプリでマンガを読んで。少しギター弾いてみたりは、夕方になってから。ずっと寝てた。何をやってるのか?    まあ、寒い冬で活動が出来なくなると、寝てるぐらいしかやることがないけど。今日は食べ物だって、納豆かけご飯とかマヨソースご飯とかを食べただけで朝と昼は済ませた。夕飯は、母に作ってもらったけど。……って母が居なくなったら、テキトーな食事になるんだろうなぁ。

だからといって、テキトーな食事が不幸せかというと、ご飯を食べるのが好きだから、こんなもんか、ってことになると思うし。

おっと現代に生まれて良かったか?……だったな。
分からん。
中学校の時の社会の先生が、現代が一番良い時代なんだ、って言ってたっけ。文明が生まれて産業が発展して好きなことが出来るのは、現代だからだ、と。

恵まれてるのは分かる。
けど、現代に生まれて良かったか?……は分からない。いや、バブルの頃に働きたかった、とは、ちょっと思うけど。(笑)

昔、ホテルで働いたことがあったけど、その時よりは自由時間があるから、良い。あの頃は好きな本も読めず、楽器も弾けず、趣味の時間が無かった。あれは辛(つら)かったなぁ。

かといって冬に入って活動的でなくなった僕は、本も読まず、楽器も弾かずに、寝ているのだ。グーグーと。
土曜は仕事の休憩時間にネットを見たりしてたなぁ。結局はスマホに人生の大半の時間を使う感じなのか。

もし、もしもだよ。大地震や津波が来て、家も財産も失って、なんの趣味も無くなったら、僕はどうするんだろう?
やっぱり楽器を買うんだろうか?
それとも、芸術や哲学に興味が無くなってしまうのだろうか?

分からない。

社会変革が起きて中小企業がもっと潰されてしまう(那智黒石が突然売れなくなる)、というのでも、僕はどうなるのか?……とか思ってしまう。ただ、その先のことは、想定外というか、想定しようにも、想像が追いつかないのだ。

それは、AIが生み出す芸術がすごくなってくるとかも含めての話なのだ。

彫刻をやらせるなら、AIに有名な彫刻をインプットさせて、独自のものを生み出すようにプログラミングさせるとか。

特にギターのような楽器の立体造形の場合は、プログラミングで生み出した方が良いものが出来る気がする。

那智黒石だってそうじゃないか?

じゃあ、僕らが必死に考えて彫刻して磨いて手作りでやってるものって何なんだ?……みたいな。

美術、音楽、文芸と全ての分野でAIが人間を超える日がやって来て、僕たちは、どのAI(アーティスト)を選ぶか、みたいな感覚になるかも知れない。

そうなると、芸術ってなんのためにあるのか?……という根源の哲学に進んでしまう。

YouTubeのように消費するためだけの芸術なら、AIがとって変わっても仕方ない気がする。
今だって文字スクロール動画とかがあるんだし、TV番組をそのまま使った(違法だろうけど)動画があるということは、それぐらいのプログラミングならAIで出来そうな気がする。

便利になる一方で人間の根源的な生き方も考えないといけなくなる。AIとかロボットがほとんどの仕事をこなすようになった社会では、人間の生きる意味が希薄になってしまうだろう。仕事の合間にやる趣味だからこそ、生きがいだったものが、趣味だけの人生ってどんなものなんだろう?

うーーん。難しいぞ。もし仕事は無くて(お金は入ってくるシステムで)趣味だけをやれ、と言われたら、趣味だけをやって生きていけるものなのだろうか?
生きる意味を失って、鬱病が増えて、自殺者が増える気がするのは僕だけだろうか?
(鬱病を経験してるから余計にそう思うのかな?)

ニートたちが過疎化のものすごく進んだ限界集落に住む、って報道番組があったなぁ。村のお年寄りの話し相手になったり、家でボーッと過ごしたり、食べたくなったら料理を作ったり、お金が無くなってきたら働きに出かけるっていう。これが日本の未来の姿なのかなぁ?
お年寄りには喜ばれてたけどね。

これをやるために生きてるんだ、ってことが僕にはあるのだろうか?……それとも無いのだろうか?
Amebaブログやるために生きてる、とも言えるけど、無けりゃ無いで生きてられる気もするし。うーーん。考えものだ。これをやるために生きてる、っていう自分の核が定まれば人生は一気に明るくなるだろうになぁ。

そういや、グルチャ(LINEのグループチャット)をやめた。もっと自分の時間が欲しいと思ったのだ。でも、寝てたりする。(苦笑)

夏場は、早起きして本を読んだり楽器を触ったりも出来た気がするけど、冬場は、仕事に行くギリギリまで寝てる。まあ、こういうのが幸せと言えば幸せなんだろうけど。

時間が無い!……って言ってた時は、すごく時間を有効に使ってた気がする。趣味も仕事も頑張ってた気がする。数年前は、時間が欲しいって思ってたっけ。でも、そんなに働いてなかった気がするなぁ。今の方が働いてるんじゃないのか?
限られた時間の中で有効に。

今は、時間が欲しいとも思わなくなったなぁ。ただ、休みの日が欲しいと思ったりするけど。

夢日記などを書いてると、憂鬱な生きる目標の無い気分から脱することが出来る。
つまりは、愚痴なのか。(笑)


最後まで読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ヽ(o゚ェ゚o)ノ