俳句モドキ2018.11.19. | まことアート・夢日記

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夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

俳句モドキ2018.11.19.
徳村慎


禅問答読めば読むほど迷宮入り


*この日は1句しか詠めなかった。
禅問答の本を読んでいるが、結局、禅は体得すべきものであって、年を食えば誰でも体得出来るものかも知れない。

ウチのお婆ちゃんなんか、「いついっても、ええ。いついっても、ええのは、ありがたいことなんやけど」と僕に話してくれた。
いつ死んでも良い、死ぬのは有り難い、と言えるのは幸せだなぁ。幸せな死に方は、長生きしてポックリ逝くことかも知れない。

読めば読むほど迷宮入りする禅は、10年後に開ける世界とか、20年後に開ける世界とか。30年後、40年後に開ける世界があれば良いな、と思うだけだ。

この夏に出会った男性は、地球の誕生とか、性行為の快楽について不思議と語っていた。確かに、地球の誕生も人類が滅びずに子孫を残してきたことも、不思議というか奇跡だと思える。つまり自分の存在が不思議で奇跡だったのだろう。

僕も、こんな、なんの取り柄も無い自分を、なぜ奇跡で生み出さねばならなかったのか、とちょっと思う。これを考えると神さまが居ないような気もするし、神さまは、案外失敗もする存在なのかな、と思う。梵我一如。ブラフマンとアートマンはひとつになる。では、神仏も自分なのだし、自分を生きることに悟りはあるのだろう。そこまでは分かったけど、やはり年齢が追いつかないなぁ、というのが正直なところ。

一番最初にやった人が偉いとか、誰にも出来ないから偉い、というのは分かる。でも、それだけで偉い人を決めるのはどうだろう?……とも最近は思う。でも、そうすると、全ての人が何かしら偉いのだ、ということになる。人だけでなく全てのものが偉いのだと。草木国土悉皆成仏。一切衆生悉無仏性。無常仏性。

無常仏性は、仏性は常が無い、と訳すのではないらしい。無常は仏性である、と訳すらしい。無常が仏性であるなら、僕は何者?
僕も無常、彼も無常、男性も無常、女性も無常。猫も無常、魚も鳥も獣も虫も無常、歯ブラシも眼鏡も鉛筆も無常、全ては無常。宇宙でさえ無常。
無常仏性は、やはり無常は仏性であるから、無仏性なのだろうか。

読めば読むほど迷宮入りなのだ。
ネットの『正法眼蔵』の現代語訳を読んでいる。また、図書館で借りた『はじめての「禅問答」』も読んでいる。ああ。読むのをやめた時にこそ、禅は成り立つだろう。知りたいというのは、悟っていない。もうすでに悟っている存在なのだと悟っていないのである。だが、それを体得するのは非常に難しい。


最後まで読んでいただきまして、
ありがとうございます。
(≧з≦)